第9話 水の神殿へ

「よし、行こう」


 緊張した面持ちで、俺たちは再度『知恵の院』の扉をくぐる。

 と、いうのも『水の神殿』に入る許可をティナが実家から取り付けてくれたからだ。

 実はアシュレイも、ウィズコの有力魔術師家に話をつけに行ってくれていたらしい。

 おかげで、追い返されたあの日からそれほどかからずに俺たちは再度ここに立つことができた。


「気を付けて行ってきたまえ」

「やっぱりアシュレイは来ないのか?」


 俺の問いに、黒騎士がうなずく。


「勇者の試練だ。案内人が立ち入る場所ではない」

「でも、仲間だろ?」

「うれしい言葉だが、君たちが試練に挑む間に片づけなきゃならんことがある。私の仕事だ」

「わかったよ」


 意固地な黒騎士め。

 だが、ここの試練を超えれば俺はまた一つ強くなるはず。

 この案内人を気取る男におんぶにだっこということもなくなる。


「行ってくるわね、アシュレイ。」

「ああ。ヨシュアが無茶しないように頼むよ」

「言われなくてもそうするわ」


 ナーシャと軽い様子で話す黒騎士。

 ここのところ、これにも慣れてきた。


「また後でな、アシュレイ」

「ああ。健闘を期待する、勇者殿」


 それだけ言ってマントを翻す黒騎士。

 癪なことだが、いちいち絵になるんだよな、この男は。

 アシュレイの背中を見送って、俺たちは『知恵の院』へと足を進める。


「よ、ようこそいらっしゃいました。勇者様」


 ホールまで到着すると、先日の職員がもみ手でもはじめそうな低姿勢で現れた。

 この態度からするに、もしかすると双子の別人って可能性も捨てきれないが。


「先日は誠に失礼いたしました。えぇ、大変に申し訳なく」

「……」


 やはり本人らしい。

 しかし、少しがっかりさせられた。あそこまで大言壮語を語っておいて、ここまで手のひらを返されると、人間不信になりそうだ。

 俺は、それを救わねばならない立場なのに。


「さ、こちらへどうぞ」


 職員の案内で、『知恵の院』の奥へと進んでいく。

 大きな建物だ。王国の城ほどではないが、それでもかなり広い。

 ローブ姿の魔術師や学者たちが忙しく動き回っていて、ここがウィズコの中心だというのを実感させられる。


 これを見れば、なるほど。

 奥に怪しい人間を招き入れたくないというのはわからないでもない。

 ここは、ウィズコの民の命と生活を支える場所なのだから。


「ここから先は、ご案内できません。勇者様御一行のみ入室を許可すると伺っています」

「わかりました。ここまでありがとうございます」


 職員に小さく頭を下げると、彼は慌てた様子で会釈を返して足早に立ち去ってしまった。


「相当絞られたのかな……」


 ティナが走り去る職員を見送りながら、つぶやく。


「少し悪いことをしたかな?」

「いいや。少なくとも彼はボクらにあんな態度をとるべきじゃなかった。いい薬だよ」


 小さく微笑んだティナが閉じられた扉を見上げる。

 巨大な扉だ。古い金属でできている両開きのそれは『土の神殿』にはなかったものだ。


「ここから先が、『水の神殿』か」

「そうみたいだね。ボクもここまで来るのは初めてだ」

「どうやって入るのです? 鍵開けするのです?」


 扉を調べていたリズが、腰から七つ道具を取り出して首をひねる。


「いいや、こうだと思う」


 紋章が浮かび上がった右手で、扉に触れる。

 すると、まるで抵抗なく扉はするりと音もなく開いた。

 扉の形をしているだけで、本質的に扉ではないのだ。


 俺を……〝勇者〟を判別するための装置。


「行こう。試練を、越えないと」


 水音のする扉の先へ、俺は最初の一歩を踏み出した。



「これは、すごいな……」


 しばし暗闇の通路を進んだ俺たちを待っていたのは、巨大な空間だった。

 『土の神殿』が収まっていたバルバロ大洞穴の最奥よりもさらに広い。

 ヒカリゴケがそこかしこに自生しており、空洞の中は松明なしでも視認できるほどに明るいが、その光景には息をのむしかなかった。


「これは、町かな?」

「そうみたいね……。『水の神殿』本殿は、あそこかしら」


 水没した町。

 町の規模としてはそれほどでないにせよ、水面から覗く建物の残骸を見るにそれなりの人口が住んでいたであろう町に思える。

 もしかすると、過去『水の神殿』周辺にできた門前町だったのかもしれない。


「さて、どうするかな」


 先に見える『水の神殿』らしき建物に到達するのはなかなか難しそうだ。

 船でもあればよかったが……。


「リズが経路を探してみるのです」


 俺の袖を小さく引いたリズが小さくうなずく。


「経路って、どうするつもりだ?」

「屋根がいくつか見えているのです。辿って行けば、向こう岸に渡れるかもしれないのです!」

「なるほど。頼んでいいか? リズ」

「もちろんなのです!」


 冒険者であるリズは、こうした古代の遺跡などを探索を生業としていた。

 こういう場所に慣れているのかもしれない。


 するすると屋根を飛び移って進むリズを見守りながらも、俺は淡い光を放つ『水の神殿』を見据える。

 『土の試練』では身体能力を得た。この『水の試練』では、何を得るのか。


 考えると、少し恐ろしくもあるのだ。


 魔王と対峙する勇者。

 魔王を聖滅せしめる勇者。

 

 人の領域をを軽々と凌駕し、蹂躙する魔王に相対する勇者とは、果たして人なのか?

 ただの騎士見習いだった俺が、魔王にたしようと思えば『試練』で得る勇者の力は確かに必要だろう。

 だが、『試練』を超えるたび、俺は人でなくなっていくのではないか?

 その時、俺は人として『俺』を保っていられるのだろうか?


「ヨシュア」


 声をかけてくれたのは、どちらだったろうか。

 ナーシャとティナが俺の両手をそれぞれ握り、笑う。


「大丈夫だよ。ヨシュアは、ヨシュアだから」

「そうとも。たとえ君がどうなったって……ボクらは一緒にいるよ」

「あ、ああ。そう、だよな」


 なぜ、俺の悩みがわかってしまったのだろうか。

 付き合いの長い二人のことだ、俺の悩みがうっかり顔に出てしまっていたのかもしれない。


「ルートを確保したのです! って、あー! ずるいのです! ヨシュ兄とイチャイチャするのは条約違反なのです!」


 柔らかな幼馴染たちの言葉と、騒がしい妹分の声にすっかりと悩みを霧散させて、俺は勇者の本分を全うすべく気合を入れなおした。

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