第90話 帰還
「――――主様~~♪」
迷宮から帰還した松田の首筋に襟巻のように絡まってクスコはご機嫌であった。
「このっ! お父様から離れなさい!」
「い・や!」
「宣戦布告と受け取るのです。わふ」
「歩きにくいからお前ら少し離れない?」
「絶対にいやっ!」
まるで所有権を競いあうように松田に引っ付いて離れないディアナとステラに呆れたようにシェリーは頭を振った。
「全く、ことの深刻さを忘れる光景だな」
フェイドルの迷宮を運用不能に陥れていた恐怖の怪物が倒されえた。
その一事をもってしても影響は計り知れないものがある。
まず迷宮の運営が正常化されれば、国外へと活動の場を移した探索者たちも戻ってくるだろう。
それに伴い迷宮からの収益も改善される。
この短期間で松田が成し遂げてしまったことは、実は国家をあげて祝賀されてもおかしくないほどのものだ。
稀少な隠蔽型秘宝ハイドアーティファクトの使用を許されたシェリーでも、クスコを倒せたなどとは欠片も思わない。
もともと隠蔽型秘宝は、攻撃する前に隠蔽を解除する必要があるので、暗殺に特化したスキルでもないと偵察にしか使えないのである。
腑に落ちないのは、そうした隠蔽型秘宝でも、あの転送装置を使うことができればクスコを排除できたという事実であった。
リノアが転送の扱い方を知っていたということは、王国の上層部の誰かがあの遺跡を知っていたということに他ならない。
もしリノアが操作する手順を見ていなければ、シェリーひとりではあの転送装置を操作することはできなかっただろう。
どんな裏事情があるのか見当もつかないが、王国の抱える闇は思っていた以上に複雑そうであった。
その結果として、松田が危険にさらされる可能性は十分すぎるほどだった。
「――ありがとう」
「えっ?」
唐突に松田に礼を言われてシェリーは思わず戸惑った。
「心配してくれてるみたいだからさ。いい子だなシェリーは」
「ふええっ!」
まるで年端もいかない女の子のような松田の言いようにシェリーは真っ赤になってうろたえた。
密かにクールビューティーな金級探索者として、男性探索者の人気を集めているシェリーの姿を知る者がいれば、他人の空似かと疑ったかもしれない。
それほどにあからさまな動揺ぶりであった。
「人間の欲に限りがないことくらいわかっているさ。人の数だけ思惑なんて変わるってことも」
「…………マツダ」
あの時点で、リノアは迷宮の異常を継続するための何者かの意思によって動いていた。
そして自分もまた、国王とは違うギルド上層部の意向を汲んで動いている。
誰にとっても幸せで、誰もが納得できる選択肢などない。
それは自分が母と己の幸せのために、マツダを犠牲にしようとしたことでも明らかなのだ。
いかに偉大な功績を成し遂げたマツダであっても、いや、功績をあげたからこそ、複雑多岐な思惑からマツダは逃れることができない。
いつから世界はこれほど難しくなってしまったのだろうか。
少なくともマクンバで銀級探索者をしていたころのシェリーは、もっと世界は単純であったはずであった。
迷宮のなかでは個人戦闘力と仲間との連携力が全てであって、勝利し続けることで幸せになれると信じていた。
「その……済まない。かえって気を遣わせてしまったな」
どうにか心の動揺を抑えつけ、かろうじてシェリーは松田に短く礼を言った。
「あら、主様も隅に置けませんわね?」
「むっ?」
「むむむっです。わふ」
「お前らいい加減に落ち着け」
国王ジョージのもとへ、フェイドル迷宮の解放が報らされたのは、松田が地上へと帰還してすぐのことであった。
「まさか、こんなに早くとは!」
松田の実力が、宝石級としても破格であるという推測はしていた。
だがフェイドルの迷宮に巣食う妖狐は、宝石級にすら手の余る怪物なのだ。
そうであるからこそ探索者たちは、この国を見捨てて他国へ流出していったのだから。
「――――幸い、というべきか?」
まさに僥倖というべきなのだろう。
もしマツダがドルロイの弟子にならなければ、ドワーフ評議会が弟子を取るのを許可しなければ、マツダがスキャパフロー王国を訪れることはなかったはずであった。
とはいえ喜んでばかりいられない、というのがジョージの偽らざる本音である。
これほどの実力者となれば、いずれ世界に七人しかいないと言われる伝説級の探索者となるに違いない。
彼らはあまりに特殊だ。
宝石級とされる探索者は数百人以上いるが、彼らの全てを束ねても一人の伝説級には歯が立たない。
まさに一国を凌駕する単体戦力。それが伝説級と呼ばれる探索者である。
力を貸してもらうには非常に心強い反面、一国の王をもってしても御すことのできない巨大な力は国際政治のバランスにすら影響を与える。
そんなバランスブレイカーを誕生させてよいものか。
万が一将来敵対されればスキャパフロー王国の命運にも関わる。
「しかしドルロイとハーレプストの弟子で、審美眼も我らに近いものがある……」
あの二人の美しい幼女、もとい、従者を持つマツダである。
