第89話 返ってきた因果
「まあ、いろいろと考えるところはあるけど、今日はひとまず戻ろうか」
リアゴッドについて考えるだけで嫌な予感はするものの、このまま話していても結論は出ない。
松田はそういって立ち上がった。
迷宮の攻略は一日八時間まで。残業することは、たとえ神が許しても松田が許さない。
「……と、クスコはどうしようか?」
松田はあくまで迷宮の攻略に来ているだけで、クスコの討伐を王国から依頼されたというわけではない。
しかし騎士団を手ひどく痛めつけたクスコを連れて帰ったら、間違いなく王国を敵に回すことになる。
「ご心配なく、主様ぬしさま。穏便に外に出る手もありますけれど、今はまだ私はここにいたほうがようございましょう」
もしクスコが討伐され、迷宮が正常化されたとなれば、王国は手のひらを返して秘宝の所有を認めないかもしれない。
それに松田が秘宝を手に入れるまでは、フェイドルの迷宮に潜る探索者は最小限であることが望ましかった。
下手に他国へ行った宝石級の探索者が戻ってきてもらっては困るのである。
「それは助かるけど、どうやって外に出るつもりだ?」
「もちろん、こうするのですわ」
一瞬にしてクスコの姿が松田の前から掻き消えた。
「熱を操り、己の姿を消すなど造作もないこと。迷宮管理所を通りぬけることぐらい朝飯前ですわ!」
迷宮管理所では探索者の秘宝の持ち出しや不法行為を監視しているが、使い魔が姿を隠して勝手に行動することなど想定していない。
そもそも使い魔もゴーレムと同様廃れた魔法技術で、現在の探索者で使用しているのは、よほどの物好き以外いなかった。
ましてクスコほどの破格な性能を持つ使い魔は、ほぼ絶滅したといっていいだろう。
「狂う前はこうして他所の迷宮に出向いて管理していたのです。ディアナのいた迷宮にも行っていたのですよ?」
「……お父様が見つけてくれたときに来なくて助かったわ」
心の底からディアナは安堵する。
まだこの世界に来たばかりの松田では、クスコにあっさり殺されるのがオチであったろう。
そうなれば今でもディアナはあの封印に縛られて孤独と戦っていたはずであった。
「ひとつを除き秘宝も在処はすべて私が承知しております。この迷宮の攻略が終わりましたら、この命果てるまでお傍に」
「――――あら? そんな都合よくいくかしら?」
「この声は…………ランカスターの街の地雷女?」
「誰が地雷女よっ!」
即座に反論するあたり、松田からどう自分が評価されているかは適確に承知しているリノアであった。
「ふん、よくわからないけど化け物と密談しているあたり、私の目に狂いはなかったようね。恥を知りなさい!」
「最初から最後まで狂いっぱなしだよ! むしろどこがくるってないのか教えて欲しいくらいだよ!」
どこまでもぶれないリノアの地雷っぷりに、思わず松田は突っ込まずにはいられなかった。
それが全く意味のないということは知っていたはずなのに。
「逃がさないわよ! そこでたっぷりと私を陥れた反省をしてから地獄に落ちなさい!」
「どこだ?」
「――――おそらく管制室ですわ。私としたことが、あんな地雷臭漂う女を見過ごすなんて」
「そこの化け物! 私は地雷臭なんてしないわよ!」
「頭のてっぺんから足のつま先まで地雷なのです。わふ」
お前は何を言ってるんだ? とばかりにステラに無垢な瞳で問いかけられたリノアは激高した。
「幼女を洗脳してこの私を地雷扱いさせるとは、どこまでも見下げ果てた男ね!」
「言っても無駄だと思うが、事実無根だと抗議するぞ!」
「犯罪者はみんなそういうのよ!」
「やっぱり無駄だった!」
そんな無意味な会話を交わしながら、松田はクスコと声は出さずに主人と使い魔だけが交わすことのできる思考で現状を確認していた。
(あの女がいる管制室までの距離は?)
(管制室はここから三階ほどターミナルを降りたところですわ! ただ、ターミナルの中枢ですから魔法結界で保護されていますの!)
(ゴーレムを向かわせるから俺の思考を誘導してくれ)
(お任せくださいですわ!)
