第225話 敗北の味

 道行と出会ってから俺は山城邸を後にした。次の目的地を告げ絶賛タクシーで移動中である。まさかここまでタクシーを乗りまくることになるとは思っても見なかったものだ。


「アーデ。これを持っていてくれ。詳細は後で説明するから」


 俺は後部座席に座っているアーデに向かって指輪を投げた。


「え!? なんだそれ! アタシも欲しいぞ!」

「ふふふ。ネムには少し早いものですよ――それでこれは? 何やら妙な力を感じますが」

「お前の護りだ。正直何が起きるか想像もつかないからね」

「なるほど――。わかりました」



 流石にある程度は察したみたいだ。あまりここでは詳しく話せないから非常に助かる。問題は次だな。



「なぁ礼土。次どこへ行くんだ?」

「ああ。流石に大人数で移動を続けるのは効率が悪いからな。とりあえず住まいを見繕うと思ってね」

「お、だったら大きい城にしよう!」

「無理無理。そんな物件ないから」



 そうしてタクシーはとある不動産の前で停車する。窓から見えるその不動産の名前を見て俺は安堵した心と、これから厳しい戦いが始まるのだという緊張の心が生まれたのを感じた。



「いいか。よく聞いてくれ」



 俺は運転手に金を払いながら後部座席に座っている2人に話す。



「これから会う人物は以前俺がお世話になった人だ。ただ、決して油断していい相手ではない」

「……礼土。貴方がそれほど警戒する相手なのですか?」

「ああ。危険はないが油断はしないでほしい。彼は――いや会えば分かる」



 俺の主観だと十数日ぶりなんだが、ここだと1年ぶりになるか。自身の脈が早くなるのを感じる。これほどの緊張は向こうの世界でもなかったというのに。



「いくぞ」



 自分を鼓舞するかのように声を出し俺は足を踏み出した。





 田嶋不動産。

 過去、彼との戦いは苛烈を極めるものだった。常に見えない刃を首元に押し当てられるような錯覚を感じてしまうほど、的確に俺の弱点を攻めてくるその一手は尊敬の念さえ覚えてしまうほどだ。



 透明なガラスの自動ドアが開く。明るい店内の明かりに照らされ、近くにいた女性の店員が俺たちに視線を向けた。


「い、いらっしゃいませ! 物件をお探してですか?」



 知らない女性だ。以前働いていた方ではないようだ。妙に緊張している様子から察するにまだ入りたての新人なのだろう。随分声が上ずっている。



「え、えーとですね。あいきゃんとすぴーくジャパニーズ……」



 それだと私は日本語を話せませんにならないだろうか?



「あ、言葉は分かるので普通で大丈夫ですよ」

「え? あ、よ、よかったです。それで今回はどのようなご用件で……」

「田嶋さんはいらっしゃいますか?」


 作りは以前と変わらないようだ。いや入口の所に道路などでも見かけた紋様が刻まれた置物が置かれている。



「えーっと田嶋と何かアポはございますか?」

「いえ。ただ顔見知りなので勇実が来たとおっしゃって頂ければ」

「わ、わかりました。田嶋は外へ出ているので少々お待ち頂ければと」



 そうして俺たちはいつもの応接室へ案内されそこで腰を下ろした。



「ぷはー。礼土がすごい脅かすからもっと怖い所かと思ったけど案外普通だね」

「油断するなネム。既に始まっているぞ」

「へ? 何が」



 そういうとドアを叩くノックが聞こえた。そうして部屋に入ってきたのは先ほどの女性だ。



「申し訳ありません。田嶋に連絡したところ大至急戻るという事でした。恐らく10分程度で戻ると思いますので今しばらくお待ちください」

「わかりました。ありがとうございます」

「あ、それとこれ宜しければ――」




 そういって取り出したのは缶コーヒーだ。やはり来たな田嶋。それはジャブのつもりか? いつまでも成長しないガキだと舐めないでほしいものだ。既にそういった処世術は身につけているのだよ。



「いえ。お構いなく」

「あ、そうですか……」



 ポイントはテーブルへ置かれる前に、遠慮する事である。一度テーブルに置かれてしまった場合、それはもう遅いのだ。それに彼女が俺たちに対し未だ緊張しているという点も大きい。残念ながらお前の拳は俺には届かないよ田嶋。



「え? 貰えるものなら貰っていいんじゃ――もがぁ!?」



 余計な事を言いそうになったネムの口にチョコボールを弾いて入れた。大玉だぞ、ありがたく食べるがいいさ。



 そうして待つこと数分。外から少し早歩きで迫る気配を感じる。



「勇実さん!」



 

 田嶋彰。以前は七三分けだった髪がオールバックになっており、黒縁眼鏡だったものが銀フレームに変わっている。そんな少し印象が変わった田嶋が少し息を切らせた様子でこちらを見ていた。


