幕間 ルソンの客
木村家に人質として送られた津軽信枚は、どういうわけかルソンで働いていた。
送られる先は畿内、できれば京か大坂が良かったが、今となってはルソンに来て満足していた。
ルソンでは見るもの聞くものすべてが新しく、津軽信枚にとって発見と驚きの連続であった。
そんな津軽信枚に、身なりのいい武士が話しかけてきた。
「お、なんじゃ、新入りか?」
不躾な物言いに困惑しつつ、信枚が尋ねた。
「貴殿は……?」
「わしは大友義統。わけあって、今は木村殿に厄介になっておる」
「大友……?」
大友という姓には聞き覚えがあった。たしか、九州の名門であったはずだが、なぜこんなところにいるのだろうか。
津軽信枚が言葉に詰まっていると、大友義統が首を傾げた。
「ん? 大友家を知らないとは、さては田舎者だな? 名はなんと申す」
「……拙者、津軽信枚と申します」
信枚の名乗りに、大友義統が少し考えた。
「津軽……知らん。わしが知らぬということは、やはり田舎者か」
「あ?」
信枚に青筋が浮かぶ。
都から遠く離れており、中央の情勢から置いていかれることが多く、しばしば奥州は中央からのアオリを受けていた。
また、同じように中央から離れた九州と違い、奥州は律令制に組み込まれるのが遅れた土地である。
そのため、奥州の武将にとって、田舎者呼ばわりされることは禁句に近かった。
今にも殴りかかろうとする信枚を、通りかかったマニラ奉行の垪和康忠が止めた。
「津軽殿、ここは堪えられよ。相手は客将とはいえ、名家の者じゃ」
垪和康忠に諌められ、信枚は頭から熱が引いていった。
「なぜその名家の者である大友殿がかような地におわすのですか」
「文禄の役でやらかしてな……改易されたのだ」
じゃあ殴ってもいいではないか。拳を握り息を吐く。
そんな信枚の気持ちなどつゆ知らず、大友義統はカカカと笑った。
「しかし、木村殿も親切なお方よ。同じキリシタンのよしみでわしの身柄を預かるばかりか、家臣の面倒まで見てくれるとは……」
そうなのか? と信枚が視線で尋ねると、垪和康忠が首を振った。
「当家は人手不足ゆえ、改易された大名から家臣を募っているのだ。大友家の家臣にも声をかけたのだが、大友家再興を目指しており、それまでは決めかねると……」
「なるほど……それで、大友様は家臣と共に働かないので?」
田舎者と言われたお返しに、大友義統に嫌味を言う。
「わしはいい。あくまで身柄を預けられてる身ゆえ、働くわけにもゆくまい。それに、わしの分は家臣が働いてくれておる」
「はぁ……」
家臣に働かせるばかりで、自分は動こうとしないとは……。
改易されたのなら、それを復興させようと努力するのが、大名のあるべき姿ではないのか。
信枚が密かに大友義統に呆れていると、垪和康忠がこっそりと耳打ちした。
「本当は大友様にも代官をさせようとしたのだが、本人が身柄預かりの立場をいいことに、働こうとせぬのだ」
こいつは大名として復帰する気がないのか。
「言っておくが、わしは武芸も
恥ずかしいことを堂々と口にする義統に呆れながら、信枚が尋ねた。
「では、何ならできるのですか」
よくぞ聞いてくれたとばかりに、義統が笑みを浮かべた。
「蹴鞠じゃ」
呆れる信枚をよそに、義統が手を叩いた。
「ああ、あと、和歌も得意じゃぞ。公家衆からもな、筋がいいと褒められるのじゃ」
信枚は言葉を失った。
筋がいいとは、裏を返せばまだ大成していないとも取れるのだが。
「……垪和殿、いくら鎌倉幕府以来の名門の出とはいえ、これはあまりにも……」
「いや、これが存外役に立ってくれておる」
垪和康忠の言葉に、信枚は耳を疑った。
これのどこが役に立っているというのだろうか。
「この義統の家臣たちが、ずいぶんと働き者でな……。当主があれではお家が危ういと、みな一丸となって励んでおるのじゃ」
「なんと……」
「高橋紹運や立花道雪、立花宗茂のいない大友家は、戦上手の者は少ないのだが、その分
聞いた話によれば、大友家は耳川の戦いで島津軍に大敗して以降、衰退の一途を辿り、九州征伐で豊臣からの救援が来るまで風前の灯火だったとか。
そうしてかろうじて生き延びた大友家がこうもあっさり滅亡してしまうのも、大友義統を見てると理解できる気がした。
納得する信枚に、垪和康忠が頷いた。
「義統が何もできないのはよくわかった。だが、何もできないなりに、何もしないでくれるというのも、これはこれでありがたい」
元大名に対して酷い言い様だが、信枚は心から同意するのだった。
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