第34話 酒場にてその2
小一時間ほど飲み続け、大分酔いが回ってきたころである。
「それにしても
大きな顔を紅潮させ自慢のひげをアルコールで濡らしたドルロイは、からかうように松田の肩を叩いた。
「必要に迫られまして」
「目標が大きいのもいいが、そうさな、ひとつ面白くもない話をしてやろう」
景気をつけるようにぐっと杯を呷り、ドルロイはおもむろに話し出す。
「あるところに一人の鍛冶師がいた。そいつの父親も腕のいい鍛冶師でな。いつか父親の背中を超えてやると腕を磨き、いつしかそいつは一族でも一、二を争う鍛冶師となった」
遠い目をしながらドルロイはマスターにおかわりを要求する。
杯の表面張力いっぱいに注がれた麦酒を一口すすって、ドルロイは続けた。
「一族だけでは足りない。もっと高く、もっと大きな立場になろうとそいつは研鑽をつづけた。来る日も来る日も鍛冶に打ち込み、そいつが三十を超えることだ。ついにとある王国から招聘を受けるまでになった」
鍛冶師にとって最高の地位があるとすれば、それは同族社会における五槌であり、現世的な意味においては国家鍛冶師長であろう。
国家権力によって湯水のごとく研究に金を注ぐこみ、国内の鍛冶師を統制する立場である。
そんな立場に若くしてなった男は、ますます鍛冶にのめりこむ様になっていった。
男が鍛えたとなれば、その剣は目を剥くような金額で売れた。
どれだけよく斬れるか。
どれだけ貴重な素材を使うことができるか。
どれだけ効率的に殺戮を行うことができるか、それだけがいつの間にか男の目的になっていった。
男の造る武器があまりに見事であるために、王国はやがて領土的野心まで持ち始めた。
――――そして戦争。
しかし上級指揮官にしか行き渡らなかった武器では、勝敗を左右するほどの戦力とはならなかったらしい。
とはいえ全く効果がなかったというわけでもなく、王国はやや優位な条件で講和することに成功した。
男はますます自分の腕に自信を深めた。
やがて親しいものの言葉にも耳を貸さなくなり、周囲の評判も気にも留めなくなった。
そんななか、一人の女性が男のもとを訪れた。
それは幼なじみの女性であった。
女性は男に、いい加減目を覚ませ、と言い放った。
「だがそいつは女の言葉に目もくれなかった。聞くに堪えない罵声を浴びせ、鍛冶師の修行のためには邪魔でしかないと断じた」
ならばこの手で男の間違いを修正してみせる。
意を決した可愛らしい幼なじみの言葉を、男は嘲笑った。
今や全世界に鳴り響こうという男の名声、それに比べれば幼なじみの地位など吹けば飛ぶようなものにすぎなかった。
「そいつが鍛え上げた最高傑作。それは迷宮から発見された竜の骨を使った大剣だった。少し脅してやろう。そんな軽い気持ちでそいつは剣を振るった」
ところが女性は全く退く気を見せなかった。
全身を切り傷と打撲で満身創痍となりながら、女性は剣に立ち向かった。
男にではない。真正面から剣に立ち向かっていったのだ。
「おそらく素人に毛が生えたような男をぶん殴ることぐらいは容易いことだっただろう。でもそれでは男の迷妄は覚めない。男のよりどころである剣をどうにかしなければ」
女性は死を覚悟した。命そのものを投げ出すような、後先を考えない最大の一撃にすべてを賭けるつもりだった。
信念と命を乗せたその一撃は、ついに男が世界最高と信じた大剣を打ち砕いた。
「目が覚めたそいつはひどく後悔したそうだ。幼なじみの母親は、そいつの造り出した剣を高い金で買った貴族のどら息子に殺されたってんだからな」
穴があったら入りたいとはあのことを言うのだろう。
同時に男は、幼なじみのひたむきで純粋な優しさに惹かれた。
どの面下げてとは思ったが、土下座して幼なじみの旅に付き合い、十年かけて彼女を口説いた。
剣には勝った彼女も、男の一途な恋情には勝てなかった。
「――――なるほど、リンダさんのほうから言い寄ったとは思えなかったから妥当なところですね」
「ななな、なんで俺だとわかった?」
「いや、話の流れでわからないほうが難しいから」
ハープレストにも突っ込まれドルロイはますます顔を赤くした。
それは決して酒に酔った赤さばかりではなかった。
どうやらリンダさんに頭が上がらないのは、必ずしも彼女の腕がたつだけではないらしい。
「――――貴様の心がどこか壊れるのはわかっている」
ドルロイの真摯な言葉に松田は笑っていたのも忘れて青くなった。
まさかそんな内面までドルロイに見抜かれていたとは思わなかったのである。
「俺も鍛冶以外が目に入らず、ほかのすべてを見下していたことがある。お前がそうだとは思わんが、心の揺れ幅が少なすぎるな」
