第66話 宿場町ランカスター
「――――とまあ、そんなことになってるだろうな」
松田はマクンバの反応を正確に洞察していた。
探索者を囲いこもうとする領主は決して少なくはない。
むしろ騎士団の何割かは、確実に迷宮で成果を残した探索者である。
傭兵を兼ねる実戦経験の豊富な探索者も多く、即戦力を補充するならば探索者をというのは常識であった。
さすがに松田も伯爵が自分の娘を与えて一族に迎えようとしているとまでは考えていなかったが、囲いこまれるのは十分に予想できることであった。
「ドルロイ様たちは大丈夫でしょうか?」
「リンダ強いから大丈夫! わふ!」
「確かにリンダさんとドルロイ師匠を敵に回すのはリスク高すぎるだろ……」
元金級探索者に稀代の名工、しかも多少マッドサイエンティストの気がある相手を敵にするなど考えただけでも悪夢である。
松田なら間違ってもその選択肢はない。
「ハーレプスト師匠はそもそもマクンバの住民じゃないし……嫌味くらいは言われるかもしれないけどね」
そういいつつも、もし松田の非常識なスキルがバレた場合、ハーレプストやドルロイに危害を加えられる可能性もゼロではなかった。
そうなったらスキャパフロー王国まで追手が来るかもしれないな、と松田は当然のように考えている。
ハーレプストやドルロイは確かにいい男ではあるが、家族と自分を天秤にかければ家族を取るのはしごく当然のことだ。
そのあたり松田は過剰に期待をしていない。
松田の中で、師匠として、人としてある程度の信用がおけるということと、妄信するのは全く別のことなのだった。
ことが公になった場合、条件のいい国に仕官することも選択肢に入れる必要があるかもしれなかった。
「――――何もないといいですね」
ディアナは日を追うごとに人間らしく感情豊かになっていくように思われた。
ドルロイたちを気遣うように、やや俯き加減の眼差しや、軽く握られた拳を小ぶりの赤い唇に押し当てる仕草も愛らしい。
――――だが彼女は松田の命令さえあれば躊躇することなく、たとえ相手がドルロイやリンダであっても殺すだろう。
それが主に従う悦びを刻み込まれた知性ある秘宝というものである。
そんなディアナであるからこそ、裏切られることを想定しないで済むことがうれしい。
なんたる歪んだ性根であることか。松田は人知れず自嘲した。
「本当に、何事もなければ――それが一番なのだがな」
優しく頭を撫でられたディアナは、猫のように気持ちよさそうに大きく伸びをした。
「――――ご主人様」
のどかな時間を終わらせる緊張した声が、ステラの唇から漏れたのはそのときだった。
デファイアント大山脈、そこはリュッツォー王国の北に広がる山嶺で、もっとも標高の高いフェーリー山は四千メートル級の偉容を誇る。
四か国にまたがる東西に延びた山脈は大陸でも有数の広さを持ち、その峻厳な環境はいかなる国家の統制をも受け付けずにいた。
そのためか、山脈にはいまだ国家に服属せぬ共同体、あるいは追及を逃れてきた犯罪者などの巣窟と化していた。
スキャパフロー王国への最短コースとはいえ、十分な兵力を用意した隊商キャラバンでもないかぎり近づくことが躊躇われる土地であった。
そのデファイアント大山脈の麓に、隊商の中継地として栄える宿場町がある。
山脈越えには大きなリスクがある反面、大幅に移動距離を短縮できるために、大規模な護衛を雇うことのできる隊商には利幅の大きな仕事として人気なのだ。
宿場町の名をランカスターという。
このランカスターの街を過ぎると、もはや山脈を越えて反対側のキャンベル公国に到達するまで補給できる宿場町は存在しない。
そのため街の規模以上に物資は集積されている。
隊商たちはここで山越えのための食料や物資を買い込み、互いに情報や商品を交換するのが常であった。
それは同時に、山賊にとってランカスターの街が肥え太った魅力的な獲物であることも意味していた。
「街道で山賊らしい人影を見ました!」
詰所に目撃者が駆けこんできたのは、山が赤く染まり始めた夕刻のことであった。
「見たのはどこですか? 人数は? 服装は?」
山賊の場合は大抵どこかの街にいた頃の恰好をしているため、雑多な寄せ集めの感がある。しかし山岳の先住民たちであれば皮と麻を使った独特の衣装を身にまとっているため容易に判別が可能なのだ。
「そ、それが……急に矢で射かけられたんで……そいつともう一人くらいしか見てないんです」
「衣装は?」
「山人の恰好ではなかったと思います」
「――――わかりました」
そういうと騎士は颯爽と立ち上がり、現場に急行しようと部下に視線を向けた。
「おいおい、もう交代の時間だぜ? 勘弁してくれよ」
「まだ勤務の時間です!」
「向かっている途中で交代になるさ」
やる気がなさそうに部下の男は、どっかりと椅子に腰を下ろして鎧を脱ぎ始めた。
彼が騎士の言葉に従う気がないのは明らかであった。
「貴様……それでもこの街を守る衛士か!」
「生憎騎士様と違って性根が卑しいもんでねえ。今からわざわざ街の外へ出るのは無理さね」
悔しそうに騎士は唇を嚙みしめる。
立場上は上位にいる騎士ではあるが、度重なる部下の不服従に苛立ちは頂点に達しようとしていた。
