第125話 悪憑きー天ー5

「おいッ! どうしたパウラ!?」


 急に様子がおかしくなったパウラの肩を大きく揺するがどこか悦に浸ったような笑みを浮かべた顔をしてひたすらに同じことを言っている。



「ハイレタハイレタハイレタハイレタハイレタハイレタハイレタ」

「パウラッ!」


 ダリウスは強くパウラの頬を叩いた。大きな乾いた音が部屋の中に響きパウラの顔から一瞬笑みが消え苦しそうな顔をする。だがすぐにまた同じ顔に戻り同じことを繰り返い話し始めた。


「同じだ……ノエルの時と同じだ……」

「なんだってッ!?」


 ノーマンが言ったその言葉にダリウスは衝撃を受けた。同じという事はパウラが憑りつかれたという事だ。ならノエルは? そう考えたダリウスはすぐにノエルの方を見る。しかしノエルの顔は先ほどと同じ快楽に歪んだ顔でこちらを見ているだけだった。


「ハイレタハイレタハイレタ――テン、ソウ、メツ、テン、ソウ、メツ」


 パウラの言っている言葉が変化した。ダリウスは慌ててパウラの顔を両手で掴みその両眼を睨みつける。先ほどまでの理知的な彼女の面影はどこにもない。ダリウスはすぐに左手でパウラの顎を掴み、右手で自分の胸元にある十字架を紐から引きちぎりそれをパウラの額に押し付け叫ぶ。



「神の力が、汝を追うッ!!」



 跡が出来るほどの力で十字架をパウラの額に押し付ける。効いているか判断が難しい。だがここで手を止めるわけにはいかなかった。




「そこは貴様のいるべき場所ではないッ!! 立ち去れッ!!!!」




 即興で行った悪魔祓いの言葉だが、ただの悪霊であっても祓った経験がダリウスにはある。だから自身の能力を疑ってはいない――だが。


「へ、へへ。アーアー」

「パ、パウラ……」



 額に押し付けていた十字架から指を放すと重力に従い十字架が床に落ちた。パウラの額には十字架の痕が残っているがその表情はもうダリウスの知っているパウラではなかった。ノエルと同じくどこか恍惚とした表情で周囲に視線を動かし最後にダリウスの方を見る。


「アッアッ――」


 そしてノエルと同じようにパウラは左手で自分の乳房を触り右手は下半身の方へ伸びていった。ダリウスはもうその光景を見ていられなかった。




 数十分後、リビングで沈黙を続けていた2人だったがダリウスが自身の考えを纏めるように少しずつ話始めた。



「あれはなんだ? ノエルだけではなくパウラにまで乗り移った。しかしノエルの症状は一向に回復した様子がない。ならアレは……乗り移ったというより。ただの悪霊であれば増えるなんてことはまずありえない」

「父さん、ならなぜ俺は無事だったんだろうか」


 そうだ。確かにそれもおかしな話だ。ずっと一緒にいたノーマンはなぜ無事なんだ。それにダリウスも同じだ。ノエルにかなり近い所まで接近しているし目線だって何度も合った。だというのにたった一目見ただけのパウラがこうなるなんて――。


「まさかこれは――女性にだけ乗り移り増殖する悪霊なのか?」

「なんだって?」

「そうとしか考えられない。ノーマン、今までこの状態のノエルと会った人は他にいるか?」

「……直接会ったのは俺と義父、父さん、そしてパウラだけのはずだ」


 その中で女性はパウラだけ。ならばそう考えて行動するしか方法はないとダリウスは考えた。先ほどの祈りの言葉は通じなかったがまだ聖水だって使用していない。やれることは全部やるべきだ。だが保険も必要になる。


「いいか、ノーマン。恐らくこの憑りついた霊はこの土地特有のものだろう。そうでなければもっと各地で被害者がいてもおかしくない。日本に神職の友人がいるがこんな話は聞いたことさえないんだ」