敵か味方かでいえば、味方となってくれる可能性が高い。いや、松田を同好の士と考えているのは、ジョージの一方的な妄想だが。
「なんとか我が国に取り込みたいものだな」
伝説級の探索者さえいれば、隣国との、まさに現在進行形で緊張状態にあるコパーゲン王国へも圧倒的に優位に立つことができる。
伝説級の探索者で国家に所属しているのは現在のところわずかに二人。
残る五人は自由気ままに探索生活を続けている。
もしスキャパフロー王国に伝説級探索者が誕生すれば、三ケ国めの国家となるわけだ。
その魅力はとてつもなく大きかった。
だが同時に恐ろしいとも思っている。国家に匹敵する単体戦力がいつ牙を剥くか、という不安は決して零にはならない。
そして何より、今は謎のエルフを隣国が捜索していて、下手をするとフェイドルの迷宮の異常もその男のせいであるかもしれないのである。
まずは正確な情報を集める必要があった。
松田に対する対策を考えるのはそのあとでもよい。
太いため息とともに、ジョージは宰相へと使いを走らせるのだった。
「ようこそご無事で」
迷宮の入り口にはミネルバが、入ったときと同様に居住まいを正して待っていた。
「まさかずっと?」
「いえ、迷宮を離脱する際には迷宮管理所の方でわかるようになっているのですよ」
口にこそ出さないが、探索者の出入は厳重に監視されている。
この警戒を潜り抜けるには、リアゴッドのように反則的な秘宝を所有するか、伝説級の隠蔽スキルが必要となるだろう。
「ところでマツダ様、その狐は…………?」
不審そうにミネルバはクスコを見た。
「私の使い魔です。ちょうどよい素材が手に入ったのでね」
「素材ってまさか…………」
ミネルバが顔色を変える。
入るときにはいなかった使い魔、その姿が現在迷宮を使用不能に陥らせている妖狐と驚くほどによく似ていた。
「そのまさかだ。私がマツダの討伐の証人となろう」
「うそでしょう? 撤退してきた騎士団からマツダ様がグリフォンのゴーレムで突破していったとは聞いておりましたが……まだ半日しか経ってないんですよ?」
スキャパフロー王国が騎士団まで投入して、多大な予算と労力を注ぎこんで、それも解決の糸口さえ見えなかった問題である。
それが半日で解決しました、と言われても実感が伴わないのは無理もない。
むしろ生きて帰ってくるかどうか心配していたミネルバとしては、あっさりと討伐を報告されてどう反応していいかわからずにいた。
「迷宮管理所に報告して、早急に確かめることをお勧めする。件の妖狐の姿はどこにも確認できないだろうからな」
討伐を報告して全てが終わるわけではない。自己申告では報償も支給することはできないからだ。
「だ、大至急手配します! すいませんが報償の手続きは数日後になりますのでご了解ください」
「まあ、それは構わないさ」
「それと、王宮から呼び出しがあると思いますので、できればあまり出歩かずに宿か迷宮管理所にいていただきたいのですが……」
「仕方ないか。すると迷宮攻略もそのあとということになるのかな?」
「申し訳ありません。迷宮の正常稼働が最優先課題ですので」
「わかった。少し買い物にでるくらいはかまわないだろう?」
「ええ、王都のなかで買い物をする程度は構いません」
今回、フェイドルの迷宮で取得した秘宝を三つまで所有を許すという特例を設けたのみならず、クスコの討伐にはそれなりの賞金が懸けられていた。
宝石級の探索者であっても、金貨五千枚となればそれなりの収入だ。
もっとも松田はそれほど報償には執着しないだろうな、とミネルバは思った。
いずれにしろこれからが大変だ。
ミネルバだけではなく、迷宮管理所も王宮も、クスコの討伐で煩雑な処理を迫られるのは明らかであった。
そして松田という存在をどう扱うか、という課題も残されている。
たった半日でクスコを討伐したということは、松田が騎士団より圧倒的に強い戦力を所有しているということでもあるのだから。
そうした諸々の問題を考えて頭が痛くなる思いもあるが、それ以上にミネルバは松田に言わなければならない言葉があった。
「――――マツダ様。妖狐を討伐していただき誠にありがとうございました。当迷宮管理所の職員として心より御礼を申し上げます。本当に助かりました」
このまま迷宮が使用できなくなった場合、ミネルバを待っているのはリストラだけだ。
せっかく正規雇用の国家公務員としてキャリアを積んできたのに、解雇されては目も当てられない。
この世界でも女性のキャリアが再雇用で出世コースに乗るのは至難の業なのである。
しかも迷宮の管理は利益が大きいだけあって給料も平均をかなり上回っていた。
減給とリストラ、二つの痛すぎる危機を回避することができたのならば、多少残業が増えるくらい何ほどのことか。
満面の笑みで心からの感謝をするミネルバとは対照的に、松田の胸にはなぜか寂しい隙間風が吹きすさぶのであった。
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