第42話 討伐依頼その4
「…………ほう」
迫りくる殺意の気配を察して、シトリは口元を歪めた。
先日の人間は楽しい遊び相手だった。
とりわけあの魔法士はなかなか面白かった。攻撃力、判断力ともに人間としては上の部類に入るだろう。
それに仲間を逃がすために最後まで戦いを長引かせようとしてくれたのも実にいい。
おかげでシトリの加虐欲求はひとまず満足した。
できればあのとき逃がした人間が、またやってきてくれれば面白いな、とシトリは思う。
そのためにシトリは殺した魔法士の首を大事に保存してある。
これを見せたときの、あのときのクレリックらしき女の表情を想像するだけでシトリの血は滾った。
「さあ、この俺を楽しませろ。人間よ」
豹頭を揺らしてシトリはニンマリと笑み崩れた。
迷宮はその規模に応じて多種多様な魔物を生み出すが、ごく一部だけ一度しか生み出すことのできない高レベルの魔物がいる。
アイアンオークは殲滅されても、すぐ翌日には湧いて出るが、シトリはそうはいかない。
こうした一度だけ、しかも単体で現れる魔物で上位存在を魔神オリジナルと呼び、中位以下を魔神の眷属クランと呼ぶ。
シトリはその眷属クランでも最上位に近い存在である。
本来、金級の探索者が複数全力で戦わなくてはならない相手だ。
しかし下層攻略がようやく始まったばかりのマクンバに金級探索者はいない。
シトリはこの迷宮で己の誕生を自覚した瞬間から、自分を倒せる存在がいないことに気づいていた。
そう、少なくともこのときまでは――――。
「…………なんだあれはっ?」
魔神の眷属たるシトリほどの者が思わず目を擦る。
迷宮を埋め尽くす数百のゴーレムの群れは、彼をして夢ではないかと思わせるには十分だった。
時間は少し前に遡る。
四十六階層に到達した松田は、シトリとの対決を前にディアナに尋ねた。
「確かシトリってのは豹の頭にグリフォンの翼を持つ魔神の眷属と言ったっけ」
『はい。性残忍で男と女を操り、絶望させることを好みます。おそらくあの地雷女も、シトリのそうした影響にやられたのでしょう』
「地雷女って……」
『違うとでも?』
「いや、まあ行動は地雷そのものなんだけどね……」
たとえ異世界でなく松田のいた日本でも、無自覚な善意の押しつけほど性質たちの悪いものはなかった。
自分を下の名前で呼ぶOLも新人なら許そう。しかしお局様は許さない。絶対、絶対にだ。
――いやいや違う、それはただ天然なだけだ。
そうではなく、地獄への道は善意で舗装されているという言葉があるが、善意による行動はリスクマネージメント的に予想がしづらいのである。
大事な書類だから、と見つかりにくいところに書類を仕舞ったまま盲腸で入院してしまった社員のために、全社をあげて書類探しをしたことを思い出して松田は思わず遠くを見つめた。
ああ、そういえば会議中だから電話は繋がないでと事務の女の子に言っておいたら、グループ代表からの電話を取り次がずに切られて、あとから死ぬほど怒られたこともあったっけ。
『主様! お気を確かに!』
「へへへ……今日こそは俺、定時で帰ってア〇カツス〇ーズ観るんだ……」
『落ちついて現実を見てください!』
松田が勝機を取り戻すまで、貴重な五分ほどの時間が必要であった。
「正直すまんかった」
『…………シトリは魔神の眷属ではありますが、その力は最上位に近く、ずる賢くて並みの魔法ではかすり傷しかつけられない魔法抵抗力を誇ります』
とりあえずスルーすることにしてディアナは切り出した。
「ディアナでも難しいのか?」
『もちろん固有魔法オリジナルスペルを放てば塵も残さず殲滅できますけど…………迷宮の被害を考えなくてよいならば』
あまりに破壊力の大きい魔法を打てば、下手をすると階層崩壊が起こる。
ディアナは自立した秘宝ではあるが、その制御や魔力に関し主人である松田のレベルの影響を受けてしまうので、いまだ基本的には中位までの魔法しかつかえない。
中位魔法でも傷を負わせることはできるだろうが、致命傷には程遠いはずであった。