「お久しぶりです」

「え、ええ。お久しぶりです。しかし一体今までどこへ!? ああ、失礼。今日お時間は大丈夫ですか?」

「はい。大丈夫ですよ」

「そうですか。――それでそちらの方々は?」



 流石に気になるよな。



「ええ。こいつらですが――」

「おう! 礼土の姉のネムだ!」

「はい。夫がいつもお世話になっております。妻のアーデと申します。この子は娘のケスカです」



 頭痛が痛い。今後の事も考えると顔を見せておいた方がいいと思ったのだが失敗だったかもしれない。



「は……奥様とお姉さんに、娘ですか……?」

「冗談です。姉のアーデ、妹のネムとケスカです」

「な、なるほど。中々ユニークなご家族ですね」



 くそ、人前に出るたびそれをやるのはやめて貰えないだろうか。



「それで今までどちらに? 栞さん方がずっと探されていたのですよ」

「ええ。それがですね――」



 さてどういい訳したもんか。そう考えているとアーデが口を挟んできた。



「申し訳ありません。私たちが礼土を本国へ呼び戻してしまったのです。どうしても礼土でないとは解決できない問題が発生してしまい、本人の事情も考えず一方的に呼び出してしまいました。当初は数日で解決する予定だったのですが、例の一件があってさらに状況が悪化してしまったのです」


 

 そういってアーデは深々と頭を下げた。なるほど、問題定義を全部その1年前の件と絡めたわけか。あながち無関係とも言い難いしな。



「例の一件とはもしや1年前の? 確かにタイミング的には時期もあいますね」

「はい。少々厄介なものがおりまして、祖国の存亡を揺るがす事件となっておりました」



 その悪霊というのはデュマーナの事だろうか。ご本人は気づいていないようだが。



「――そうでしたか。しかし何故ここまで連絡を一度も?」

「はい。礼土が向かった場所が場所でして――」

「まさか霊界領域ですか? 確かに場所によっては外と中で時間の流れが違う場合があるという発表を聞いた記憶がありますね」



 適当にアーデが濁していたら田嶋が勝手に答えを提示してくれたようだ。



「はい。まさか解決した後に1年も経過しているとは思いませんでした。スマホもなくしてしまい、連絡を取りたくても取れなかったんです」



 ここまでで恐ろしいのはアーデが嘘を1つも言っていない点である。今度から俺もそのいい訳で通すとしよう。



「では、まだ栞さん達とは?」

「ええ。事務所もいつの間にか解散しており、彼女たちの実家にも顔を出したのですがいなかったんですよ」



 俺はそう田嶋に告げた。これも目的の1つだ。和人は田嶋と友人関係だったはず。何か知っているんじゃないだろうか。



「ああ。なるほど。タイミングが悪かったですね。和人たちは確か神城の実家にいるはずです」

「神城ですか?」

「ええ。和人の妻、山城沙織の実家です。元々霊能力者を輩出している名家なんですよ。聞いた事ありませんでしたか?」



 まて、なんじゃそりゃ。――っていやある。確かに和人から聞いていた。事務所を作る時にこう言っていたはずだ。

『沙織の実家はそれなりに有名な名家でね。正直そっち系のトラブルが多いんだ。事件に巻き込まれる事も結構多い。――だから、正直君とそれなりに関係を強くしたいというのが本音だ』

 

 確かに利奈も栞も霊感は強いほうだった。まさか今回の件で何かトラブルが起きているのか?


「では、あの2人も?」

「はい。神城家にいるはずです」




 とりあえず2人が無事なのは分かった。後でどうにか連絡を取って無事を伝えないとだめだな。



「そうでしたか。ありがとうございます。後で連絡先や住所を伺っても?」

「ええ。それは問題ありません。――ただ簡単に会うのはもう難しいかもしれません」

「それはどういう事ですか」

「そうですね……その話をする前に色々と今の日本の状況をお話した方がいいでしょう。――あ、きましたね」



 田嶋がそういうとこちらに向かってきていた足音が扉の前で止まりノックが聞こえる。田嶋の声に従い現れたのは先ほどの女性だ。手にはお盆を持っている。



「失礼しました。まさか勇実さん相手に缶コーヒーを出すなんてね。佐藤さんこの方は大のコーヒー党なんだ。お出しするときは慎重頼むよ」

「は、はい! 申し訳ございません。こちらご指示頂きました豆を使ってご用意したコーヒーです!」



 そういって震える手お盆をの上からコーヒーを4人分取り出した。いや1つだけミルクがある。これはケスカのだろうか。



「ま、待ってください。田嶋さん。俺達はですね」

「実は勇実さんがいつ来てもいいように海外から取り寄せていたんです。これは中々の一品ですよ。さあ皆さんもぜひ」



 目の前に用意された液状化された深淵が俺を覗き込んでいる。馬鹿な俺は深淵を覗いていないというのに、何故お前が俺の方を見てくる!?