「…………どうしてそんなことがわかるんです?」
これまで誰にも見破られたことのない松田の心の闇であった。
ディアナやステラでも、あの迷宮での出来事がなければ今もわからぬままであったろう。
「酒は心の潤滑油じゃ。本当の酒飲みなら心の在り方ぐらいわかるわい」
こんな酒の飲み方があったのか、と松田は後頭部を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
よく考えれば、会社の付き合いと憂さ晴らし以外で酒を飲むのは初めてであったかもしれない。
「飲め飲め、お前にはちょいとばかり多めに油が必要じゃ」
それから数時間の時間が経過し、三人の男たちの酔い方も、かなり末期的な様相を呈し始めていた。
「らかられすね。女性の魅力は胸ではないんですよ。偉い人にはそれがわからんのれす!」
「ご主人様は女性の一番どこが好きなのですか? わふ」
「やはり一番は顔れしょうね。バランスも大事れす。体形はスレンダーなのがいいような気がするのエルフらからでしょうか?」
「まだまだ甘いな! マツダ!」
こちらは活舌こそ鈍っていないが目が盛大に血走り、顔は今にも火を噴きそうなマグマのように赤いドルロイである。
「あの控えめで小さな乳の愛らしさをわからんとはっ! あれだけでもう、わしはご飯三杯はいける!」
「胸に貴賤はないと言っているのがわからないかなあ?」
ハーレプストもこちらはこちらでかなり怪しい酔い方であった。
なにせ顔色はほとんど変わっていないし、口調もそのままなのに、なぜか明後日の方向に向かって話している。
今彼がこんこんと教え諭しているのは酒場の胡蝶蘭が飾られた鉢植えであった。
『なら私は貧乳でなくてもいいですよね?』
「うんにゃ、ディアナは貧乳。某、竜を跨ぐ魔導士もそう言っている」
『誰なんですかそれはあああああっ!』
どうやら松田のディアナは貧乳というイメージはかなり強固なものであるらしかった。
「ご主人様! ご主人様の好きな顔ってどんなのです? わふ」
ステラは松田の膝の上に乗ると瞳を輝かせて尋ねた。
「そうらな~~。可愛くてちょっと意地悪したくなるくらいのが好みかもな」
「ステラはっ? ステラは意地悪したくなるですか? わふ」
「ステラはたまにとっても意地悪したくなるぞ?」
「わふふぅっ!」
『ちょ、ちょっとステラ! 主様が酔っぱらってるからって調子に乗ってるんじゃないの?』
ちろりとディアナのほうを見やってステラはふふん、と不敵に哂う。
こちらもりんご酒でいい具合に酔っているようであった。
そんな松田たちの会話をよそに、今度はハーレプストがやにわに立ち上がると、壁に向かって何やら演説を開始した。
「女性の美というのは刹那の瞬間にあるのだよ。僕はそれを永遠に保存しておきたいんだ! 女性の花の盛りは短いっ! 短すぎる! なぜそれがわかってもらえないんだ?」
「甘い! 甘いぞ兄者! 移ろいゆく中にも女性の美しさはあるのだ! 刹那だけで女の美しさが語りつくされてたまるか!」
血走った目で瞬き一つすらせずドルロイは絶叫する。
「年月を重ねて侘びた風情を醸し出すような器と女性は違う。垂れた胸とくすんだ肌を移りゆく美とは認めないね!」
今度はステラに向かって説教を始めたハーレプストは軽くステラに鉄拳制裁を食らっていた。
「ぬおおおおおおっ! 認めん! 認めんぞおおお!」
「馬鹿め! リンダの魅力は歳を食った程度では衰えんわ! 若い頃よりちょっぴり肌の張りは落ちたが、まだまだいっしょに風呂に入れば水を弾くぞ? ピチピチじゃ!」
「てかまだいっしょに風呂入ってのかおっさん!」
「ぐわっはっはっ! 夫婦円満の秘訣のひとつじゃわい」
勝ち誇ったように笑うドルロイにビシッと指を突きつけ、ハーレプストは弾劾を開始した。
その姿はまさに異議あり! というところか。
「語るに落ちたな! 今まさにお前はリンダの肌の張りが落ちたと認めたのだぞ!」
「これだから独身者は困る。張りの落ちた柔らかさもまた女の味というものじゃ。なあ、リンダ…………えっ?」
その瞬間時が止まった。
ドルロイはもちろん、ハーレプストも松田もせきとして声が出ない。
いるはずのない人物が小さな肩を震わせていたからだ。
「いつまでも帰ってこないから迎えにきてみればこの宿六は…………」
「えええっ? なんで? リンダなんで?」
羞恥に頬を染め、かつては竜の骨すら叩き折った鉄拳をリンダは固く握りしめる。
「おらっ! 男ども! 辞世の句を読め! 女の歳の話をする奴は地獄に落ちるってことを教えてやる!」
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