第38話 次に向けて

1943年7月 



 トラック沖海戦から1ヶ月、東京霞ヶ関に建物を構えている軍令部では今回の海戦で得られた戦訓の分析が熱心に行われていた。


 今回の戦訓分析に先立って、軍令部次長の井上成美中将が「今回の海戦で連合艦隊の兵達は命を散らして戦いに勝利しただけでは無く、貴重な戦訓と時間を稼いでくれた。我々にはそれに答える義務がある」という訓示を全軍令部員宛に発していた。


 軍令部第1会議室には多くの将官が集結しており、戦訓分析も大詰めに向かおうとしていた。


「出現が確認されたという敵の新型戦闘機の性能はどの程度なのか?」


「敵戦艦の照準が極めて正確だったのは何故か?」


「味方艦艇の対空砲火の貧弱さをどう改善していけばいいのか?」


「敵艦艇の熾烈な対空砲火による損害を軽減する方法はないのか?」


などの議題も議論されており、その議論の結果に従って今後の方針が徐々に決定していった。


 最終的に決定したのは以下の7事項だ。

①新型敵戦闘機(F6F)の出現に対抗するために零戦の改良型の開発促進を推し進める。(零戦の正式後継機となる予定だった十七試艦上戦闘機「烈風」は現在の時点で開発が全くといっていいほど進捗していなかったため、開発中止もあり得る。)


②零戦の後継機に関しては陸軍の力を借りて約1年以内に正式採用にこぎ着ける。


③味方艦艇の対空砲火の貧弱さを改善するために防空艦の建造・既存艦の防空艦への改装、空母の更なる対空火力増強を行う。


④敵戦艦の照準電探射撃に対抗することを可能にするため、高性能電探の開発を促進する。(ついでに対空射撃を電探と連動できないかの研究を行う)


⑤今回の海戦で大戦果を挙げた潜水艦の用法の研究優先度を大幅に上げる。


⑥陸軍襲撃部隊と同等の部隊を海軍にも創設する。


⑦基地航空隊の滑走路の復旧作業を効率化させる。


 以上の決定事項に基づいて今後の海軍行政が推し進められるのだが、それはまた後の話。



 第3艦隊司令長官としてトラック沖海戦を戦い抜いた山口多聞中将は横須賀の海軍病院を訪ねていた。


 無論、今海戦で負傷したたくさんの兵の見舞いに来たのである。


「今回の海戦での海軍の戦死者はどれくらいだ?」


 海軍病院の入り口を通ったとき、山口は同行していた草鹿龍之介少将に聞いた。


「連合艦隊司令部からの情報によると、戦死だけで約6000名、負傷者も加えると約13000名となっています」


 草鹿からその事を聞いた山口は唖然とした。余りにも大きすぎる数字だったからだ。


 アメリカとは違い、常に人材不足で喘いでいる帝国海軍にとって余りにも大きな損失だ。


「空母部隊の『翔鶴』や砲戦部隊の『日向』は沈没確実となり、総員退艦が下令されてから艦が完全に沈みきるまでの時間が極めて短かったため、大勢の乗員が艦と運命と共にする事となってしまいました」


 他ならぬ山口と草鹿もトラック沖海戦では「翔鶴」に座乗しており、「翔鶴」が沈没確実となった際に退艦した身だ。


 当初、山口は「翔鶴」の全乗員が退艦するのを確認してから「翔鶴」から退艦するつもりであったが、「翔鶴」艦長が早めの退艦を説得し、山口達は早い段階で「翔鶴」から退艦したのだ。


 あのとき、「翔鶴」艦長が早めの退艦を進めてくれたおかげで山口と草鹿は今も生きていた。しかし、代わりに多数の乗員が死んでしまった。


 その事に関する責任の重さは他ならぬ山口と草鹿が一番理解していた。これからの米軍との戦いでその責任を果たしていかなければならない事も理解していた。


「何処の部隊所属だ?」


 山口は入り口付近のソファーに座っていた男に話しかけた。


 山口に話しかけられた男は顔を上げて、次の瞬間驚いたような声を出した。


「中将殿ですか!?」


 山口のような海軍中将は一般兵から見れば雲の上のような存在であり、滅多に顔を見かける事すら無い。


 その海軍中将が自分の目の前にいて、しかも自分に向かって話しかけてきたのだから、この反応は当然である。


「トラックの22航戦の零戦隊に所属していました」と男は言った。


「今回の戦いは将兵一人一人の奮戦によって得る事が出来た物だと考えている。海軍の実働部隊を率いた者として現場で戦った兵に礼を言う義務がある」


 そういって山口は男に向かって深く頭を下げた。山口だけでは無く草鹿も頭を下げていた。


 2人の将官から同時に頭を下げられた男は恐縮しきり。


「今回の海戦はどうだった?」


 頭を上げた山口が男に対して質問をぶつけた。


「今回の戦いは個人的にはかなり気持ちの良いものでしたよ。私が所属していた22航戦からも大勢の未帰還が出てしまいましたが、みんなやりがいのある戦いだと言っていましたよ」


「私なんか今回の戦いだけで敵3機を撃墜しましたが、零戦に追いかけ回されている敵攻撃機の搭乗員の顔は見物でした」


 男が楽しそうに話し、その話を聞いた山口と草鹿の顔も少しほころんだ。


「今回の戦いではたくさんの兵が未帰還になってしまいましたが、みんな今回のような戦いなら悔いは残らないと思いますよ」


 男の言葉を聞いた山口の心がほんの少しだけ軽くなった。


「悔いの残らない戦いでした」


 この何気ない一言が山口にはこの上無いぐらいうれしかったのだ。


 この調子で山口と草鹿は他の兵とも話していった。


 海軍病院には多数の兵が入院していたが、口を揃えて「今回の戦いはやりがいのある戦いでした」と言ったのだった・・・。


                                第1章 完





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