第7話 直前期の道標 2
作者は画像記憶を主体に進めた分、他の生徒より随分効率よく、相当早いペースで世界史を呑み込んでいった。単語帳に慣れた英語得意勢が、同じ要領でやろうとして教科書や一問一答とにらめっこする様は実に愉快。連中が3日がかりでこなす時代内容を午前中だけで習得することもあった。
画像記憶は最高だ。
2月は、来る日も来る日も英数交互で過去問をこなし、世界史地図とアカデミアを舐めまわし、冊子を赤シートでかくして暗記する。
しかし、自分では対策しきれないものがある。
それは――採点だ。
採点は、受験対策に明るい教師にやってもらうのが一番だ。
数学においては記述の悪癖や、英語においては英文法の誤りをその場で指摘してくれる。これほど有意義な「学校あるいは英語塾の使い方」はないはずだ。
毎日職員室に通った。
2012年度の数学の記述回答を丸々ぶん投げて、採点してもらう。その場その場で自分の記述を、思考回路を、教師に修正してもらう。
半個別指導の英語塾では、英作文を中心に過去問の添削をその場その場で丸投げする。数学と同じように、即応で「これは違うんだ」と、矯正していくのだ。特にこれは語学において最大の効率を誇る。なんたって、我々は赤ちゃんの時、親との会話を通じてその場その場で強制されつつ日本語を得たのだから。
赤子の時の記憶力は最大である。脳は若返れないが、同様の環境に出来るだけ近づけることは可能だ。18年越しに同じことを行えば――みるみる英語力は向上する。
すると驚いたことに、ここに来て英語の偏差値が改善し始めた。
秋まで食いつき続けたおかげもあってか、積み上げた単語が、文法が、すべて一定の水準に達したことによって、その複合体である「英語」全体の伸びに繋がったのである。つまり――先行勢との差を、徐々に詰め始めたのだ。
この時期の国公立受験生は、マークから二次型脳への回復を如何に素早く行えるかが、合否に直結する。
共テ後、1月21日に『最終本番レベル模試』がある。即発処理型のマーク脳から熟考型の二次試験脳に切り替えるきっかけになれば、と、リハビリのつもりで受けてみた。
(なお、T進の模試は問題にしても採点にしても質が悪いので共テ前に受けるのはお勧めしない。立ち位置を知るには、K井とS台の冠模試だけで十分だ)
秋オープンの英語偏差値が42.5。
最終本レの英語偏差値は52。
偏差値が10も跳ね上がっている。
まだまだ低いが、それでもたった3か月で10の伸びは大きい。今まで1年間、延々と40代前後を彷徨ってきた英語が50の大台に乗った。
それだけではない。
数学では、学部志望者内1位を取った。
作者の受ける学部は数学の得点を圧縮調整するため、元々数弱が集まりやすいというのもあるが、それにしても、学部内1位は素直に嬉しかった。
総合判定はB判定。作者は最後の最後までA判定を取ることもなく、冊子の成績優秀者欄に名前が載ることもなかった。けれど、もう、負ける気はしなかった。
世界史を5年分ほど世界史教師に投げて、添削をもらった。古文と現代文は3年分ずつ担当教員に投げて、添削をもらった。現代文教師は「わっはっは」と笑って、100点中96点と寄越してきた。このため作者は、二次試験の現代文で9割が取れると踏んだ。
2月の勉強割合は、数学:英語:世界史=2:1:3であった。
直前期は暗記に振ること。世界史が中心だ。一日の平均勉強時間は5時間。夏休みは中だるみで一日30分の日もザラにあったことを考えれば正直、こんなものである。
それでも大丈夫だと言える、他とは『違う』勉強法が、作者にはあった。
さて、作者は3通ほど出願した。
私立2枠と、国立前期1枠。寸暇を惜しんで英語と世界史をしなければならず、私立を受ける暇が一切なかった。練習受験のつもりの出願で、私立の対策に使う時間は最低限になるよう削った。
周りは上智だの慶應だのを受けて、次々と人生の初受験を通過していく。
受験を初体験して、他に1,2校受けると、同級生は徐々に受験慣れしてくる。その空気観の中で、けれど、作者だけが延々と受験童貞だった。クラスで一番遅かったかもしれない。
一番最初に来たのは、2月20日。
早稲田政経。受験番号は1818。
1818。イヤイヤ。
嫌になってしまったので、ブッチした。
人生初めての受験は、会場にすら行かず、学校の自習室で2021年度の文系数学を解いていた。わざわざ高田馬場まで出るのが面倒くさくなってしまったのだ。
1回戦:棄権
ついで、2月22日。
早稲田社学。ここでようやく、作者は初めて受験会場に足を踏み入れた。受験童貞の卒業である。
なぜ社学なのかといえば、第一に、合否発表が国立前期の受験後であるからだ。メンタル的に、私立に落ちたことが判明したあとに国立は受けづらいだろう。ゆえに、2月26日以降に合否を発表する早稲田社学を選んだ。第二には、国公立の直前に、数学の記述試験が受けられるからだ。これはいい練習になる――そう考えて、社会を選択せず、数学を選択した。
数学は、時間配分と問題の取捨選択が命だ。
ゆえに、二次試験を練習で一度受けてみるのはかなり有益である。
で、案の定時間配分を失敗した。
時間が無くなり、数学は0完3半という散々な結果だった。
本当に練習受験をしておいてよかったと、のちのち安堵した。知ったのは第一志望の受験後であるわけだが、なにせ――このせいで、社会科学部には落ちていたのだ。
2回戦:敗退
2月23日。関東最終日。
学校で最後に話した教師は英語科の主任だった。
修道院のA懺で、オタクと淫夢ごっこをして別れを告げた。
塾でも、出征祝いみたいなのを受けた。
しかし大問題があった。
世界史の、終戦間際までしか作者は暗記していなかったのである。
しかも戦後は基本、国境が変わらないので、文章主体の暗記をせざるを得ない。作者はピンチに追い込まれた。――直前2日間、作者は英数の勉強を完全に放棄した。
そうして最後の2日間、ひたすらに冷戦史を詰め込んだ。
東ドイツは、ウホッ!(ウルブリヒト⇒ホーネッカー)
西ドイツは、
イギリスは、
カスの覚え方で急速完成させた。
鉄壁は結局終わらなかったが、最後まで世界史冊子と同じく、手放さなかった。2月24日の昼、新横浜駅のホームに立った時も。のぞみ229号の12号車の窓際でも。烏丸線の奈良行きに乗り間違えかけたくらい、必死に読み込んでいた。ホテルでは0時に寝床についたが、2時くらいまで眠れなかった。
2月25日。肌寒い丸太町通りを東に歩いて、入試会場へ向かった。
緊張はしなかった。
やるべきことは、やったのだ。
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