第79話 謹慎中

 伏見城からもたらされた急報に、吉清は唖然とした。


「なんと! 関白殿下が謀反とは!」


「木村殿も関白殿下と親しい間柄にあったと聞いているゆえ、追って沙汰を知らせる」


 石田三成からそう告げられると、吉清の背中に冷や汗が伝った。


 大変なことになった。


 秀次に接近しないようにしようとは思っていたが、結果的に親しい者と思われていたとは。


 自身の保身を図るべく、小姓の浅香庄次郎を呼びつけた。


「庄次郎、このままでは儂の身が危ない。至急、他の奉行に手を回してくれ」


「はっ!」


 秀次事件に際し、秀次と親しくしていた伊達政宗、最上義光、浅野長政、細川忠興、徳川秀忠らにも謹慎が言い渡されていた。


 彼らと同じく、吉清も裁定が下るまで、屋敷で謹慎するよう言い渡された。


 屋敷に篭りながらも、吉清は各方面に文を送っていた。


 謹慎中の自分への監視には、なにかと融通の効く亀井茲矩を任命してもらった。

 そうして、罪に問われないよう秀吉に掛け合ってもらうべく、奉行や大名に掛け合ってもらった。


「銭はいくらかかってもかまわん。儂の身の安全こそ第一じゃ!」






 吉清に謹慎を言い渡されて、十日が経過した。


 謹慎中とはいえ、まったくやることがないわけではない。


 方々に文を送り、自身の保身のため家臣に指示を出し、謹慎が解けるよう働きかける。


 裏を返せば、それらの仕事さえこなせば実に暇なものだった。 


 当初は死刑宣告を待つ罪人の気分であったが、三日もするとこの緊張感にも慣れてしまった。


 そうして、仕事がないのをいいことに、大坂から密かに側室を呼び寄せるのだった。


「もう……殿ったら……。こんな昼間からお盛んですこと……」


「よいではないか、よいではないか」


「あっ……♡」


 吉清が覆いかぶさると、側室の涼が嬌声を上げた。


 いざ一戦を交えようとしたその時、ふすまの前で小姓の影が膝をついた。


「殿! 石田様がお見えになりました」


「ん!? 今来たのか!?」


 生まれたままの姿になった吉清が、脱ぎ散らかした服を拾った。


「すぐに用意をするゆえ、待っててもらえ」






 身なりを整えると、三成の前に顔を見せた。


「待たせたな」


 詫びを入れつつ、三成から話を聞いた。


 吉清は保身のため、来たる明との戦で先陣を任せて欲しいと申し出たが、秀吉の感触も悪くないという。


「謹慎が空けるのも時間の問題だろう。……それまでは大人しくしていることだな」 


「かたじけない」


 業務報告を済ませ、屋敷を去ろうとする三成が、ふと足を止めた。


「…………夫婦生活が盛んなのはよいが、謹慎中だということを忘れるな」


「はっ……」






 三成を見送ると、吉清は寝所に戻った。


「何が謹慎じゃ! 何が殿下じゃ! 床に入れば儂は将軍だぞ!」


「もう……殿ったら……勇ましいこと」


 はだけた着物でしなを作る涼を見ていると、吉清の中でムクムクと欲望が膨れ上がった。


「よいか、涼。そなたの中で幕府を開くぞ」


「はい……殿の大奥はこちらにございます」


 吉清が再び生まれたままの姿になると、襖に影が射した。


「殿」


「今度は誰じゃ」


「長束正家様がお見えになっています」


 来客に嘆息しつつ、吉清は慌てて服を着た。






 長束正家の前に顔を出すと、挨拶もそこそこに本題を切り出した。


「木村殿の謹慎も、間もなく解けるであろう」


「かたじけない。これも、長束殿の尽力あってのこと……。長束殿のことは頼りにしておる。……これは、儂からのほんの気持ちじゃ」


 吉清が合図を出すと、浅香庄次郎が箱を持ってきた。


 フタを開けると、長束正家が思わず声を上げた。


「おおっ!」


「山吹色の菓子折りじゃ」


 箱を受け取ると、長束正家がニンマリと頷いた。


「お気持ち、たしかに頂きましたぞ」


 庄次郎に長束屋敷まで送らせると、吉清は寝床に戻った。


「長束殿に菓子を渡して参った」


「まぁ……わたしも食べてみとうございましたわ」


 何のことかわかっていない様子の涼に、吉清が笑った。


「山吹色の菓子は食えぬが、白いお菓子なら腹いっぱい用意できるぞ」


「もう……殿のスケベ……」


 脱ぐ間も惜しんで覆いかぶさると、廊下から浅香庄次郎の咳払いが聞こえた。


「殿」


「またか! 今度は誰じゃ!」


「蒲生秀行様がお見えになっております」


 格好を整えると、蒲生秀行に顔を出した。


「此度のこと、まことに気の毒に思います。

 私も微力ながら手伝えることはないかと、殿下に嘆願しました」


「かたじけない」


 吉清が頭を下げる。


 そうして、秀行からの報告や業務連絡が続いた。


 早く終わらないだろうか。


 吉清が辟易としていると、秀行が声をひそめた。


「それはそうと、ずっと屋敷に篭りきりでは、溜まるものも溜まりましょう……? 今夜、密かに抜け出して、また遊郭に行きませぬか?」


 無神経な誘いに、とうとう吉清の堪忍袋の緒が切れた。


「うるさーーーーい!!!! お主が来なければな、今ごろ奥で側室とイチャイチャできたんじゃ!

 それを、何度も何度も儂の屋敷へ訪問しおって……。そんなに儂の情事を邪魔したいか!」


 突然奇声を上げる吉清に、秀行が目を丸くした。


「えっ!? 義父上、謹慎中にそのようなことをされていたのですか!?」


 秀行の言葉に、吉清はふと我に帰った。


 いくら娘婿とはいえ、まずいをことを言ってしまったかもしれない。


「こ、このことは、他言無用で……」


 腰を低くする吉清に、秀行は思った。


 普通、謹慎中となれば、大人しく屋敷に篭り時が経つのを待つなり、ひたすら許しを乞うものだ。


 しかし、吉清は違う。


 こんな時にも関わらず、平然と女を抱き、当たり前のように怠惰を貪っている。


 やはりこの人は格が違う。凡庸な武将たちとは一線を画すのだな、と思うだった。






 それからしばらくして、吉清の謹慎が解けた。


 赦免のため、忙しく働いてくれた家臣たちを吉清はひとりひとり労うのだった。


「でかしたぞ。隆信が長束殿に手を回してくれたのだな」


「はっ、しかし、赦免が成功した暁には、さらに献金すると約束してしまい……」


「儂の命が助かったのだ。それくらい安いものよ」


 そうして、密かに長束正家に多額の金品を贈りつつ、他の大名たちに礼を言うのだった。


 石田三成や大谷吉継、亀井茲矩らの奉行衆、津軽為信ら与力大名。さらには前田利家、利長もとりなしてくれたことがわかった。


「後で礼を言わなくてはな……」


 そうして、とりなしてくれた者の中に、一人だけ気になる名前があった。


「まさか淀殿もとりなしてくれるとは……」


 何か縁があるわけでもないため、淀殿と親交があるというわけではない。

 紡と親交があるのだろうか。


 いずれにしても、今度礼を言わなくてはと思うのだった。

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