第29話 悪意の罠
「まずは三十六階層の突破おめでとうございます」
うっすらと笑みを浮かべてメイリーは丁寧に腰を折る。
探索者には珍しい紳士的な態度と温厚な性格でメイリーは知られていた。
だが、その実、迷宮での戦闘は苛烈を極め、強さというものに対する貪欲さは狂的でさえあるとシェリーは知っている。
彼女は以前のパーティーにいたときに、メイリーと合同で討伐に当たった経験があったからだ。
「ありがとう、と言っておこう。いい思い出にさせてもらうよ」
そうだ。思い出にしなくては。
夢を見ちゃいけない。自分にそれは許されることではない。
そんなシェリーの葛藤がメイリーには手に取るようにわかった。
凛とした雰囲気のシェリーではあるが、まだ若く腹芸のできる性格ではない。そんなシェリーの内心を読むなど造作もないことだ。
「思い出などともったいない。私は貴女のような探索者を失うのはマクンバの損失だと思っているんですよ」
「……残念だが縁がなかったということさ」
苦虫をかみつぶしたようなシェリーの口調に、メイリーは決して気づかれぬよう、ニタリ、と嗤った。
「私が貴女の借金を肩代わりしましょうか?」
「何――――?」
不覚にもシェリーの心は揺れた。
なんの意図もなくメイリーが大金を払うはずがないということがわかっていても、ふと目の前にぶら下げられた希望から目を逸らすことはできなかった。
「もちろん、無料ただというわけにはいきませんがね」
「私の借金がいくらかわかっているのか?」
確かにメイリーは下層探索者として、シェリーなど及びもつかぬ大金を持っている。
だからといってシェリーの借金をやすやすと払うほどとは思えなかった。
「…………私は
くつくつと引き攣れるように笑って、メイリーは自慢げに腕輪をシェリーに掲げて見せる。
「この腕輪は保有魔力を三割増幅してくれる効果があります。手に入れるのに苦労しましたよ? 伝説級とまではいきませんが十分最上級の価値があるでしょう」
一割の増幅量でも稀少であるのに、三割ともなればこのマクンバでも所有しているのはおそらくメイリー一人であろう。
「これを私が買った金額は金貨二百五十枚です」
「二百五十枚っ?」
「貴女の金額もそのあたりでは?」
確かにメイリーの予想は正しかった。といっても器量のよいシェリーの価格はメイリーの想像より少し高い。
金貨三百枚。現代的な感覚では安いと思われるかもしれないが、マクンバではむしろ破格の値段であった。
もっとも全額使ってしまったわけではなく、百数十枚程度は今後の生活資金として母の手元にある。
「だとしたら何だというのだ?」
シェリーはメイリーの好きな秘宝ではない。
メイリーが何を言わんとしているかわからずに、シェリーは苛立たし気に吐き捨てた。
「――――彼の持つ杖に疑問を抱いたことはありませんか?」
「マ、マツダ殿のか?」
魔法に関してさほどの興味のないシェリーは、マツダの規格外ぶりは彼らがエルフであるからだと思っていた。
「あの杖ほどの秘宝を私はまだ一度も見たことがありません。一見ただの木製に見えるかもしれませんが、そんなはずはない」
むしろあれはフェイク――――伝説級の秘宝であることを隠すための偽装だ。
「彼の魔法は常軌を逸している。あのレベルのゴーレムを一日中維持する? そんなことができるなら私は大火力魔法を打ち放題ですよ」
下層攻略者のメイリーにして大火力魔法は一日二発程度、汎用魔法でも三、四十発も打てば魔力が底をつく。
だからこそ下層攻略パーティーは、隔絶した武力を持ちながらもなかなか先に進むことができない。
限られたリソースで戦わざるをえないのを、誰より実感しているのが魔法士という職業であった。
「いくら彼がエルフでも絶対にありえない。エルフの魔力なんてせいぜい人間の倍にすぎないのです」
「その理由があの杖だというのか?」
「私はそう考えています。つい先日、彼の杖を奪おうと浮浪児ストリートキッズを使ってみたのですが」
「あれは貴方の仕業だったのか!」
まさにその襲撃で松田と出会ったシェリーは思わず声を荒げた。
「その浮浪児は杖に触れようとしただけで電撃を食らいました。伝説級の秘宝にはよくあることですが、主人として登録した者以外が触れると攻撃魔法が発動します」
実際はディアナが他人に触れられるのを嫌がって魔法を使ったのだが、さすがのメイリーもそこまで想像は及ばなかった。
