第41話 討伐依頼その3
四十階層以降ともなると階層の広さは上層、中層の比ではない。
その広さの中には、魔物にとっての日常があり、生活というものがある。
いかに魔物といえど、二十四時間ただ戦いだけに生きているわけではなかった。
働き続ければ腹が減り、夜になれば横になって眠る。
魔物は死ねば迷宮の魔力が補充するものだが、生まれた魔物には感情があり、長い年月を生き延びた魔物のなかには家庭を持つものすらいた。
「ブヒヒ? (なんだ?)」
「ブブーブブー(貴方、怖い!)」
「ブヒブヒ、ブヒ! (安心しろ、探索者なんかにお前は触れさせない!)」
鋼のように固い皮膚を持つことで知られるアイアンオークのカップルは、彼方から聞こえてくる地響きを不安そうに見守っていた。
「ブブヒイイッ? (あれはなんだ?)」
ゴゴゴ、と地面を揺らす正体は、百体を超すゴーレムの集団であった。
一糸乱れぬ粛然とした統率ぶりは、集団というよりは軍隊であり、アイアンオークほどの魔物をもってしても脅威である言わざるを得なかった。
「ブーブー! ブッヒイイ! (斧を取れ! 愛する家族を守るため戦うのだ!)」
「ブヒブヒヒィ! (おおおおおっ!)」
およそ三十体ほどで構成されたアイアンオークの群れは、雄たけびをあげて吶喊する。
二メートルを優に超える巨躯と、その体に相応しい体重、さらに鋼鉄をも引き裂く膂力を持ったアイアンオークの突撃は壮観であった。
しかもそれが三十体となれば、トップパーティーであった北極星ポラリスでも油断のできる相手ではない。
「前列、防御!」
松田は短く指示を下した。
巨大なタワーシールドを地面に突き立てて、前列のゴーレムたちは重心を低くして防御態勢をとる。
怒涛の勢いで身体ごとぶつかってきたアイアンオークを、ゴーレムたちは見事に食い止め、逆に押し返した。
「ブ、ブヒィ? (そんな馬鹿な?)」
オークは力比べで人間に負けたことがなかった。
北極星ポラリスの盾役リューベックでさえ、正面から力比べをすればまずオークには敵わない。
彼らが容易くオークを降せるのは、技術と戦術で圧倒的に上回っているからだ。
それが真っ向勝負の力比べで押し負け、オークたちは一様に困惑した。
さらに困惑を深めたのは彼らが初めて経験する集団戦闘である。
探索者はパーティー同士で協力するとしても、せいぜいが二、三パーティーにすぎない。
百体以上の圧倒的多数と戦う経験などあるはずがなかった。
「後列、射撃開始!」
「フゴ、フゴゴゴッ! (いかん! 避けろ!)」
タワーシールド装備のゴーレムに隠れていた三列目のゴーレムから、雨のように矢が放たれた。
至近距離からの射撃にたちまち大量の矢がオークに突き刺さるが、そこは鋼の肌を持つアイアンオークである。
致命傷となるほどの怪我を負ったオークは一体もいなかった。
むしろある程度の怪我は、オークたちの戦意を掻きたてたと言ってもいい。
「ブホオオオオオッ! (よくもやってくれたな!)」
だがそうした怒りを乗せた突撃も、鉄壁の防御を突破することは適わなかった。
ゴーレムのタワーシールドは隙間がなくぴったりと並べられ、しかもオークより数が多い。
隣り合うゴーレム同士がお互いを支えあっているので、バラバラに体当たりするオークの攻撃では小揺るぎもしなかった。
なんの工夫もなく押し込んだオークは、再びゴーレムの強固は防御を突破できず押し返されてしまったのである。
人間を真っ二つに切り裂く巨大な戦斧も、重厚なタワーシールドの装甲の前に虚しく金属音を鳴らすだけ。
勝手の違う戦いにオークたちは困惑し、次の行動を迷った。
「中列、挟み込め!」
オークたちが行動を停止した一瞬の隙をついて、左右から両手剣装備のゴーレムが見事な機動で襲いかかる。
最初は面食らったオークも、乱戦は得意とするところと気勢を上げた。
「フゴ! ブヒイイイッ! (嘗めるな! 返り討ちだ!)」
「前列、押せ!」
松田の命令一下、前列のゴーレムは地面に突き刺していたタワーシールドを引き抜き、肩を預けるようにして前面のオークに叩きつけた。
シールドバッシュである。
左右のゴーレムを迎撃しようとしていたオークは、この側撃をまともにくらい、その巨体を数メートルほどの吹き飛ばされた。
「ブヒブヒ、ブブー! (しまった! 嵌められたか!)」
飛ばされて踏ん張りの利かないオークに、ゴーレムの両手剣が振り下ろされた。
さすがのアイアンオークの肌も、巨大な両手剣を防ぐほどではない。
体重の乗った両手剣はゴーレムの膂力も加わって、見事にアイアンオークを骨まで断ち切った。
