#8 「オートマトンの体温」

21

 誰かに意見を求めることがなくなった。いつでも自分が一番正しかったから。

 誰かに頼ることがなくなった。誰も助けてくれなかったし、どんなことでも自分でできたから。


 無邪気に向けられる悪意に殺されそうになって、人の中で生きることを諦めた。


 そのはずだったのに


 今のあたしは性懲りもなく他人と関わり合いになっている。

 理性で恋する人を選べるなら、あんな奴に惹かれたくなかった。


 頼られるのは嫌じゃなかった。そばに居られる理由が欲しかったから。

 見返りはいらなかった。他人に期待をかけることなんてとうの昔に諦めていた。


 与えられないことに慣れていたはずだった。ずっとそうだったから。

 でも、水を与えられて初めて、自分の喉が渇き切っていたことに気づいた。


     *


 風俗店での一件のあと、晴香は森口──風俗店オーナーの通話相手──の通信を傍受し、マナの制御系の出処に繋がる手がかりを探った。

 徹夜の後、昼過ぎにやっと作業が一段落したという所で、凪が丁度良く様子を見にきた。そこで、彼を家に上げて軽く進捗を報告することにした。


「──電話の相手は川崎電脳製造株式会社の森口芳樹。こいつはただの営業部の一般社員。同社は開発中の制御系の試作機を、試用調査の目的で買い切りのボディに搭載して幾つかのクライアントに貸与していた。マナもその一つ。森口はその窓口」


 椅子に腰掛け、資料をデスク上に表示しながら、新たに分かった事実を凪に伝える。


「なんかその会社名聞いたことある気がする」凪が表示された顔写真を肩越しに覗き込んでくる。

「KCMCとか、川電っていう略称の方が有名かもね」

「あっ知ってる! えっ、あそこがマナが造られた場所ってこと?」

「もう少し深追いしてみないとなんとも……昨日の夜、というか今朝の作業で森口の各種認証情報をあらかた抜いたから、これからまた色々分かると思う」

「そっか。すごいな……」

「今日報告したいことはこれぐらいかな。あたしはこれからまた作業するから、あんたは家に帰って」


 凪は何故かこちらの顔をじっと見つめたあとで、こくんと頷いた。

 彼が鞄を肩にかけるのを確認し、デスクに向き直る。


「晴香」帰ろうとしていたはずの凪に呼びかけられる。

「何?」

「無理してない? すごい顔色悪いよ」


 そう言われ、体に微かな怠さを自覚する。


「……単純に寝てないからかな。まあこれぐらいは大丈夫よ。集中が続かなくなってミスしそうになったら寝る」


 眠気はあるが、作業が継続できないほどではない。少し頭痛がするが、おそらく天気が悪いせいだろう。


 集中する前に一度腹に物を入れておこうと、手の届く所に積んでおいた完全食の缶を一つ掴む。それを開け、人工甘味料で味付けされた少し粘性のある液体を飲み込んだところで、喉に違和感を覚えた。


     *


「……なるほど、ここに関係してたのか」


 調査が意外な事実と繋がり始め、思わず声が出た。


「何か分かったの?」暇だからとリビングの掃除をしていたマナが言う。


 説明には少し骨が折れる──頭の中で話の順序を考えつつ、キッチンカウンターを拭いているマナの方に椅子を向ける。


「うんまあ、色々とね。あんたの制御系は確かに川電で製造されたものだけど、ここを洗うだけではあんたの出処に関して十分な情報は得られなさそう」

「どういうこと?」マナが首を傾げる。

「説明が難しい。まずあんたの制御系について新たに分かったことを話すね」


 マナはキッチンカウンターの向こうで頷くと、近くのソファーまで小走りに寄ってきた。彼女が座るのを確認し、説明を続ける。


「その制御系は、ある仮想機械──C8NVM──の仕様を満たすものだった。ハードウェアをどのように構成したとしても、それがこの仮想機械の仕様を満たすものであれば、あんたの心と呼べるものはどこでも同じように動かせる」


 何か具体例を挙げられないか──軽く部屋を見渡す。ラックの下段に置かれた少し大きめの計算機が目に留まる。


「あんたの場合、ある程度高次の皮質に対応する部分はハードウェアレベルでC8NVMの仕様を満たす動作をするようになってる。けど」ラックに置かれた計算機を指差す。「理屈の上ではあたしのマシンにこの仕様を満たすソフトウェアを走らせて、その上であんたの脳を動かすことだってできる」


 マナの様子を確認する。頷きつつも、まだあまりピンときていなさそうな表情だ。もう少し補足しようかと思いつつも、話の大筋からは外れた枝葉の内容であるため、一旦説明を先に進めることにした。


「C8NVMの仕様策定及びその上で動くシミュレーションデータの作成に、川電は関わっていない。やっているのはあくまでハードウェアの製造だけ」


「え? じゃあ誰が〝この私〟をつくったの?」マナは胸のあたりに手先を添える。


「川電とそのあたりのやり取りをしているのが、Alicorn Softwareっていうシンガポールのソフトウェア開発会社。でも、登記された会社の情報から、運営に関わる人物に繋がる情報は一切得られなかった。登録されている所在地は複数のペーパーカンパニーと共有している場所。代表者は名義貸し」


「私をつくった人を辿ることはできなかった……ってこと?」


「今のところはね。……そういうわけで、あたしはここを深追いするのを一旦諦めて、C8NVM準拠のハードウェアを開発している所が川電以外にも存在しないか調べることにした」


 デスク上に表示する資料を切り替える──重要なのはここからだ。


「その過程で、あんたの頭の中にあるものと、かつて起きたある出来事との繋がりを見つけた。四年ほど前、地下経済で同時多発的に、安価で高性能な自律機が大量に出回ったことがあったの。人身売買市場を食う形でね。ただしこれは日本国内の出来事じゃない。海外の、hIEを動かすインフラが未整備の地域を中心としたもの」


「その話と私の頭の中にあるものがどう繋がるの?」


「この自律機の制御系の動作が、C8NVMと酷似していた。まるっきり同じと言ってもいい。あんたと同じような存在が、もうすでにこの世界のあちこちで相当数出回ってる」


 マナの表情がぎゅっと緊張する。


「ちょっと待って……その人たちって何をさせられてるの?」


 一瞬答えに詰まった。マナが何を心配しているのかは分かる。答えづらいが、ここで言葉を濁しても仕方がない。


「……売り買いされる人の代替だからね、お察しよ。ともかく裏社会は、この人権のない人間──新しい奴隷階級を歓迎した」


「……」


 五十箇所を超える顔の可動部が、その心に何を浮かべているのかを詳細に表現していた。いたたまれなくなり、話を切り上げる。


「……この開発に関わっていたとされる組織名は幾つか出てきたけど、そのいずれも今回と同じく運営に関わる人物との繋がりが追えない状態。結局まだ組織の実体が掴めてないから、もう少し調べてみる」


 マナは少し遅れて小さく頷いた。その僅かな間に彼女が何を考えたのかを想像し、溜め息が出そうになる。

 ネガティブな感情にやる気を食われている暇はない──伝染する無力感を振り払うようにデスクへ向き直り、説明のために表示していた資料のウィンドウを閉じる。


 気づけばもう数時間座りっぱなしだ。背伸びをして、ついでに一度顔を洗おう。


──そう思って立ち上がった所で突然耳鳴りがし、世界がぐらりと揺れる感覚を覚えた。


 ブラックアウトする視界。


「晴香ちゃん!」


 その声をかろうじて感覚したところで、意識が完全に途切れた。

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