彼の知識では秘宝に人格と意思があるなど想像の埒外にあるものだった。
「できれば彼にはあの杖を売っていただきたいのですがね。他人に触れさせることすら許さないのではそれも無理でしょう」
メイリーの瞳がどんどん狂気の炎に包まれていく。
あれほどの伝説級の秘宝を持つのに松田は相応しくない。
あの杖は自分が持つべきものなのに、大人しく譲らない松田が悪いのだ。
問題は――――
「主人として登録しなければ奪うこともできない。ならば方法はただひとつ、主人に消えてもらうしかありません。そうでなければ新たな主人を登録することはできない」
「貴方は何を言っているんだ!」
暗に松田を殺すことをほのめかすメイリーにシェリーは激高する。
彼女にとって、松田は鼻つまみ者である自分に探索者としての最後を全うさせてくれた恩人に等しいのだ。
彼に対する理不尽な敵意には怒るだけの義理があった。
「――今さら綺麗ごとを言うな」
魂が凍りつくような冷たい声であった。
温厚に見えた仮面を脱ぎ捨てて、メイリーはいよいよその本性である毒を纏った口調をあらわにした。
「自分の都合で仲間を殺した人間が何を言う! 聞いたか? ダリウは死んだぞ!」
田舎に帰ったとばかり思っていたかつての仲間。
自分をその身を挺して助けてくれた青年の姿を思い出して、シェリーは絶句する。
「仲間の人生を狂わせ、人知れず自殺したことすら知らず、貴様は人として何を誇ろうというのだ? 自分はそれでも高潔な人間だとでもいうつもりか?」
「やめてくれ! ――――お願い、やめて!」
頭を抱え、泣きながら座り込んでしまったシェリーに、メイリーは優し気な口調に戻って諭すように言った。
「何も貴女に彼を殺せなどと言ったりはしない。ただ、ひとつだけ彼に教えずに逃げてくれるだけでいいのだ」
「――――教えない?」
「四十階層を突破すれば、あれがでる」
その瞬間、シェリーはメイリーが言わんとしていることを理解した。
四十階層には初見殺しの罠がある。下層を目指す探索者ならば、残らずそれを熟知しているが、松田は知るまい。
「それができれば、君の借金はすべて帳消し。知り合いの錬金術師に君の母親の便宜を図ってもいい。よく考えておきたまえ。最終日の前の晩にもう一度君に聞くとしよう」
答えなど最初から決まっているだろうが。
――――メイリーは人が免罪符さえ得られれば、どんな善人もたちどころに悪魔に変わることを熟知している。
特にシェリーのように家族思いで上昇志向の人間こそが、その誘惑に弱いのだ、とメイリーは嗤った。
翌日からのシェリーは明らかに精彩を欠いた。
なんでもない攻撃を受け損なって、危うく怪我をしかけたのも一度や二度ではない。
シェリー自身初めて経験する階層でもあるせいか、攻略の速度は目に見えて低下した。
まるであえて攻略の速度を落としているかのようであった。
「すまない、大きな口を叩いておいて……」
今日も四十階層に到達できずにすっかり気落ちしたシェリーが、がっくりと肩を落とす。
「十分ですよ。それにいよいよ明日は四十階層です。有終の美を飾るにはちょうどいいじゃありませんか」
「…………ああ、そうだな」
明日は約束の一週間目、シェリーが奴隷へと落ちる前の最後の日だ。
三十八階層あたりから、一日の収入は金貨六枚を超えた。
年老いた母が生涯を暮らす程度の貯蓄としては、すでに十分なものがある。
それとは別に、この楽しい時間が終わることをシェリーはどうしても受け入れることができずにいた。
今日はステラがレベルアップした。
屈託なく笑うステラの得意そうな笑顔がまぶしかった。
松田と彼女の未来は輝いている。それなのに自分は過去も未来も真っ黒で一筋の光すら射すころはないのだ。
――――自業自得だ
そう強く思わないと誘惑に負けてしまいそうになる。
これ以上ステラの幸せそうな顔を見ていてはいけない、とシェリーは足早に家路を急いだ。
――――今日だけはもっと早く帰るべきであったとシェリーは後悔することになる。
住み慣れた家には、あのメイリーの姿があり、傍らには娘が奴隷に落ちずにすむと涙を流してメイリーに感謝している母の姿があった。
「明日は頼むよ。お母さんもこんなに喜んでくれている」
シェリーは喜ぶ母にかける言葉が見つからず、魂が抜けたようにその場に崩れ落ちたのである。
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