第112話 愛しく想ふ8

「え? なにそれであんた依頼受けたの?」


 餃子を食べながら紬が楽しそうに口角を上げてこちらに向かって笑いながら話しかけてくる。


「いや紬。笑いごとじゃないよ……本当に申し訳ありません勇実さん」

「申し訳、ぐすッありませんでした」

「いや、もういいですよ」


 涙を流している菅野を見ながら俺はそうため息をこぼし答える。あの後は今思い出しても大変だった。西中という男の会話に大胡が割って入り事情をすぐに説明してくれた。


「西中さん、お話は伺いました。ですがこのお話はお断りをさせて頂けないかと……」

「おや、なぜですか。悪い話ではないと思いますよ。失礼ですが調べさせていただきました所まだ勇実さんはデビューして間もないですよね? グリコンさんという超大手のCMに出るというのは彼の今後の経歴を考えると非常に良い話だと思うのですが」


 西中は不思議そうな顔をして大胡に話しかけている。それはそうだろう。普通は仕事が貰えるだけありがたいと思うべきなのだ。こういった業界は恐らくある程度選ばれた者じゃないと食っていくのは難しいのだと思う。冒険者と一緒だ。いつまでもウッドのままでは生活できず別の仕事をすることだって当たり前だった。

 恐らく今回のようなモデル業だけで食べていける人というのはほとんどいないと思う。ならば当然別の仕事が必要になる。紬がそうだったように何かと並行でやらなければならないのだ。


「実はこの勇実なんですが本日で芸能活動をやめ別の業界で働く事が決まっておりまして」

「でも、佐藤さん。こんなチャンス滅多にないですし受けてもいいんじゃないですか?」


 視線を若干泳がしながら恐る恐るといった様子で菅野がそういった瞬間、大胡の様子が変わった。


「菅野さん。貴方は勇実さんのマネージャーではないでしょう。これ以上余計な口出しをして場を乱さないでください。迷惑です」

「え、で、でも」

「貴方は日葵ちゃんのマネージャーであって勇実さんのマネージャーではない。彼のマネージャーは今は私です。これ以上話を混乱させないために部外者は席を外して頂けませんか?」


 初めて聞く大胡の低く怒りが籠った声。怒鳴ったわけではない。暴力に訴えたわけではない。だがそれが菅野にとってよほどショックだったのだろう。段々と目が赤くなり大粒の涙がこぼれ始めてそのままトイレの方へ歩いて行った。


「はぁ……。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。先ほど申し上げました通り勇実の依頼は無しの方でお願いできませんでしょうか」


 そういって大胡は深々と西中に頭を下げた。その様子を見て流石に西中も困った様子だ。頭を掻きながら何かを考えている様子でスマホをいじり始めた。


「少々お待ち下さい。ちょっと先方に確認してみますね。ただグリコンさんが随分乗り気だったので出来れば勇実さんで決めたいというのが私の本音です。勇実さんはどうでしょうか。やはり佐藤さんの言う通りどうしても難しいですか?」


 そんな困り顔の西中の顔を見て俺はもう全部を諦めた。




 大胡、菅野、日葵、紬、俺の5人での個室を借りて食事を進めていた。基本ピザかコンビニ弁当だった俺にとっては本格的な中華料理は初めて食べるために中々楽しく食事を出来ていると思う。この面子でなければなお良かっただろう。


「ふーん。そんな経緯があったんだね。でも彩ちゃん相変わらずダメダメだね」

「も、もう勘弁してください。あんなに怖い佐藤さん初めてだったんです」


 いまだ涙目の状態で肩を震わせている菅野を見て紬がニヤニヤと笑っている。最近思ったがこの女以外に性格が悪いな。


「当たり前でしょう。僕が日葵ちゃんの事で口出しをしたら貴方はどう思いますか?」

「それは……」

「誰にだって踏み込んじゃいけない領分というものがあります。実際僕も今回はそのラインを踏んだうえで勇実さんに仕事を依頼しました。だからこれ以上迷惑を掛けたくなかったんです」


 そうやって大胡が菅野に対し説教をしているその横に座っている日葵を見る。この場所に来てから一切しゃべっていない。ただひたすらチャーハンと餃子を少しずつ口の中に入れている。


「だったら私も無理やりスケジュール調整してCM出ればよかったな。ねぇ大胡さん今からでもなんとかならない?」

「無茶言うなよ紬。一度断っているんだから今更できますなんて言えないよ」

「ちぇーなんか面白そうな撮影なのにな。ねえ日葵ちゃん!」

「ひぇ! は、はい! そうですね!」


 絶対聞いてなかったな。それにしても日葵の様子を観察してある程度分かった事がある。恐らく今の彼女が本当の素なのだろう。テーブルの端っこで極力影を殺し自分から話しかける事などせず、ただその場をやり過ごそうとしている。

 紬に話しかけられた時なんて目に見えて挙動が怪しかった。つまり極度の人見知りというのは本当なのだろう。ただ仕事の場では恐らく役に入っているのだ。四季日葵というタレントの役に。


「そんなに見つめちゃって、勇実さんって日葵ちゃんの事狙ってるの?」

「狙うって何が」


 突然話を振られたため紬が何を言っているのか分からなかった。


「惚けちゃって。ま、日葵ちゃんかわいいもんね! でもだめだよ。ファンに殺されちゃうから」

「ああ。そういう意味か。狙ったりしてないよ。ただ随分さっきと雰囲気が違うからちょっと考えちゃってさ」

「あははは。日葵ちゃんはちょっと引っ込み思案だからね。でもそこが可愛いわ」


 そういうと紬が日葵に抱き着いた。すると抱き着かれた日葵が口の中にある餃子を噴き出し目の前にいる俺に迫ってきた。

 素早くテーブルの上に置いてあったお手拭きを広げ飛んでくる肉と野菜の塊を迎撃する。危ない所だった。まさかこんな不意打ちで攻撃してくるとはな。俺じゃなかったら喰らっていたかもしれない。やはり暗殺者に向いて――。


「ひぃ! ご、ごめんなさい! ごめんなさい!」

「うわぁ。すごい反射神経ね。流石だわ」

「――はあ」



 そうしてその食事会はお開きになりその場は解散となった。日葵と菅野はタクシーで一緒に帰宅。紬と大胡も一緒にタクシーに乗って帰ろうとしている。


「一緒に乗らないの?」

「ああ。まだ仕事があるんでな」

「そう……気を付けてね」

「では、勇実さん。申し訳ありませんがよろしくお願いします」

「はい。CMの件はまた進展があったら教えて下さい」


 そういって紬と大胡を見送りようやく一人になることが出来た。




「さて、ここからが本番だ」






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