 やってくれたな田嶋ぁぁ。完全に油断していたよ。俺達が望む情報をチラつかせその代償を求めたか。いいだろう。2人の居場所を掴むためにも俺はこの闇を飲み干そうじゃないか。



「これはコーヒーですか?」

「すっごい黒いな。でもいい匂いする!」



 アーデとネムは興味津々という形でそれを見ている。俺は苦手だがこの2人はどうなんだろうか。案外飲めたりするのかもしれない。



「ええ。高級豆を使っておりまして、苦みもそれほどありませんがコーヒーとしての味わいは保障しますよ」


 そういって田嶋はニヤリと笑い俺を見ている。こいつ試しているのか? 俺のことを?



 舐めるなよ田嶋。流石に何度も飲んでいるし今更怯えるものか。俺達3人は一斉にカップを掴む。そしてゆっくりとカップに口を付け少しずつ傾けた。唇にコーヒーが染みわたり、その後独特の香りが鼻を通り抜けていく。




 こ、これは!?




「うげ、アタシ苦手」

「そ、そうですね。これは私も――「ははは。子供には少し早い味だったかもしれませんね」――た、大変美味しいですね」



 アーデの話を遮るように田嶋のストレートが刺さった。聞き間違いじゃないはずだ。確かにアーデは自分の言葉を曲げた。驚いたぞ、田嶋の今の言葉は狙っていたのか? 今の言葉の後で苦手な味だと言ってみろ。遠回しに子どものような舌であると言われているのと同義。アーデはそれを瞬時に悟り、自らの心を偽ったのか。



「勇実さんはどうです? また変わった味わいでしょう?」

「え、ええ。確かに以前に比べて随分苦みが少ないのですね」



 そういうとアーデが信じられないような物を見る目で俺を見てきた。そして僅かな、本当に僅かな声が聞こえる。



「うそでしょう。これで……?」



 信じられないのも無理はない。これでも大分苦みは抑えられているのだ。



「ええ。流石ですね。私も苦みの無いコーヒーなぞコーヒーと言えるのかと少々疑問でしたがこのコーヒーは中々その常識を崩してくれました。ブラックアイボリー中々よいコーヒーです」



 何故かは分からない。ただ汗が止まらなくなった。この悪寒は以前も感じたことがある。なんだ。



「コーヒーという名前ではないのですか?」

「はいそうですよアーデさん。こちらはブラックアイボリーというブランドのコーヒー豆です。変わった製法で作られる豆でして非常に高級品なのですよ」

 


 待て、やめろ! この流れは知っている。以前にも確か――。



「――コピルアク」



 思わず口から言葉が紡がれる。


「何です。それは?」

「素晴らしい。流石は勇実さんですね。そうですこのブラックアイボリーはで作られているんですよ」

 


 その瞬間、胃からこみあげてくるものを俺は必死に抑えた。たじまぁぁぁあ!!! 毎回毎回何を飲ませる気だ!?



「製法ですか?」



 寄せッ! アーデ! 戻れなくなるぞ! だが俺の喉はまるで石化したかのように動かない。



「うん。気になる。どういう風に作られてるの?」



 ネムも乗っかるな! だめだ。意識が遠くなる。俺にこの2人は救えないのか――?




「ええ。中々ユニークですよ。これはから取れたコーヒー豆なんです」




 時が止まった。アーデとネムはまるで時魔法をかけられたかのように静止している。



「おや、お二人とも大丈夫ですか?」

「つ、疲れていたんです。少しこのまま休ませてやって頂いてもいいでしょうか?」

「おやそうですか。それでは水もお持ちした方がいいでしょうかね」



 そういって田嶋が退出した後アーデは震える身体を抑えるように両腕で身体を抱きしめた。


「れ、礼土。わ、わたくしは――ナニを飲まされたのですか……今、動物のは、排泄」

「落ち着けアーデ。深呼吸をしろ。ほらポッキーだ。落ち着いてゆっくり食べるんだ」

「え。ええ。そうね」



 ゆっくりポッキーを食べるアーデの横でネムはいまだ硬直していた。



「うんち。うんちを飲んじゃったの? だから苦かったの?」

「落ち着けネム。アレはうんちじゃない。コーヒーだ。ちょっと変わったコーヒーなんだ」

「で、でも。うんちって――」

「忘れろ。俺も色々なコーヒーは飲んだことがあるが、これは間違いなく美味いコーヒーだ」



 俺がそういうと2人は信じられないものを見るような目で俺をみた。



「本当だ。後で缶コーヒーを買って飲んでみろ。これより格段に苦いぞ」

「これよりですか? おかしいです。回復薬などで苦みには耐性がるはずなのにどうしてここまで強烈に苦みを感じるのでしょうか。やはり動物の……」

 

 


 それは忘れろ。頼むから!

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