だが意識してか、それとも無意識か、リノアはその時間を与えなかった。
どこまでも相手にとって嫌なことしてくるがゆえに、地雷女は地雷女なのだ。
「何か余計なことを考えてるでしょう? そうはいかないわ! 悪はここで滅びるのよ!」
「くそっ! 悪はどっちだ!」
「もちろん、あんたが悪で私が正義よ!」
「知ってた」
やっぱりこいつとは会話にならない。
「こ、これは……捕縛結界? いえ、転送結界?」
ゴーレムがリノアに辿りつくより遥かに先に、松田達を鮮血のように紅い結界が包んだ。
リノアがターミナルの侵入者排除機構を作動させたのである。
その意味に真っ先に気づいたのはディアナだった。
「お父様! 禁呪の使用許可を! この結界は普通の魔法では破れません!」
「そんな暇を与えるつもりはないわ! さあ、震えなさい! 懺悔しなさい! 正義に歯向かった己の所業を後悔しなさい1」
「謝ったら許してくれるのか?」
「許すわけないでしょう! 私の気が収まらないから謝れって言ってんのよ!」
くひひひひ、とリノアは愉悦の哄笑をあげた。
ランカスターの街にいたころのリノアは、独善的ではあってもここまで他人の不幸を喜ぶ女ではなかった。
彼女もまた。自分が拠って立つ基盤であった騎士という地位を失い、醜く歪んでしまったのだろう。
だからといって同情する気は毛頭ないが。
「どこに飛ばして欲しい? 溶岩のなか? それとも竜の巣? 深い深い海の底なんかも捨てがたいわね。あんた変に生き汚そうだし、やっぱり毒の空気が充満した火口かしら」
「くっ!」
一瞬の隙をつき、クスコが身体を白熱させて転送結界に体当たりする。
「ギャンッ!」
しかしあれほどの攻撃力を誇ったクスコの攻撃が、簡単にはじき返されてしまってクスコは短く悲鳴をあげた。
「魔法強度が強すぎる。クスコの攻撃は物理よりなので転送結界に穴をあけるには力不足です」
「構わんから最短でぶっ放せ!」
松田はディアナに禁呪の使用を許可すると、焦ったようにディアナは詠唱を開始した。
「ざまあないわね。さようなら。もう少しあんたたちの断末魔を見ていたかったわ」
収束を始めた転送結界を見つめるディアナの瞳が、何かに耐えるように細められた。
このメンバーで誰より魔法に精通している彼女は、禁呪の発動が間に合わないことを理解していた。
「女の子はかわいそうだけど、その男のせいだから諦めてね?」
「子供を殺すのがお前の正義か?」
「だって私が騎士でなくなったのは、その子のせいでもあるんだもの。悪事には罰が必要でしょ?」
「ご高説いたみいるね」
信念があるといえば聞こえはいいが、自分に反対する人間を敵か悪かでしかみれない人間はいる。
彼らには人間の価値観が相対的であるということが理解できない。
「つまらないわ。悪党なら悪党らしく泣き叫べばいいのよ」
「――――生憎と彼は悪党ではないから無理な相談だな」
「誰っ?」
今まさに松田の死刑執行ボタンに手をかけようとしていたリノアは慌てて振り返った。
管制室が無人であることは確認した。
そこにある防衛装置も機能も、リノアがモルガンに聞いた通りだった。
もし自分のほかに侵入者がいるとすれば――――。
「ご明察だな。隠蔽型秘宝を持つのは何も貴様だけではない」
「誰の差し金? 私はあの男を処分するよう、さるお方から命を受けているのよ?」
リノア個人の力で、単身松田の裏をかくなどできるはずもない。
彼女の背後に巨大な黒幕が存在することは、少し考えれば容易に想像できることであった。
リノアの挑発的な態度を、隠蔽を解き姿を現した女は鼻で嗤った。
「愚かな。私は彼を守るよう命を受けている。当然だろう? 利害というのは常に相対的なものなのだから」
「わかんないわよ!」
「まあ、一生かけてもわからない人間がいることは私もよく知っているさ」
女が自分を嘲笑していることを敏感に察したリノアは、剣に手をかけ前に進もうとして愕然とした。
「何よこれ?」
松田たちを拘束していたはずの転送結界が、リノアを包むようにしてどんどん収束しようとしている。
それが何を意味するのか理解してリノアは絶叫した。
「転送の発動地点は私が操作しておいた。参考までに聞きたいのだが、貴様は彼らをどこに送り込むつもりだったのかな?」
リノアが松田たちを転送しようとした場所。
生還することがまず不可能な地点に飛ばされようとしているのは自分なのだ。
「冗談じゃないわ! どうして私が飛ばされなきゃいけないのよ? 頭おかしいんじゃないの?」
