55

 裏口のドアが開き、中から不機嫌そうに眉を顰めた男が黒縁メガネの細面を覗かせた。


「強く叩きすぎだ。ドアが壊れるだろ」男が落ち着いたトーンで呆れ混じりに言う。

「ああ悪い。加減が難しくてな」鑑がこちらに顔を向ける。「あれが新入りだよ」


 男はこちらを向くと、眉根の緊張を解いて微笑んだ。いつの間にか荷台から降りて隣にいたマナが会釈する。


大間 丈太郎おおま じょうたろうだ。よろしく。とりあえず上がってくれ」


 大間と名乗ったその男は短い挨拶のあとですぐに中へ引っ込んだ。鑑がそれに続く。凪とマナも裏口に駆け寄る。

 中は薄暗い廊下になっていた。建物を外から見た時の老朽化した印象に反して、内部は清潔に整備されている。電気も来ているのか、適温に保たれ除湿された空気が室内を満たしている。熱気のこもった荷台の中で蒸されてベタベタになった肌が乾き、熱が引いていく。

 照明の点いた一室の前で、前を歩く大間が白衣を翻してこちらを向いた。


「一旦この部屋へ」大間が大きく華奢な手先で部屋の中を指し示す。


 促されるまま診察室に入り、マナと二人で丸椅子に座る。


「おい」ズタ袋を担いだ鑑が言う。「これどこに置いとけばいい?」

「とりあえずロビーに置いておいてくれ」大間が場所を顎で指す。


 鑑は「うい」と返事をし、廊下の向こうに消えていった。

 大間がデスクチェアに腰掛け、机の上に乗っていた大ぶりの電子ペーパーを手にとる。診療録を表示しているようだ。


 大間の顔を見る。低く落ち着いた声とは対照的に、その目鼻立ちや肌の質感にはどことなく女性的な繊細さがある。白衣を纏って涼し気な目で診療録を確認するその様は、まさに知的な医者を絵に描いたような姿だ。このバストショットを写真に収めたらそのまま医療広告に使えるだろう。


「あの、大間さんはどうしてこんなところで医者を?」


 こんな誰も居ない街で、一体彼は誰を診療しているのだろう。鑑たちを診ているというわけではないはずだ。彼は人間の治療をする医者に見えても、機械を修理するエンジニアには見えない。


「んー? 色々理由はあるけど、主な目的は活動資金の調達かな」大間が資料を確認しながら言う。

「こんなところでお医者さんやってて、人なんて来るんですか?」

「ああ」大間は笑みを零した。「普通の病院を利用できない事情がある人達を相手に商売してるんだよ。僕たちも、普通の人間たちの中で大っぴらに働ける身分じゃないからね」


 今のところは──大間は最後に小さくそう付け加えた。

 ともかく、彼が人間相手に医療行為を行う人物であることは確かなようだ。とすると──


「大間さんは人間を治療するお医者さんなんですよね。機械であるマナの記憶をどうやって蘇らせるんですか?」


 凪がそう質問すると、大間はクスクスと笑いだした。


「はは、君は若いくせに、すいぶん前時代的なものの捉え方をするんだね。人間の体の大部分を人工物に置き換えられる今、ヒューマノイドにまつわる技術はとっくに医療技術と合流してるんだよ」


 大間は診療録を机に戻し、手を膝の上で組んでこちらを見た。


「マナちゃんの制御系を構成するもののうち、重要な部分は人間の生体に対しても利用されているものだ。だからその扱いも僕の守備範囲さ。具体的な処置についてはもう少し詳細に話そう」大間はマナに視線を送る。「何をされるか分からないのは不安だろうからね」


 彼は机の上に置かれた小指の先ほどの小さな容器を手に取ってこちらに見せた。赤い液体が中で揺れている。


「これは血中マイクロマシン。人間に投与して、身体改造のなどの微細手術を行うためのものだ。これを使えば外科的な手術に頼ることなく、体内で埋め込み機器を自動組み立てしたり、ミクロな組織構造に手を加えたりすることができる。筋力の増強や骨格の強化などといった単純な身体機能の向上から、本来人間に備わっていない器官の作成まで可能さ。結構夢のある技術だよ」


 大間の説明に驚く。まるで魔法だ。

 今日まで自分がその技術の存在を知らなかったことに違和感を覚える。そんなに便利なものがあるならすでにこの世界に普及して、自分もその存在を知っていても良さそうなものなのに。

 それはそれとして──


「すごい技術だと思いますけど、それって人間に使うものなんですよね? マナの制御系に利用できるんですか?」

「いい質問だ」大間は眼鏡を上げる。「このマイクロマシンは微細な構造を持った組織内に拡散して作用するものだ。だからマナちゃんの制御系内にある副脳にも利用することができる。もともとそれは人間の脳をハードウェアレベルで模して作られたものだからね。但し、やはり人間の生体に使う場合と比較して性能が落ちる。効果が出るまでかなり時間がかかってしまうんだ。今からマナちゃんの制御系にこれを投与した場合、記憶が戻るのは今日の深夜から明日の朝にかけてになるだろう」


 すぐに記憶が戻るわけではないのか──今のやきもきした気分がさらに半日以上続くことを知って、凪は少し気力が途切れそうになった。

 しかしげんなりしている場合ではない。あと一つ質問したいことが残っている。


「あの、大間さん」

「なんだい?」

「そのマイクロマシン、人類未踏産物レッドボックスですよね……?」


 それだけではない。恐らくそれは封印指定された技術のはずだ。そうでなければこれが巷に普及していないことの説明がつかない。どうして大間たちはこんなものを所持しているんだ?


 大間の目を見て回答を待つ。しかし彼は微笑を浮かべたまま机に向き直り、手に持ったマイクロマシンの容器を音を立てずに置いた。


「話しておかなければいけないことはこんなところかな。他に質問がなければ早速投与を始めたいんだが、いいかい? マナちゃん」

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