第93話 ピロートーク

 隣の布団で寝息を立てる淀殿を見つめ、吉清は頭が真っ白になってしまっていた。


 やってしまった。


 後悔の念が吉清の中で渦巻いていく。


 どこで間違えた。どこで踏み外した。


 ぼんやりした頭で、吉清は昨夜の記憶を辿った。


 淀殿に勧められるままに酒を飲み、料理を食べた。


 朦朧とした意識で記憶が定かでないが、その後、淀殿と致してしまったのだろう。


 不慮の事故か、不運な巡りあわせか。


 後悔と共に、吉清の中である男の顔が浮かんでいた。


 ……秀次もこんな気持ちだったのだろうか。


 秀次から、拾が自分の子かもしれないと聞かされた時は耳を疑ったが、今なら納得できる。


 きっと、不慮の事故から致命傷に発展したのだろう。


 そうでなくては、いくら女好きの秀次とはいえ、淀殿に手を出すはずがない。


 何はともあれ、共犯者が起きなくては話にならない。


 吉清は淀殿の肩を揺すった。


「起きてくだされ」


 淀殿が目をこすりながら身体を起こす。


「ええと、あなたは……」


「木村吉清です」


「木村……?」


 首を傾げる淀殿に、吉清は声を荒らげた。


「虎狩りです!」


「ああ、虎狩りの!」





 淀殿に何か羽織ってもらうと、吉清はその場に土下座をした。


「……この度は、まことに申し訳ございません。あろうことか、殿下の側室であらせる淀殿を抱いてしまうとは……」


「気にしなくていいですよ。わたくしが襲ったので」


「……………………え?」


 悪びれる様子もなくさらっと言い放つ淀殿に、吉清は言葉を失ってしまった。


 今になって思い至った。


 あの料理だ。薬か何かを盛っていたのだ。


 さらに酒と合わせて酩酊させ、吉清の意識を奪ったのだ。


 計画的な犯行。そのくせ、なんと向こう見ずなことか。


「こ、こんなことをして……もし殿下にバレでもしたら…………」


「大丈夫ですよ。まだバレてませんから」


「い、いえ、そういう問題ではなくてですね……。

 そもそも、殿下というものがありながら、それがしと事に及ぶなど……」


「いけませんか?」


 不思議そうな顔をする淀殿に、吉清は思った。


 吉清とて、決して善人ではない。

 むしろ、小悪党と言った方がいい。


 だが、悪いことは悪いこととわかっているつもりだし、その上で悪いことをしているのだ。


 だが、淀殿はどうだろうか。


 まるで善悪という基準そのものが、常識というネジが欠落しているようではないか。


 秀吉はたしかに恐ろしい存在だが、それでもまだ理解できる行動をとっている。


 しかし、淀殿の行動はまるで理解できない。


 あきらかに、リスクとリターンが釣り合っていない。


 狂人じみた思考をしているくせに、妖しく男を惑わす美貌で見る者を魅力する。


 美しく、そしてなんと不気味なことか。


 思わず、吉清は口を開いた。


「一つ、淀殿にお伺いしたいことがあるのですが……」


「なんでしょう」


「拾様は、いったい誰の子なのですか?」


「拾はわたくしの子ですよ」


「…………太閤殿下のお子ではないということですか?」


「さあ?」


「さあって……」


 分かっていてとぼけているのか、あるいは心当たりが多すぎるのか。


 どちらにせよ、秀次以外にも摘んでいるということなのか。


 吉清が罠にハメられたように、他の武将や大名も淀殿と交わっているのだろうか。


 …………これ以上、彼女に関わるべきではない。


 挨拶もほどほどに、吉清は逃げるように淀殿の元を離れた。


 頭が冷静になるにつれ、事の深刻さに気がついた。


 今回の不祥事で、結果的に淀殿に弱みを握られてしまった。


 もし淀殿に何かあれば、吉清は全力で手を貸さなくてはならない。


 今ならまだ問題ないが、これが徳川の世になった時には、どうすればいいのだろうか。


 豊臣と徳川。両者の亀裂が鮮明になった時に、もし淀殿から助けを求められたら、吉清は手を貸さなくてはいけないのか。


(まずいことになった……)


 吉清は鬱屈とした思いで朝帰りをするのだった。

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