第20話 穏やかな休息

 アシュレイの傷はそれなりに深いものだったが、俺たちにはたっぷりとした休養の時間があった。

 なにせ、現在のサルナーン地方は寒冷雨期だ。

 どこもかしこも深い雪に覆われていて、ジャルマダを出ることもできない。

 季節の変わり目……温熱乾季が始まる直前までは、ここにいるしかないのだから。


 『竜炎の水晶』が俺に継承され、ヘルカイトが討伐されたことでシギ山の内部はずいぶんと落ち着いた。

 寒冷雨季の影響でサラマンダーの活動も鈍く、ジャルマダの炭鉱夫たちはここぞとばかりに採掘に出かけていく。

 俺たちは、その護衛がてら戦闘経験をつんだ。

 手にした〝気〟の力はよくなじみ、サラマンダー相手ならば俺一人でも倒せるほどに俺は強くなっていた。


 また一つ、人間離れしたと自嘲もしたが、以前のような不安はない。

 リズが俺の苦悩を癒してくれていた。


 一つ不思議だったのは、あの黒装束の男をあれ以降見ていないということだ。

 ジャルマダの人間であれば、また姿くらいは見るかと思ったのだが、あの日以降姿を見ることもなく、ナーシャも普段通りにしている。

 恋人であれば、このタイミングで逢瀬を楽しむものではないかと思うのだが。


 何せ、やがて季節が廻りくれば俺たちはここを発つのだから。


 これについて何か声をかけるべきかと思ったが、リズに止められた。

 恋人にしろ、行きずりにしろ、俺がナーシャの恋愛に口を出すべきではないと。

 幼馴染として、また友人として声をかけるべきかと思ったのだが、同じ女性であるリズがそのように言うのであれば、きっとそうなのだろう。


 それに、言われてしまえば今更だと自分でも思う。

 ナーシャはもはや俺の想い人ではないのだ。


 あれほど深々とした嫉妬をこうも簡単に捨てることができるとは思っていなかった。

 それと同時に、俺は少しばかり戸惑い驚いてもいた。


 今まで妹分だと思っていたリズにこれほど女を感じていることに、だ。

 ほんの数週間前、一緒に温泉に入ってもなんとも思わなかった彼女に、こうも心を支配されるなんて思いもしなかった。

 結局のところ、俺という情けない男は心のよりどころが欲しかっただけなのかもしれない。


「どうしたのです?」

「ああ、リズのことを考えていた」

「……ッ! ヨシュ兄は時々素直すぎるのです」


 照れて笑うリズに、俺も笑顔を向ける。

 この穏やかな時間がずっと続くように戦うのだと思えば、旅の苦しさもなんてことはない。


「次の『風の神殿』はどんな場所なのです?」

「資料によると、ダマヴンド島という場所にあるらしい。リズはしっているか?」

「話は聞いたことがるのです。ハルパイア諸島にある小さな島なのです」


 リズの話によると、冒険者の間ではそれなりに有名な場所らしい。


「噂があるのです」

「噂?」

「『風の神殿』に行けば、死んだ人に会えるらしいのです」

「アンデッドか?」

「そういうのではないようです……。ただ、会えるって噂だけなのです」


 死んだ者の心と魂は風になって世界をめぐる、というのは教会の教えだ。

 春風の訪れを死者を悼む祭事の前触れとするのもそのためで、祖霊たちが春を運んでくると言われている。


 そんな話は教会の作り話だと思っていたが、『風の神殿』の話を聞けばあながちでたらめではないのかもしれない。


「なるほど、それで……か」


 資料には、まるで観光案内のパンフレットにあるようなルートが示されていることに些か違和感があったのだが、納得いった。

 どうやら、『風の神殿』は観光名所のようになっているらしい。

 最後に訪れる神殿が安全そうでよかった。


 いや、最後は『光の神殿』か。

 地水火風の祝福を受けた勇者が、真の勇者になるための試練を受ける場所。

 古の盟約により聖剣を授かる試練だ。


 この聖剣でもってしか、魔王は倒せないとされている。


「ヨシュ兄は会いたい人がいるのです?」

「そうだな。父さんに会ってみたい」


 俺の父は、俺が幼いころに死んだ。

 魔物と戦う高名な騎士で、名誉ある戦いをし、町を守って死んだ。

 寂しい思いもしたが、誇らしくもあった。

 憧れの騎士は? と尋ねられれば、父の名を挙げるくらいに。


「旦那様には、リズもとってもよくしてもらったのです」

「ああ。もし会えたら……二人のことを報告しよう」

「にゃっ……う。もう、今日はびっくりさせすぎなのです。でも、うん。いいと思うのです」

「きっと驚くぞ」


 父を懐かしんで、二人で笑う。

 リズは孤児だった。王都の裏通りで死にかけていたのを、俺が見つけ、父に頼んで保護してもらった。

 今思えば、子供のわがままだったと思う。

 だが、父の子として俺も誇り高くあろうとしたのだ。


 結果、リズは俺の遊び相手兼使用人見習いという形で屋敷に住むことになった。

 兄妹のように育った俺たちは、俺が騎士団に入るタイミングで別の道へ入った。

 俺は騎士となるため、リズは冒険者となって独り立ちするために屋敷を出て……今はこうして一緒にいる。以前よりも、近い距離で。


「懐かしいのです。ヨシュ兄と旦那様はリズの恩人なのです」

「よしてくれよ、リズ。お前は、今も昔も大切な家族なんだ」

「家族なのです?」

「……いまは、恋人、だけど」


 言わされた、と少しばかり恥ずかしく思ったが、リズのご満悦な顔を見ればそれも吹き飛ぶ。


「いろんなところを旅したくて冒険者になったですけど、この度が一番楽しいのです」

「そうだな。俺は、旅に出るなんて思いもしてなかったけど」

「こんな実入りのいい冒険は、そうないのです」


 冒険者らしい言葉を話しながら、リズが満足げに笑う。


「そうだな。路銀は十分だし、帰れば褒賞は思いのままだぞ、きっと」

「はあ、ヨシュ兄はにぶちんなのです」


 俺の鼻を指先で小さく押しながら、リズが微笑む。


「一番のお宝はもう手の中なのです。あとは、それを持ち帰るだけなのです」

「ん?」


 首をひねる俺の顔を見ながらクスクスと愉快げに笑うリズ。

 

「何でもないのです。さ、旅立ち前にジャルマダの温泉をすべて制覇するのです!」

「おう、行こう」


 露店のテーブルから立ち上がり、リズに手を引かれて入り組んだジャルマダの町を行く。通りを抜け、辻を抜け、目的の場所へ。


 ……俺は、もうジャルマダの町で迷うことはなくなっていた。

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