第130話 残雪
最上義光が訪ねてきたと聞き、吉清は嫌々客間に通した。
義光とは仲がいいわけではないが、今や両家は親戚関係である。
邪険にするわけにもいかず、ひとまず話をしてみることにしたのだ。
客間にやってきた義光は正装に身を包んでおり、普段とは違う様子に吉清は戸惑った。
「なんじゃ、急にあらたまって……」
「一言、礼を言いに来たのじゃ」
「礼?」
何かしただろうか。吉清が記憶をたどるも、心当たりはない。
「木村殿が、我が義兄である大崎殿──大崎家を再興させてくれたと聞く。その節は、まことにかたじけない」
義光が深々と頭を下げると、吉清が慌てて顔を上げさせた。
「や、やめてくだされ。大したことはしておらぬ」
最上義光や大崎義隆のために大崎家を再興したわけではない。
自分の傀儡となる大名が欲しかったので、取り潰しに合った大名に目をつけており、その中にたまたま大崎義隆が含まれていたにすぎないのだ。
そう説明しようとすると、義光が「みなまで言うな」といった様子で制した。
「儂も大崎家を再興させるべく、方々に手を尽くしたのだが、一向にお家再興の兆しが見えなかった。……それを、木村殿がいとも容易く再興させてしまったと聞く。……己の無力さを噛み締めると同時に、木村殿には頭が下がる思いじゃ」
殊勝な物言いをする義光に、吉清は普段とは違うものを感じた。
いつもはわけもなく互いに嫌い合っていたが、今日はやけに素直ではないか。
それくらい殊勝な態度をするのなら、酒の一つくらい出してやってもいいか。
さっそく小姓に酒を持って来させると、盃を片手に雑談にふける。
ふと、義光が盃に酒を注いだ。
「礼というわけではないが、一つ忠告しておいてやる。……今からでも遅くはない。徳川様のところにつく気はないか?」
「…………なに?」
耳を疑う吉清を置いて、義光が言葉を続けた。
「木村殿が徳川様と親しくしていないというのは聞いておる。しかし、天下は間違いなく徳川様に傾く。
唯一徳川様に対抗しうる前田様も、体調が芳しくなく、近頃は病床に伏せているとか……。それに引きかえ、徳川様はまだまだ気力十分といった様子じゃ。……前田様と徳川様、どちらが長生きし、天下を取るのか、目に見えていよう。
徳川様の元につくというなら、儂が口添えをしてやろう。決して悪いようにはせぬ」
義光の目からは、一切の欺瞞や悪意は感じなかった。
真っ直ぐに吉清の目を見つめ、ただひたすら、厚意からそういってくれているのだとわかる。
だが、義光の言葉が素直な厚意とわかってなお、吉清は頷くわけにはいかなかった。
「……たとえ徳川様が長生きしようとな、徳川様に天下を取らせるわけにはいかぬのじゃ」
「なぜじゃ。何がお主をそこまで駆り立てる」
「……約束したのじゃ。今は亡き友と……」
吉清の語る友の察しがついたのか、義光は諦めた様子で息をついた。
「まったく……器用に生きている癖に、不器用な生き様じゃ」
「ほっとけ」
どちらともなく笑みが溢れると、義光は盃を置いた。
「そういうことなら、次に会うときは、お互い敵同士ということになりそうじゃな」
義光が席を立ち、襖を開け、廊下に出ようとしたところで、ポツリと一言。
「…………死ぬなよ」
吉清は耳を疑った。
「今、なんと……」
「…………こんな気持ちは初めてじゃ。敵に対して、死んでほしくないと思うなど……」
義光の大きな背中が、微かに震えているように見える。
あの義光が、吉清のために涙を流しているというのか……。
気がつくと、思わず吉清も口を開いていた。
「…………最上殿。お主こそ、長生きしろよ」
「……言われんでも、わかっておるわ」
「お主が死ねば、駒姫も、清久も悲しむ」
「……………………そうか」
消え入りそうな声でつぶやく義光の言葉が、吉清の胸に残雪のように積もるのだった。
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