第8話 勇者とは

 宿に帰るも、アシュレイはまだ帰っていなかった。

 二人で並んでソファに腰を下ろし、小さく息を吐き出す。

 疲労はないが、気疲れは強い。


「帰ってないみたいだね。彼、どこに行ってるんだろう?」

「さあな。わかるものかよ」

「ふふっ」


 ぶっきらぼうになってしまった俺の返しに、ティナが小さく笑う。


「ん?」

「いいや、ボクの前ではあんまり取り繕わなくなったね?」

「もう洗いざらい吐いてしまったし、今更だろ」


 ここのところ、ティナと二人でいるのは俺にとってリラックスできる時間となっていた。

 俺がアシュレイに対していたぢている情けない感情や嫉妬も、全部話してしまっている。

 いくら幼馴染の親友といっても、ここまで自分をさらけ出したのは初めてのことかもしれない。


 だからこそ、二人の時は素が出てしまう。


 今もそうだ。

 頭ではアシュレイを仲間だとわかっていても、感情的にはやはり気に障る部分もあるのだ。


「ティナには感謝してるよ」

「何だい? 急に」


 俺の言葉に、ティナが驚いたような恥ずかしいような顔をして視線をそらした。

 その表情に、幼馴染に抱いてはいけない感情が一瞬湧きあがってしまい、俺も目をそらす。


「いや、な。こうして俺が愚痴を言えるのはティナだけだからさ」

「前はディルの役割だったものね」


 意地悪く笑うティナに俺は首を振る。

 そう、本質的に違うのだ。

 同じ騎士見習で幼馴染のディルとは、男同士という気安さもあっていろいろと愚痴を言い合う仲だったが、それはもっと浅いものだった。

 せいぜい「スープの肉が少ない」、「団長の訓練はきつすぎる」、「いつナーシャに気持ちを打ち明けよう」なんて、いま思えばただの世間話に思えるのばかり。

 自分の弱みを委ねるような……そんなものではなかった。


「なんだか、ティナには情けないところばかり見せてる気がする……」

「そう? ボクは気にしてないよ。君って、いつでも一人で突っ走るところがあるから、頼ってもらえるのはうれしいよ」


 にこりと笑ったティナが、俺の手をぎゅっと握る。


「君の親友として、幼馴染として、仲間として……できることはなんだってするつもりさ。だから、ボクに遠慮はしないでほしい」

「ティナ……」

「あ、夜のお供だけはちょっと覚悟がいるから、あらかじめムード作りを綿密にしてよね」


 冗談めかして笑うティナだが、耳から入ったその言葉が脳で映像になるのにそう時間はかからなかった。

 月に映えるティナの細い肢体を想像して、思わず俺は胸を高鳴らせてしまう。


「ちょ、ちょっとヨシュア⁉ ダメだよ、その想像は!」

「なんでばれた……⁉」

「なんでって……」


 ティナの視線が、ゆっくりと下を向く。

 そこにあるものは、まさに俺の妄想を馬鹿正直に表現してしまっていた。


「わ、わるいッ」

「いや、いいけどさ。もう……」


 困ったように笑うティナだが、握る手には力がこもり、顔は赤くなっていた。

 長らく友人をしていたが、こんな顔を見たのは初めてで、混乱する。

 こんな気持ちを抱くのはナーシャに不義理だと理解しつつも、いまのティナは抱きしめたいくらいに可愛らしかった。


「ぷっ、ふふ、あははは」


 そんなティナが、突然笑い始める。


「こんなのってヘンだね。すごく」

「あ、ああ。そうだな。そうだよな」

「そうだよ。君がボクになんて、すっごくヘン」


 ごまかしているのか何なのか。

 いずれにせよ、気まずい空気になるのは避けられたようだ。


「本当に、すまない……! 相談に乗ってもらっておいて、俺ってやつは……!」

「いいよ。でも、節操なしはよくないね。君のターゲットは、ナーシャだろ?」

「……」


 ティナの言葉に、ナーシャを思い浮かべる。

 幼いころから淡い想いを寄せる、彼女の顔を。


「ごめん、ティナ」

「何を謝ってるのさ」


くしゃりと俺の頭をなでながら、ティナが笑う。

 

「もし、万が一にでもフラれたら、またボクが愚痴を聞いてあげるからさ」

「いやな未来だ……!」

「そう思うなら、早く気持ちを伝えちゃいなよ」


 何度目かになるアドバイスに、俺はまたしても詰まる。

 どんなタイミングで、いつ、どういう風に伝えればいいというのか。

 こんな、試練の折り重なる旅の途中で。


「まったく、ボクたちの勇者殿はちょっと意気地がないぞ!」

「わかっちゃいる」

「でも、まあ……ボクの前だけでは許してあげるよ」


 いつものように俺を抱擁するティナの胸に顔をうずめて、俺はうなずく。


「助かるよ」

「君がこんなに甘えん坊なのも、黙っていてあげる」

「……助かるよ」


 すっかり落ち着いてから、抱擁をほどいたティナがすっくと立ちあがる。


「アシュレイをここで待ってて。ボクは、ボクで伝手を当ってみる」

「いいのか?」

「なんだかんだ言っても、ここはボクの生まれ故郷だからね」


 座ったままの俺の頭を軽くなでて、ティナが宿を出ていく。

 残り香のようなティナの気配を反芻しつつ、落ち着きを取り戻した心で今回の試練について考えるべく、黒騎士に渡された資料を手に取った。


 もっと深く、俺は勇者について知る必要がある。


 あの職員に言われた『勇者などという胡乱な者』という言葉が、少し気にかかっているのだ。

 ……そもそも、勇者とは何なんか。

 『土の試練』を超えた今、その疑問はさらに深まっている。

 都市の生活基盤を賄えるほどのエネルギーを、すでに俺は一つ体に取り込んでいるのだ。

 そんなものを自由意思で震える勇者おれという存在は、何者で……いや、何者になるのか?


 それを、知らねばならない気がした。

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