第51話 氏郷と死神

 日々やってくる秀次からの誘いを断るべく、吉清は見舞いと称して蒲生氏郷の元を訪れていた。


「すまないな。苦労をかける」


 弱気な言葉を打ち消すように氏郷の背中を拭く。


 骨の浮き出た枯れ木のような背中を見ていると、吉清は何とも言えない気分になった。


 否が応でも、氏郷の命が短いのだと感じられてしまう。


 沈んだ気持ちを悟られないよう、吉清はから元気を出した。


「よいのです。蒲生様には散々世話になったのですから!」


 甲斐甲斐しく世話を焼く吉清に、氏郷は少し考えた。


「……時に、木村殿に娘はいたか……?」


「いえ、おりませぬが……」


 吉清の答えに、氏郷は残念そうに顔を伏せた。


「……そうか。お主に娘がおれば、息子の秀行の嫁にと思ったのだがな……」


「蒲生様……」


 氏郷は、そこまで吉清のことを頼りにしてくれていたのか……。


 吉清の中で熱いものこみ上げてきた。


 言葉にならない思いが溢れ出す中、水を指すように外から声が聞こえてきた。


「蒲生殿はおられるか!」


「……細川殿か」


 細川忠興。氏郷と同じく利休七哲にして、父譲りの教養を備えた文化人である。


 また、足利幕府高官であった細川藤孝を父に持ち、名門細川家の名跡を継ぐ忠興は、信長の娘婿である氏郷と同様に、豊臣政権下では一目置かれる存在であった。


 氏郷の元へ通されると、断りも入れずそのばに座り込んだ。


「やはり、まだ身体は優れんようだな……」


「うむ。殿下や木村殿も医者を遣わせてくれたのだが、やはり回復の兆しは見られないそうだ」


 弱気になる氏郷に、忠興が元気づけるように肩を叩いた。


「お主が亡くなれば、私だけでなく、多くの者が悲しもう。……決して諦めるでないぞ!」


 そうして言いたいことだけ言って土産の品を渡すと、細川忠興は去っていった。


「な、なんとも忙しい方ですな……」


「気にするな。あれで、私のことを気にかけてくれているのだ」


 蒲生屋敷を去っていく忠興に思いを馳せ、氏郷が遠くを見つめた。


「やつは天下一の短気と呼ばれる男だ。私とは正反対な性分なのだが、存外気が合うのだ」


 互いに名門の家柄ということもあり、同じ苦労をしてきたのだろう。


 吉清がひとりそう納得していると、氏郷からの視線を感じた。


 ただならぬ雰囲気を感じ、吉清は姿勢を正した。


「……私が死した後は、忠興を頼れ。

 気が短く気性の激しい男だが、思い込みが激しく、妻のこととなれば人が変わることを除けば、案外悪いやつでもない」


「酷い言い草ですな……」


 氏郷が笑った。


「だが、頼りになるのは間違いない。忠興にも、私から話しておこう」


 死に直面してなお吉清を気遣う氏郷の厚意に、吉清は深く頭を下げた。


「ご厚意、かたじけのうございます」


 感謝の言葉は口にしたが、吉清は頭を上げられずにいた。


 氏郷は自分の死を受け入れ、残された者のためにできることをしようというのか。


 息子である秀行のため、豊臣のため、そして与力であり弟分である吉清のために。

 氏郷亡き後、豊臣政権における寄る辺を失うのを憂慮して、忠興に託そうというのか。


 残された時間が少ない中で、自分ではなく他者のために尽くす氏郷の心意気に、吉清は強く胸を打たれていた。


「蒲生様、それがしは……」


 溢れ出す思いが止められず、勢いに任せて口走る吉清に、予期せぬ来客が訪れた。


「蒲生殿、見舞いに来たぞ」


 聞き慣れた。──いや、慣れてしまった声に、吉清は背筋が寒くなった。


「か、かかか関白殿下!」


「おお、木村殿も来ていたのか。最近姿を見ておらぬと思ったが、蒲生殿の見舞いに来ていたとは……」


「……ええ、ですが、ちょうど今しがた帰ろうと思っていたところにございます。」


 秀次の言葉に答えながら、吉清は荷物をまとめていく。


「……それでは蒲生様、長居してしまい、申し訳ありませぬ。それではお大事に……」


 部屋を出る前に氏郷に頭を下げると、吉清は去っていった。


 吉清の背中を見送り、秀次はポツリとつぶやいた。


「相変わらず、木村殿は忙しいようだな……。

 だが、それも当然だろう。遠く遠方に領地を持ち、殿下からの覚えもめでたいのだからな……!」


 秀次の分析に蒲生氏郷は首を傾げた。


 忙しいというより、秀次の顔を見て逃げていったように見えたが。

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