「あ、ああ。だがどうすれば?」

「君の義両親はこの土地の出身なんだろう? まずは状況を説明し協力を仰ごう。そしてこの土地に住んでいる神職の話を聞くべきだ。誰か解決方法を知っている者がいるかもしれない。それまで私が祓えるか全力でやってみる。いいな?」

「――わかった。やってみるよ父さん」





 そういうとノーマンは立ち上がりスマホを片手に外へ出て行った。恐らくまず義両親を説得するのだろう。ダリウスは大きく深呼吸をして持ってきた自分の荷物を開き必要な道具を用意する。祭服に着替え、作った聖水の入った瓶を用意する。そして用意していたホワイトセージのお香を持ってもう一度ノエルの部屋に入る。


「――」


 先ほどまで一緒にいたパウラも既に快楽に溺れたように必死になって自分の身体を弄っている。敬虔な教徒でもあったパウラのそのような姿を見るのがダリウスにとって本当に苦しいものだった。用意した小さな白い皿にお香を置き、火をつける。


 浄化の力を持つホワイトセージの香りが少しずつ部屋に充満していく。それを確認しダリウスは右手に聖水を、左手に聖書を持った状態でもう一度ノエルとパウラの前に立った。




「大天使聖ミカエル、戦いにおいて我らを守り、悪魔の凶悪なるはかりごとに勝たしめ給え」



 聖書を片手に祈りの言葉を紡いでいく。そして僅かに口を開けた聖水を手で十字を切るように2人に振りかける。




「天主の彼を治め給わんことを伏して願い奉る」




 2人の表情に変化がない。やはり効いていないのだろうか。そんな不安を押し殺すようにダリウスは祈りの言葉をやめなかった。




「ああ天軍の総帥、霊魂をそこなわんとてこの世を徘徊するサタン及びその他の悪魔を――」




 左手に持っていた聖書を床に置き、首にぶら下がっている十字架を持ち見えるように掲げた。




「天主の御力によりて地獄に閉じ込め給え。アーメンッ!」





 そしてもう一度聖水を振りかけた。――しかし。



「アーアーアッへ、へへ」

「――――ッ! これでも、か」


 何も変わらない。ダリウスは自分自身の無力さに嘆き、手に持っていた十字架を血が出るほど強く握りしめた。









『本当なのか? ノーマン。正直信じられない』

「本当です! 俺の養父が来て見てくれたのですが、その時同じ孤児院で育ったパウラがノエルと同じ症状になりました! もうこれは病気なんてレベルの話じゃありません!」



 マンションの外でノーマンは以前喧嘩別れ状態になっていた義理の父に電話をしていた。既に言い合いのような形から始まった会話だったが、ノーマンの必死の言葉がようやく届き始めていた。


『女性にだけ憑りつく霊。いやもしや妖怪の類やもしれんな。――いいだろうすぐに世話になっている住職にそういう話がないか聞いてみよう』

「ああ。ありがとうございます! どうかお願いします」

『だが、その話が本当なら家内もノエルちゃんとは会わせない方がいいんだな?』

「はい。それは間違いありません」


 まだ仮説でしかないが養父であるダリウスが確信したように言っていた。ならばその可能性が高いと考えて動いた方がいいだろうとノーマンも考える。


『――よし明日の早朝、ノーマンのご家族の方も含めて一緒に儂の家にこい。流石にマンションでは近隣にも迷惑が掛かるだろう?』

「ですが、それは――」

『安心しろ。家内は近所の友人宅に避難してもらう。何をするにせよ、そこよりは良いだろう』


 確かにそうかもしれないとノーマンも考えた。恐らく今も部屋でダリウスが祈りを捧げているだろうが、それが壁を越えて隣人に聞こえないとも断言できない。壁は薄くないと思うが今後を考えると広い義実家に一度避難はした方がいいだろう。


「わかりました。荷物をまとめておきます」

『ああ。一応携帯はすぐつながるようにしておいてくれ。何かあれば連絡する』


 そうして通話を終了し自宅へ戻った。玄関を開けリビングで項垂れているダリウスを見てノーマンは悟った。――失敗してしまったのだと。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る