「ブヒイイイイッ! (あ、あなたああっ!)」
「ブーブブー! (せめてお前だけでも逃げろ!)」
「ブヒ、ブブヒヒヒッ! (いやよ! 死ぬときは二人一緒よ!)」
「ブブ……ブヒッ(もう一度生まれ変わったら、必ず君と巡り合おう)」
「ブヒィ(ええ、きっと)」
オークの男と女は潤んだ視線を交わしあった。
そこにいかなるドラマがあったとしても、ゴーレムが攻撃を躊躇する理由にはならない。
哀れなオークのカップルは互いの手を握り合ったまま、抱き合うようにして全身にゴーレムの剣を浴びて絶命した。
「…………なんであのオークは手を握り合ってるんだ?」
「わからないです。とりあえず魔石はいただくです。わふっ!」
魔石絶対にいただくウーマンと化したステラは、元気よく屍となって横たわるオークに向かって駆け出して行った。
明日にも迷宮は失われたオークを新たに補充するだろう。
人間と違い、彼らは迷宮の魔力の産物なのだから。
そのなかに引き裂かれたひとつのカップルが生み出されるかどうかは神のみぞ知ることである。
「集合! 三列横隊、進め!」
オークと相討ちに斃れたはずのゴーレムも、松田の魔力によって修復されたちまち戦列に復帰する。
そして再び不死の軍団は前進を開始した。
松田が四十五階層を突破したのはそれから一時間ほど後のことであった。
「やっぱり戻っていないのですね?」
「ああ、それがどうかしたのかい? ギルド長が許可したんだろう?」
階層エレベーターに続く通路の守衛に松田が戻っていないことを確認したアイリーナは、つい松田の口車に乗って引き返してしまった自分を呪った。
もともとあの男はやむにやまれぬ事情があって、パーティーを増やすわけにはいかないと言っていたではないか。
うまく口裏を合わせてアイリーナが帰るように仕向けたのであろう。
「まさか追いかけようってんじゃねえだろうな?」
「あの人はたった二人だけでシトリを討ちにいかれたのですよ?」
「だから言ってるんだ。あんな野郎が四十七階層までたどり着けるはずがねえ」
北極星ポラリスですら四十階層から四十七階層まで踏破するのに数か月以上の時間を費やしたのだ。
ギルド長からマップ情報を提供されている可能性はあるが、それでも松田が四十七階層に到達できるとはメッサラには思えなかった。
「いけません! なおさらお助けしなくては!」
「だあああっ! なんでそうなるっ!」
アイリーナは松田の力と自分の力を合わせれば、四十七階層へと辿りつけると脳内変換したらしかった。
思えば以前から思い込みの激しい女ではあったが、リーダーの言いつけはよく聞くから問題は発生しなかったのだ。
まさか手綱を取る人間がいないとここまで厄介な女であったとは。
メッサラは頭を抱えた。
「シトリの討伐を引き受けた探索者はマツダ様だけ。ここでマツダ様を失えばマクンバの探索者の名折れです!」
「だからじきに金級が来てシトリなんかぶっ殺してくれるって言ってんだろっ!」
「それはいつですか? 引く手あまたの金級探索者が辺境のマクンバにきてくれるまで、どれほどの時間が必要だと思うのです?」
「そ、それは――――」
金級以上の探索者はほんの一握りの選ばれた人材であり、彼らを必要としているのは決してマクンバだけではない。
支払う報酬によってはマクンバへ救援がやってくるのは一年先ということもありえた。
だがそれがどうしたというのだ。
勝てない相手に挑んで無駄死にしてよい理由にはならない。
「…………私のわがままだということはわかっています。それでもっ、私はあれを倒さなければ先に進めないのです!」
「確信犯かよっ! くそっ!」
天然かと思っていたら確信犯だった。
アイリーナはシトリ相手に勝ち目が薄いことも、負ければただの犬死にであることも承知していたのである。
それはすなわち、説得の効果がないことを意味していた。
「これまでありがとうございました。もう、止めないでください」
身をひるがえして階層エレベーターへ向かうアイリーナを、メッサラは地団駄を踏んで追いかけた。
「メッサラ?」
「いくら神聖魔法の防御結界があっても一人で四十七階層までいけるわけないだろうが!」
憤然としてメッサラは、アイリーナの柔らかな手を取ると呟いた。
「まったく厄介なやつだな! 惚れた弱みってやつは!」
「ええええっ??」
人知れず摘み取られた悲しい恋もあれば、新たに花咲こうとしている恋もある。
「ブヒブヒブヒイイ! (ふざけんなあああ!)」
草葉の陰で何かが叫んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます