第五話 〝生きえべすさま〟を歓待せよ

 きらびやかに着飾った女性たちが舞い踊り。

 紋付もんつはかまを身につけた男衆が、朗々ろうろううたぎんじる。

 誰も彼もが似た顔で、判別などつかないが、動きは飛び跳ねるがごとく滑稽こっけい


 青年はそのさまを楽しそうにながめながら。

 表情を殺した藍奈に酒をつがせていた。


 まるで戦前の祝言しゅうげんのような有様ありさまだと、あたしは思った。


「〝生きえべすさま〟、さあ一献いっこん

「こちらの刺身に舌鼓したつづみ、さあ一献」

「〝生きえべすさま〟」

「〝生きえべすさま〟」

「ダーガン、ヒュードラ、ドッコイショー」

「ダーガン、ヒュードラ、ドッコイショー」


 女たちが、男たちが、こぞって押し寄せ。

 奇妙なかけ声とともに、手に持った魚を、野菜を、酒を、肉を青年へ献上けんじょうする。

 乱痴気らんちきさわぎの中心にいる青年を、誰も名前では呼ばない。

 〝生きえべすさま〟としか、呼びはしない。


「楽しいなぁ、楽しいなぁ、本当に天国みたいだ。男に女の舞い踊り。竜宮城はここにあったのか、なんて……藍奈さんも、そう思うだろう?」

「…………」

「藍奈さん……」


 酒に、場に、女に酔った勢いで、青年は藍奈を抱き寄せるも、つれなく身をかわされる。

 こんな宴会が、もう十日も続いている――



§§



「ぼくはねぇ! 生きてるのがイヤになったんですよ!!」


 数時間後。

 酔い潰れた青年は、藍奈の膝枕ひざまくらの上でを巻いていた。

 ゲロの代わりに吐き出されるのは、彼が半生でため込んだとも思わしきうらつらみのたぐいだった。


「人間ってのは、試行錯誤しこうさくごしてよりよいやり方法を探すもんでしょ? なのに店長は、やれマニュアルだ、接客がなってないって……ぼくにはぼくのやり方があるんですよっ! こっちはねぇ、すこしでも改善してやろうって思ってたのに……聞いてますか藍奈さん!?」

たわむれ程度には」

「ほら、そうやって耳を傾けてくれるのは藍奈さんだけだ……女神さまだけなんだ……ぼくがなにを言っても、パワハラで心がまいって、お酒を浴びるほど飲まないと眠れなくなって助けを求めても、誰も手を握ってくれなかったのに……藍奈さんは優しく手を繋いでくれる……」


 まるで藍奈が善意でやっているような口ぶりだが、バイトの延長線上だから付き合っているに過ぎない。

 金銭が発生しなければ、とっくの昔に青年の鼻っ柱は潰されていただろう。


 しかし、そんなことはつゆとも知らない〝生きえべすさま〟は、なおも巫女にすがり付き、涙さえ浮かべて愚痴ぐちをこぼし続ける。

 もうほとんど、時系列がめちゃくちゃな話だった。


「恋人にも口ばっかりだってフラれて――あいつは他に男がいたんだ。仕事を自主都合じしゅつごうで辞めさせられて、酒しか心を救ってくれなくて、借金で首が回らなくなって、それで」

「それで、どうしましたか」

「海へ……海へ、飛び込んで、じ――自殺しようとして」


 この辺りの海域は、特殊な地形ゆえに、大渦おおうずが巻く。

 一度飛び込めば、決して浮上できない自殺の名所というみだが。


「生き延びてしまった、と」


 男はこくりと頷き。

 それからまりの無い顔で笑った。


「藍奈さんは、だから女神さまなんです。ぼくは海の中をただよっている間に、地獄を見ました」

「地獄、ですか」


 わずかに、藍奈の眉が動いた。興味を持った様子だった。

 けれど青年は気がつかない。ただ思うまま、アルコールが導くままに、乱れた言葉を口にする。


「ぼくを馬鹿にしたゴミどもが落ちる地獄ですよ。いっぱいただよってたんだ、水の底で身もだえていたんだ。亡者もうじゃだった、亡霊ぼうれいだった、絶対に人間なんかじゃなかった。だってそうでしょう? 水の中を自由に泳ぎ回れる人間なんていないんだから……だから、みんなああなるんだ……でも、ぼくは生き延びて選ばれた。見てください!」


 バネ仕掛けのようにね起き、よろけてたたらを踏んだ男は、それでも胸を張って周囲を示した。


「ここではぼくが正義です。ぼくこそが女神さまにふさわしい神です! 誰もぼくに逆らわない、みんなぼくにこびへつらう! ここが天国でなくて、なんだって言うんですか……!」


 言い放つなり、青年はひかえていた男衆へ、からさかずきを投げつけた。

 割れて砕ける酒のはい

 流れ出すのは血液一条いちじょう


 しかし不気味なほど、住民たちは顔色を変えなかった。

 ただニコニコと、青年を見守っているだけだった。


「どうですか!」


 青年は再びほこった。

 そして、そのままぶっ倒れた。

 倒れて、満足そうな寝顔をみせる青年を見下し、巫女は一言。


しき」


 と、口にするのだった。



§§



「我々の行動が不思議に思えましたかな?」


 酒宴しゅえんの空気にきして外へ出ると、壮年そうねんの男性が声を掛けてきた。

 奇妙な風貌ふうぼうをしていた。


 七浦ななうらの住民はみな似通にかよった、けれど特異とくいな顔立ちをしているが、彼は一層特殊だった。


 ぎょろりとした目に、たいらな鼻、小さな耳。

 皮膚病でもわずらっているのか、ガサガサと鱗のようになった肌……。


「えっと」


 記憶を探る。

 見覚えがあった。


「町長さん、だよね?」

「この街には、来訪神らいほうしん到来説話とうらいせつわがあるのですよ」


 来訪神?


「外から来たものをもてなすと、富をさずかることが出来るという話です。伝わっているのは、このような一節ですね。『海より大いなるもの来たりて、我らを楽園へとみちびかん。供物くもつささげよ。さらば世は永久とこしえ水底みなそこへと沈まん』」

「…………」

「とかく、我々はそんなお伽噺とぎばなしを信じているのですよ。だから、海より来たるもの神の使いだと崇拝すうはいする。彼も――」


 町長さんは、屋敷の方をチラリと見遣みやって。


「きっと、我々の歓待かんたいをうれしく思ってくれると、信じております」


 なんとも薄気味悪く、笑うのだった。


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