シトリ戦における打撃戦力として、ディアナは補助程度に考えておかなくてはならないだろう。
「物理耐性はどうなんだ?」
『アイアンオークよりは上でしょうが、ゴーレムで傷つけられないほどではありません。両手剣持ちゴーレムなら攻撃力としては十分でしょう』
「問題は空中に逃げられた場合だな…………」
やはりグリフォンの翼を持ち飛行能力があるのは脅威である。
松田の率いるゴーレム部隊の大半は地上部隊で、実のところ松田は飛行型ゴーレムを操るのを苦手としていた。
飛行するという感覚がうまくイメージできないからだ。
「ゴーレム二百体と同時だとグリフォンは……四体くらいか?」
松田は最大三百体のゴーレムを制御できるが、大型で飛行するグリフォンは著しく数が限定されてしまうようであった。
『主様の防御のためにも飛行ゴーレムは必要です』
「これ以上数は削れんか」
個体性能を重要視すれば運用数が限られる。
数か質か、松田はえてして質が数によって補えるどころか凌駕することを経験的に承知していた。
「――――召喚サモン、ゴーレム」
降りた先で待ち伏せされていては目も当てられない。
グリフォンとゴーレムの軍団を召喚し終えた松田は軽く頷くと、ステラとともに四十七階層へと続く階段を降り始めた。
――――広い。
四十七階層を見た感想はまずその一言に尽きる。
しかも巨大な塔のごとき突起があちこちにあって視界を遮っていた。
下手なトラップはなさそうだが、魔物が奇襲を仕掛けるには絶好の地形といえる。
特に人数の少ないパーティーは、最初の一撃で要を失うとそれだけで詰んでしまうので危険性はさらに大きいと言えよう。
「…………ディアナ」
『残念ですが探査にかかりません。さすがは眷属最上位ということでしょうか』
「厄介だな」
『申し訳ありません』
「俺のレベルが低いせいだ。気にするな」
松田はゴーレムを偵察部隊と主力部隊、護衛部隊に再編すると、偵察部隊に行動を命じた。
「行け!」
十体ずつ、四隊に分かれたゴーレムは放射状に散らばって付近の捜索を開始する。十体もいればオークやオーガ程度の魔物には十分対処できるからだ。
「ガウウウウウウッ!」
「ゴワアアアアアアッ!」
そこかしこで魔物との遭遇戦が始まった。
アイアンオーク以外にも、ツインウルフやサンダーバードが群れとなって襲いかかるがゴーレムには通じない。
まず数で勝り、倒されたはしから松田が再召喚してしまうのだから、魔物にとっては悪夢にしか見えなかったであろう。
遭遇する魔物が増えても松田を守るゴーレムの堅陣は小揺るぎもしない。
がっちりと松田を守る親衛隊ともいうべきミスリルゴーレム、およそ二十体。そして上空を警護するグリフォンゴーレム四体。
劣勢に立たされた魔物が敗走しても、決して無理な追撃はしない。
一定の距離を保ったまま、ゴーレム軍団は互いの連携を絶やすことはなかった。
『…………主様』
「わかっている」
先刻からの魔物による波状攻撃は、おそらくはシトリによって仕向けられたものだ。
迂闊に防御がおろそかになれば、そこを狙って奇襲しようという魂胆だったのだろうが、ゴーレムは一体一体が松田によってコントロールされている。
松田をおろそかにして目先の魔物につられることはありえない。
「――――塵芥に等しき人間にしては知恵が回るではないか」
むしろそれが愉快でたまらない。
虫をいじめる子供が、虫の抵抗を喜ぶような笑みを浮かべ、ついにシトリは姿を現した。
手ごわいかもしれないとは思っても、シトリには松田を相手に勝利することを微塵も疑っていない強者の余裕がある。
軽く腕を一振りしただけで、偵察用のゴーレムが一体音を立てて砕け散った。
「へっ。レアアイテムの素材さんがよく言ってくれる」
「口の利き方を知らないらしいな?」
そう言っている間にも、ゴーレム軍団は着々とシトリの包囲網を造り上げていった。
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