「もういいっ! 私が一人で行く!」
「へえへえ、どうぞお気をつけなすって」
憤然として騎士は席を立った。
頭の上で雑然とまとめられたポニーテールが揺れる。
怒りに紅潮した頬が騎士の美しい肌の白さを否が応にもかきたてた。
騎士の名をリノア・ヘイゼルバーン。まだ二十になったばかりの乙女である。
リノアが騎士に任命されたのは、若くして死んだ父の跡を継ぐべき唯一の子供がリノアであったからであった。
家柄は古いが、出世コースから外れていたヘイゼルバーン家、しかもその跡継ぎが女性とあってはまともな職がまわってくるはずもない。
結局リノアが任せられたのは街の保安任務という雑用も同然の仕事であった。
肩身の狭い思いをしながらも、いつか見返してやろうとリノアは精力的に仕事に取り組んだ。
当初リノアの評判は上々であり、頭は固いが領民に誠実な騎士として部下たちも信頼を寄せつつあった。
いつの世もそうであるが、自分だけは安全なところで指揮をする上司を尊敬する部下はいない。
最低限リノアは危険を部下と共にする勇気があった。
だがその頑張りが完全に徒となった。
その日は唐突に、しかしいつか訪れるべき必然としてやってきた。
「今日こそはあの山人どもをやっつけてやる!」
「おいおい大丈夫か? 俺たちは所詮街の衛士なんだ。本職の騎士とは違うんだぜ?」
「山人に襲われている人を見すごして何が衛士なの?」
比較的小規模な隊商が山人の部隊に襲撃を受けていることを知ったリノアは、ただちに部下に集合を命じた。
「騎士団に応援を頼もうぜ? 隊商の護衛と時間を稼ぐくらいならできるかもしれん」
このとき部下のスターリングが独断で騎士団に応援要請を出していなければ、リノアは今頃墓の下であったろう。
リノアの想定を超えて山人の部隊は大規模であった。
現場に到着したときにはすでに隊商の護衛は全滅しており、隊商の荷馬車は略奪されている真っ最中であった。
「おのれ! よくも非道な真似を!」
「あっ! 馬鹿! 突っ込むな!」
既に戦闘は終了しているのである。
隊商が全滅している以上、今さら山人と交戦しても得るものは何もない。
同じく山人もあえて危険を犯してまでリノアたちと戦うつもりはないはずであった。
だが、人数において圧倒的に劣るリノアが戦いを挑めば話は別である。
目障りなランカスターの戦力を少しでも減らしておくのは、彼らにとって利がないわけではないのだから。
リノアの剣技は同年代のなかでは見事な部類であった。
たちまち三人ほどの山人を倒したリノアであったが、戦闘慣れした屈強な男たちに囲まれるとすぐに劣勢に追い込まれた。
幾度かの剣戟の後で、体勢を崩したリノアが槍に貫かれようとしたそのとき、身体を張ってスターリングはリノアを庇った。
「ぐわあっ!」
「そんな! スターリング!」
「スターリングの兄貴! おいっ! 急いで逃げるぞ! 引きずってでも兄貴を連れて帰るんだ!」
その後どうやって山人の包囲を食い破ったのかリノアは覚えていない。
それでも死に物狂いで戦った結果、リノアたちは無事ランカスターの街に撤退することに成功した。
大至急スターリングは医者のもとに運ばれ、かろうじて命を取りとめたものの、左足に障害が残り衛士を引退することとなった。
スターリングはリノアを恨まなかった。
無茶はしないでくれ、と言い残して彼は飄々と衛士を去った。
しかしそれで収まらないのは同僚であった仲間たちである。スターリングはリノアのせいでとばっちりを食ったようなものだ。
部下たちのリノアに対する態度が多分に侮蔑を含んだものとなったことを、リノアは全く気づかなかった。
それどころかなまじ腕が立つせいか単純で無駄に行動力のあるリノアは、次々にさらなる問題を引き起こしていく。
「――――悪は滅びろ!」
「ぷげらっ!」
「ぎゃあああああっ! 手が! 手が降ってきたああああ!」
ひったくりの男の腕を容赦なく斬りおとしたかと思うと――――。
「ダメじゃないか! 君みたいな子供が犯罪に手を染めちゃいけない! 少しだけどこれを持っていきなさい」
「ありがとうお姉ちゃん!(へへっ! ちょろいぜ)」
「あのぅ……今の子、常習犯なんですけどうちの補償は?」
「子供は国の宝です! どうして更生のために力になってあげようと思わないんですか!」
一事が万事この調子で偏りすぎる独断と偏見で振り回されるために、部下どころか町の住民からも騎士の評判は地の底まで落ちきっていた。
いくら鈍いといっても目線を逸らされたり、返事を返してもらえなかったりすればリノアでも嫌われていることくらいは気づく。
それでもなお、任務に対して忠実であろうとするのを止めることはできなかった。
もう頼るべき家族もなく、騎士である自分を除いたらリノアには何も残らないからだ。
「私一人でも、絶対に守って見せる……早く案内してちょうだい」
――だからこそ、目撃者を名乗る男がいやらしく嗤ったことも、衛士の男が軽蔑したようにすべてを察した目で見つめていたことも、リノアは知らなかった。
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