第8話 私文全落ち進学
一日目。
一時限目、国語。
大真面目な顔で問題用紙を受け取り、深呼吸をする。秒針が鳴る。
「はじめッ!」
頭は驚くほどすっきりしていた。ゆっくりと手を動かす。ページをめくる。そうして――現代文の回答欄に、古文の回答を入れ始めた。
気づいたのは15分後。死ぬ気で書き直したが、7分のタイムロス。そのまま現代文が終わらなくなって、爆死。
萎えながら大学構内を徘徊して、同校の戦友を見つけて一緒に野獣先輩の真似をした。中学生退行を起こすくらいには精神は追い詰められていた。
二時限目、数学。
今度は回答欄を間違えなかった。1⃣の(2)以外は、解き筋が見えた。2⃣、3⃣、4⃣、5⃣を完答。1⃣も半分答えて、4完1半……したかと思われた。しかし、最後の最後で4⃣の検算が合わないことに気づき、結局は3完2半。
だが、万々歳だった。6割取れればいいのだ。それを――じゅうぶんに超えたから。
気分はルンルンで、正門前に立っていた、ぼっちちゃんの像と魔剤と記念撮影をして宿に戻った。
2月26日。
今日まで試験を受けているのは、日本中でも少数だ。今日に至りて、なお戦っていると言えるのは、此処まで諦めず辿り着いた、精鋭だけに許される特権だ。
二日目。
一時限目、英語。
大真面目な顔で問題用紙を受け取り、深呼吸をする。秒針が鳴る。
「はじめッ!」
頭は驚くほどすっきりしていた。ゆっくりと手を動かす。ページをめくる。そうして――和訳の回答欄に、英作文を綴り始めた。
気づいたのは15分後。死ぬ気で書き直したが、10分のタイムロス。そのまま長文読解が終わらなくなるかと思いきや、段落ごとに絵を描きながら丁寧に解釈していくと、どうだか、すんなりと読めた。無事、英語は時間内に終わった。
二時限目、地歴。
全体の得点の4割を占める論述は余裕だ。鮮やかに脳内へ当時の地図が浮かぶ。アストゥリアス伯国だのレオン侯国だの仔細の知識さえ詰められるくらい、余裕があった。
全体の得点の6割を占める一問一答は7つ落とした。普通に知らん。この大学、早慶みたいなキモい知識を聞いてきやがる。作者は図形記憶のお陰ですっかり論述脳だ。震えながら諦めて、ペンを置いた。論述主体の試験である東大や一橋が心底羨ましかった。
「終了です。筆記用具を置いてください」
午後4時。すべての試験が終わった。
受験が終わった。
その足で京津線に乗って琵琶湖へ出て、湖畔のタワマンを眺めては気分を落ち着けた。夕陽が目にしみる。正直、ギリギリで受かった気すらしなかった。
ベストとは言い難い。けれど、これで落ちたら本当に自分の実力を見誤っていたのだろう。そう言い切れるほど、かなりの余裕で受かっている気がしていた。
翌日、下宿探しをしてから神戸へ出て、和田岬線に乗った。この春で引退する103系に乗るため、デンシャ=パシャになった。
関東へ帰って、まず、修道院の懺悔室Aに行った。そこには仲間がいくらか生息しており、やっと息をすることが出来た気がした。
点数予測をしてみた。
英語 30/150
数学 125/150
国語 150/150
世史 85/100
共テ 216/250
学部の選抜要項に従って、数学の点数に圧縮処理を行い、最終的な二次の予想得点は750点中、562点になった。
「うーん、これで落ちるこたないだろ。俺、受かったら淫夢厨である旨告白するんだ」
「カスの死亡フラグだな」
爆笑しながら何本もフラグを建ててみた。
不思議なことに、もう何も怖くなかった。
過ぎてしまえば、なんのことはない。
けれど開放感というより、どこか、心にぽっかりと穴が空いたようだった。
そう感じるのは、みんな同じらしかった。
どこか、A懺悔室での自習の日々を、受験ライフを、作者たちは楽しんでいたらしい。今更になって気づく――大切なのは、諦めないこと。
諦めないには、全力で楽しむしかない。
なんだかんだ文句を垂れつつも、作者は数学が楽しかった。
英語長文で得る教養が、面白かった。
哲学的な現代文に悩むことが好きだった。
世界史で誰も知らない子細な知識をひけらかすと、気持ちよかった。
地理で誰も言及しなかった点に着眼して論述したときの快感は何物にも代えがたい。
化学で身の回りの事象を解釈し、地学で自然のダイナミズムを感じて。漢文のカッコいい日本語の書き下し文に酔い、古文を死ぬほどヘイトした。
あぁ、思い返してみれば。
受験戦争というクソみたいな、されど充実した日々があった。
そして僕らは、卒業と共に、別々の道を歩みだす。
3月4日の卒業式で、たくさんの先生方にご挨拶し、添削の数々に感謝した。
ついでに早稲田社学の不合格も来た。政経は萎えて受けに行かなかったので、これで私文全落ちだと笑い飛ばした。
それから、たくさんの大学の合否発表が過ぎていく。
まず私学、続いて地方国立。地方帝大。それから、阪大、一橋。
そして、後期日程もあと2日に迫り、3月10日の午前十一時を過ぎる。
焦らすように、あの二つの大学だけが、合否を明らかにしない。
団地の中庭に降りる。伸びをしてみる。
雲が流れる。
時計の分針が動く。じりじりと、10から、11。
そして、12へ。
3月10日、正午。
一斉に集中するアクセス。あかん、繋がらん。
四苦八苦していると、母親が団地の階段をドタドタ駆け下りてきた。
「入金してくる!」
その言葉ですべてを察した。
合否発表のサイトを見る気も失せた。
その足で家に戻って、父親に顔を見せる。
「下宿抑えに行くぞ」
開口一番、父親はそう言った。
そうだな。なんたって、家がまだだ。
その足で、2月24日と同じく、新横浜駅へ向かう。
ゆっくりと滑り出したのぞみ号は、西へ、西へ。静かに関東の地を後にする。
名古屋に止まれば、琵琶湖の湖面に反射する西日。
アナウンスが響く。あぁ、まもなくか。
音羽山のトンネルに入る。
「ご乗車お疲れさまでした—――—京都、京都です」
幼稚園受験にも、都からも落ちた。
全落ちから始まった少年時代。その終幕は、私文全落ち上洛だった。
そうして作者は、京都へ進学した。
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