騎士とは正しさ。法と秩序を守る守護者であり、自分はその理想を正しく行動に移してきた。
罰を受けなければならないのはあいつらのはずなのに、どうして正しい自分がこんな理不尽な目にあうのか。
「世の中は理不尽なことで満ちている。自分が信じる正しさなんて、なんの価値もないことがあるものさ」
自嘲気味に女は嗤った。自分もまた一時は正しいと信じたことを後悔した苦い経験があった。
「ありえない! そんなことは間違っているわ!」
「そうだな。だが人は間違う生き物なのさ。もちろん貴様も」
「私は間違ってなんかいない! 私はいつだって正しいの! 正しくなきゃいけないのよ!」
だからこんな間違いは正されなければならない。
リノアがさらなる抗議の声をあげる間もなく唐突にその時はやってきた。
「おかしいわ! こんなの絶対におかしい! あんた何とかしなさいよ! いやあああああああああああああああああ!」
結界がリノアの身体の形に完全に収束した。と思う間もなくリノアの身体は悲鳴の余韻だけを残して虚空へと消えた。
カラリと音を立てて、運よく転送を免れたイヤリングが落下した。
自らが選んだ運命のダイスに吸い寄せられるようにして、彼女は自分がもっとも生還できないと信じた地獄へと去っていったのである。
「――――これで少しは借りを返せたかな?」
管制室のマイクから漏れる声に、松田はほっとしたように肩の力を抜いて答えた。
「ありがとうございます。まさか貴女に助けられるとは思いませんでしたよ。シェリーさん」
かつてマクンバの迷宮で行動を共にして、たもとを分かった探索者シェリーの変わらぬ姿がそこにあった。
母を助けるために――自分にとって都合の良い現実を言い訳にしてシェリーは松田を裏切った。
それでも松田が彼女を殺さなかったのは、その価値すらない存在だったからだとシェリーは信じている。
あまりに矮小な自分をもう一度鍛えなおすべく、シェリーはひたすら迷宮での戦闘に没頭した。
おかげで今やシェリーはフェイドルの迷宮で上位にランクされる金級探索者となっている。
松田たちがあまりに規格外なだけで、探索者としてのリノアはかなり優秀な部類に入る。
宝石級の探索者が去ったスキャパフロー王国では貴重な上位探索者であり、だからこそ――――
「ところで、シェリーさんは誰の差し金でいらしたのでしょうか?」
裏切ったにもかかわらず見逃してくれた松田に借りを返したかった。
感謝もしているし、助けになろうと考えていたのは偽りではない。
しかしそれが百パーセントすべてであるかといえばそうでないことも確かであった。
ステラもディアナも突然の再会に感動しているなか、松田はそんな劇的な再会を欠片ほども信じられずにいた。
状況を考えれば、シェリーがリノアと同様になんらかの隠蔽型秘宝を所有して近づいたことは明らかであったからだ。
いかにシェリーが金級の探索者となったからといって、そこまで高性能の秘宝を所有できるほどとは思えない。
(…………わかっていたことだ)
こんなことぐらいで償いになるはずがないことも、松田が心を開くことがありえないことも。
(馬鹿だな私は…………)
それでも心のどこかで松田に受け入れてもらえることを期待していたのは、シェリーも自覚していない乙女の埒もないところであるのかもしれなかった。
「…………どうやら複数の宮廷筋が動いている。それを危惧した迷宮管理所長に特命を与えられたのさ」
「どこの世でも派閥はなくならないものですね」
「――もし何かあれば遠慮なく頼ってほしい。私もこの程度ですべて借りを返せたとは思っていない」
はたしてその言葉を松田が額面通りに受け取ったかどうかはわからない。
しかしそれは間違いなくシェリーの本心であった。
「では全てうそ偽りなく報告してください。白狐の魔物は無事退治され、新たな使い魔の素材となった、と」
「なるほど、確かに嘘ではないな。間違いなく報告しておこう」
――新たな使い魔がかつての記憶や能力を引き継いでいることは黙っておくとして。
「では先に退散させてもらおう。私は鉄の傘という旅籠にいる。時間があれば訪ねてくれ」
もう一度パーティーを組まないか、とは言えなかった。
言う資格があるとも思わない。
何より松田に疑いの目で見られることに耐えられなかったシェリーは、そのまま松田に顔を合わせることなくターミナルを後にしたのである。
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