第111話 不思議な転舵

1945年6月5日 夜


 重巡2隻、駆逐艦7隻を擁する日本艦隊とそれに対抗する重巡3隻、駆逐艦8隻の米艦隊との戦いは佳境を迎えていた。時間が経つごとに戦闘可能な艦が1隻、また1隻と消えていき空間を埋め尽くしていた砲撃音は徐々に小さくなっていっていた。


「敵駆逐艦1隻に魚雷2本命中! 戦闘・航行不能の模様!」


「『羽黒』戦闘不能! 速力22ノットで離脱します!」


「駆逐艦隊も敵駆逐艦3隻を撃沈破するものの、既に4隻が戦闘不能乃至それ以上の損害を被っています」


「『那智』より全艦へ。まで後少しだ、各艦もう少し粘れ!」


 「那智」艦長鈴木鉄大佐は艦隊無線を用いて少し意味深な命令をだした。今回の米機動部隊襲撃作戦の概要は艦隊の全乗員に共有されているわけではない。なので、ほとんどの乗員には「所定の時間」というのが何を指しているのかは分からなかっただろうが、この命令で十分だった。


「敵1番艦の様子はどうだ?」


 鈴木は近くに居た見張り員に敵1番艦の様子を聞いた。これまでの砲戦で「羽黒」が敵巡洋艦2隻を相手取っていたため、1対1の砲戦を行う事ができた「那智」は比較的ストレスのない砲戦を継続することができていた。そのため、そろそろ敵1番艦がまいってもいい時間ではないかと鈴木は考えたのだ。


「敵1番艦の主砲は既に1基完全破壊、1基旋回不能と認む! 艦の前部で大規模な火災が発生しています。速力は衰えていません!」


「了解!」


 この時点で「那智」も20センチ連装砲5基の内、2基を破壊されてしまっていたが、残りの砲門数を考えればこの戦いは押し切れると鈴木は考えた。鈴木は「羽黒」を撃破した敵2番艦が「那智」に砲門を向ける前に敵1番艦を片付けなければならないと考えており、少し焦っていたのだった。(敵3番艦は既に戦闘不能)


 その鈴木の心境に呼応するかのように「那智」が健全な3基の主砲をもって第8斉射を放った。度重なる被弾によって「那智」の艦体も著しく傷ついてはいたが、重巡洋艦の命とも言える20センチ主砲の砲撃音は全く衰えを見せてはおらず、力強い咆哮を出していた。


「敵2番艦射撃開始しました! 狙いは本艦の模様!」


「敵3番艦は『羽黒』と相討ち! 戦場から離脱します!」


 「那智」の第8斉射が弾着する前に敵2番艦の「那智」に対する第1射が着弾するほうが早かった。しかも、発射された20センチ砲弾の内、1発が「那智」のかなり至近距離に着弾した。第1射目からいきなり至近弾だ。


 約2年前から実用化された米艦艇の電探照準射撃は1945年の時点で既に成熟の域にあり、夜間であっても、第1射目から至近弾を与えるだけの性能を有しているのだ。


「うっ、右舷至近弾!」


「かっ、艦長!!!」


「焦るな、焦るな!」


 夜間にも関わらず、第1射から至近弾を叩き込まれたことに対して艦橋にいた一部の将兵が取り乱したが、鈴木は叩きつけるように言い放った。まだ敵2番艦とは距離が開いていたため、たとえ砲弾が命中したとしても、大した被害がでないのではないかと鈴木は考えたのだ。


 続けて「那智」の第8斉射6発が敵1番艦に突っ込んだ。弾着の瞬間、鈴木も艦橋から身を乗り出して戦果を確認した。敵1番艦の艦上2カ所から発光炎が確認できた。どうやら「那智」の第8斉射は2発が命中したようだった。


「敵1番艦に新たに2発命中!」


「やったか!?」


 20センチ砲弾2発の命中を確認した鈴木はほぼ勝利を確信し、戦果報告を聞いた他の将兵も一斉に歓喜の声をあげた。


 そしてこのとき、鈴木の読みは正しかった。敵1番艦に命中した2発の砲弾は敵1番艦に深刻な損害を与えていた。命中した砲弾の内1発はあと1基残されていた20センチ3連装主砲を根元から吹き飛ばし、もう1発はあろうことか敵1番艦の艦橋横の装甲に命中し、その装甲を辛うじて食い破り艦橋内部で炸裂したのだ。


 一瞬にして残存の主砲火力と艦の指揮系統を喪失してしまった敵1番艦は急速にその戦闘能力を喪失しつつあり、隊列から落伍しつつあったのだ。「那智」は敵2番艦の砲撃が本格化する前に敵1番艦に打ち勝ったのだった。


 そして・・・


「艦長、時間です!!」


 遂に鈴木が待ちわびていたが来た。


「よし、取り舵! この海域から全速力で離脱する! 当たらないとは思うが装填済みの魚雷も転舵時に全てばらまけ!」


 「那智」の舵が利き始める前に敵2番艦からの第2射が弾着し、その内1発が「那智」を捉えた。弾着時の凄まじい衝撃によって鈴木を始めとする艦橋要員の殆どがよろめいた。そして同時に「那智」の艦体が大きく左舷に傾いた。


「第2主砲全壊です!」


「了解! もう艦が沈みさえしなければ何でも良い!!」


 敵2番艦が第1斉射に移行するのと「那智」が転舵しつつ魚雷を扇状に発射するのがほぼ同時だった。「那智」が転舵した直後、未だに生き残っていた3隻の駆逐艦も一斉に転舵を開始し、出せる限りの速度で離脱にかかった。


 ここから米空母撃滅を賭けた夜間砲撃戦は新しい展開を見せるのだった・・・。




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