第108話 夜間砲戦開始の合図

1945年6月5日 夜



 昼の航空戦でエセックス級正規空母「フランクリン」沈没、同「ホーネット2」「ランドロフ」大破という大損害を受けた米機動部隊第1群は、被弾した艦の消火活動と復旧作業、沈没艦乗員の救出作業に著しく手間が掛かってしまい、全ての作業が完了した時には午後8時をとうに回っていた。


 第1群司令長官のJ・J・クラーク少将は日本軍航空機からの夜間攻撃の脅威を排除するために、既に部隊全艦に台湾から距離を取るように東に針路を向けていた。このまま今日の戦いが終わるかと部隊の殆どの乗員がそう考えた午後10時、戦艦「ウィスコンシン」の対水上レーダーが突如反応した。


「対水上レーダーに反応。敵味方不明艦接近、隻数不明、方位0度、距離15海里!」


 「ウィスコンシン」の対水上レーダーを担当しているアラン・フォークナー少尉が、切迫した声で叫んだ。その叫び声に「ウィスコンシン」の艦橋にいた全ての将兵が反応し、にわかに騒然となり始めた。


「方位0度・・・真北か。敵だな」


 「ホーネット2」被弾後「ウィスコンシン」に将旗を移したクラークは「敵味方不明艦」の正体を断定した。事前の取り決めで米艦隊の各部隊は夜間は東に離脱することが取り決められていた。よって、一番最後に離脱した第1群の真北に味方部隊が存在することは有り得ないのだ。


「艦種と隻数の判別を早急にやれ!」


 突如現れた敵艦隊とおぼしき艦隊の出現に焦りを感じたクラークは、血相を変えて叫んだ。そのとき、艦橋見張り員の何人かは一瞬ではあるが、光の中に浮かび上がる艦影を目撃した。


「敵部隊は巡洋艦2~3隻、駆逐艦6隻以上の模様!」


「『ボストン』の左舷に水柱3本確認。発砲せる敵艦は重巡と認む!」


「『ボルティモア』『キャンベラ』の左舷側にも弾着確認されました!」


 どうやら接近してきた艦隊は敵艦隊であり、巡洋艦以下の艦艇で固められた中規模の艦艇のようだ。狙いは言わずもがなであるが・・・


「本艦と重巡3隻、それと駆逐艦8隻は左舷の敵艦隊に対応しろ」


「本艦目標敵重巡1番艦!」


 クラークの指令に対して「ウィスコンシン」艦長ルード大佐は即座に射撃開始の命令を出した。「ウィスコンシン」はアイオワ級戦艦の4番艦にあたる艦であり、1944年4月16日に竣工した艦である。まだ竣工してから1年程度しか経過しておらず、マリアナ沖海戦でも水上砲戦の機会に恵まれなかったため、夜間の砲撃戦を行うには不安が残っていた。


 しかし、ルード以下の「ウィスコンシン」の全乗員の士気は極めて旺盛であり、巡洋艦・駆逐艦で構成された日本軍の中規模部隊など鎧袖一触にしてしまうのではないかというほどだった。


「『ボルティモア』『キャンベラ』射撃開始! 『ボストン』続けて射撃開始!」


「駆逐艦は牽制に回ります!」


 この報告を聞いたクラークはひとまず安堵した。直後、「ウィスコンシン」の主砲発射をしらせるブザーが鳴り響き、各主砲の1番砲から40センチ砲弾が放たれた。その光景はあたかもこれから始まるであろう夜間砲戦の開始の合図であるかのようだった。



 「ウィスコンシン」が第1射を放ったとき、日本艦隊第5戦隊旗艦「那智」以下9隻の艦艇は突撃を開始していた。敵艦隊は昼間の航空戦で被弾した艦を何隻かかえているのか、艦隊速力が20ノット程度しか出ていなかった。対する「那智」以下の艦艇は35ノットで突撃しているため、その彼我の距離は確実に縮まってきていた。


「艦長より砲術。目標敵巡洋艦1番艦!」


「目標敵巡洋艦1番艦。宜候!」


 「那智」艦長鈴木鉄大佐の命令を砲術長の後藤雄平中佐は即座に復唱した。既に後藤を始めとする砲員は臨戦態勢に入っており、後藤は各砲塔に即座に射撃開始を命じた。


「目標、右舷の敵巡洋艦1番艦。測的よし!」


「方位盤よし!」


「射撃準備よし!」


「よし、各砲塔撃ち方始め!」


 日本艦隊を発見した敵部隊も順次にこっちに近づきつつあったが、敵艦隊が発砲するのよりも早く、「那智」の20センチ砲に発射炎がほとばしった。ほとんど同時に少し奥の海面が再び光り、敵艦の巨大なシュルエットが台湾の夜の闇の中に浮かび上がった。


「戦艦だな」


 敵艦発砲時に巨大なシュルエットが浮かび上がったことから後藤は後方にいる敵艦の正体を戦艦だと断定したのだ。おそらく機動部隊に随伴していることから考えてサウスダゴタ級かアイオワ級であろう。


「初弾命中なし! 後続の『羽黒』も同様の模様!」


「敵巡洋艦3隻射撃開始しました!」


「了解!」


 鈴木が艦橋から付近の海域を見渡すと、夜闇に浮かび上がる光の総量がさっきよりもかなり多くなっていた。彼我の距離が縮まったことによって巡洋艦以下の艦艇も続々と砲戦に加わっているのだろう。


 鈴木がそのようなことを考えていると、右舷側に向けて火焔がほとばしり、20センチ主砲の咆哮が漆黒の海面を揺るがした。「那智」の巨体が主砲発射の反動によって仰け反り、艦橋も大きく振動した。


 敵重巡1番艦に対して再び5発の20センチ砲弾が飛び込み、長大な水柱が奔騰した。


 米空母撃滅を賭けた夜の戦いが始まったのだ。













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