第四話 崖の上で、喪服の男は意味深長な言葉を吐き捨てた

 つかゆるされた休憩時間、あみですり切れた指先をいたわりながら、崖の上へと登る。


 ちょうど、砂浜を見下ろせる位置に来て、支給されたおにぎりを頬張ほおばった。

 ほぐした鯖の身にマヨネーズをえた具を楽しみながら、海原うなばらへと目を向ける。


 眼下に広がる紺碧こんぺきの海。

 海底まで透き通って見えるクリアーな水質。

 水底みなそこにあるのは――


「そこは、かつて人類の生存圏せいぞんけんだった場所だ」


 突然背後から声をかけられて、持っていたおにぎりを喉に詰まらせる。

 むせていると、お茶が差し出され、有り難く飲み干す。

 なんとか息を吐き、お礼をしようと振り返って――あたしは、全身を硬直させた。


 喪服もふくの男がいた。

 身長は二メートルほど。

 筋骨隆々きんこつりゅうりゅうとしていて、なにかがキマっているように両眼を見開き、まばたきひとつしない偉丈夫いじょうふ


「あんたは……」

砥上とがみ幻揶げんやだ。いや、俺のことなどどうでもいい。問題は、ここで俺と貴様――いや、おまえたちがったという事実だ。くわだてを感じるな、謀略ぼうりゃく悪逆あくぎゃくがこすれ合う最悪の臭いだ。……ふん、心霊バイト、そのオーナー辺りの差し金だろう。もっとも、今回はアレの思うとおりにはいかんだろうな」

「……あたし、からは苦手だよ」


 だから、真っ正面から聞く。


「あんたがここにいるのは、藍奈と関係があるから?」

「――――」


 男は口を閉ざした。

 潮溜しおだまりから吹き付けてきたような、ぬるい潮の香りが、あたしたちの間をただよう。

 そのまま男は沈黙を続けるかに思えたが、やがて。


「無関係だ。俺は俺の理屈で動いている。災厄さいやく排除はいじょしているだけだ」

「こっちに危害を加えるつもりはないってこと?」

「おまえたちは、陸路りくろでこの街へ来たのだろう?」


 問い掛けに問いかけで返される。

 どう答えるのが正解か解らず押し黙るが。

 男は勝手に頷いた。


「陸路ならば、この街の〝仕掛け〟は発動しない。海から来たものだけがとらわれる、無限牢獄だからだ。そう作ったのは俺たちだ、間違いない」

「え?」

「既に本丸ほんまるではないのだ、ここは。〝彼奴きゃつら〟にとって重要な拠点きょてんではない。本拠地たる、海神わだつみの眠る島も、いまは穏やかだ……だから確認のため、俺はこの街をおとずれたに過ぎん」


 …………。


「だが、そうだな。あえておまえに告げてやる言葉もある。その瞳に、いまだ闇黒のかげり、迷いが色濃く残るからこそ、俺がこの場で暗示あんじしてやることは出来る。形而疆界学けいじきょうかいがくは、その〝式〟を確立させた」

「いったい、なにを言って」


「明けない夜はないのだ、残り火を宿やどした娘よ」


 男が、強く。

 託宣たくせんを告げる聖人のような荘厳そうごんさで、告げる。


かむさびた永劫えいごうの中では、死すらも永遠ではない。なんじは体現者。かつて世界の中心に立った者。いいか、いまだなにも知らぬ愚者よ。夜は明け、朝日は昇るのだ。必ず昇るのだ。それだけを信じ、すべき事をせ」

「…………」

「俺が言えることなど、この程度だ。いずれまた、まみえることもあるだろう。さらばだ」


 突然現れて、風のように去って行こうとする男の背中に。

 あたしは。

 ほとんど咄嗟とっさに、訳もわからず声を投げつけていた。


「藍奈には、会わないの!?」

「――――」


 喪服の男は。


「俺が顔を見せれば、あれは怒り、戸惑う」


 ただそれだけ言って、街から姿を消した。


 ドプンと、遠くの海でナニカが跳ねた。

 白く、大きな魚影が、ずっと海底まで潜っていく。

 たくさんの魚影がうごめくそこは、人工魚礁ぎょしょう


 十年以上前に沈んだ、古い町並みのなれの果てだった――



§§



「あれ、藍奈、仕事は?」


 崖から戻ってくると、巫女が急ぎ足にどこかへ向かおうとしていた。

 相変わらず表情のない、けれど美しい顔をこちらに向けて。

 彼女は盛大に、ため息を吐いた。


「仕事をしていましたよ、さっきまで。よい翡翠ひすいが網に入っていたので」

「じゃあ、なんでこんなところに……ははーん、さてはサボり?」

「違います。例のヤツが、また私を呼んでいるというのです」

「あー」


 そこで納得した。

 ヤツ。

 一週間ほど前、あたしと藍奈が助け上げた海難被害者名も知らぬ青年


「ヤツは、いまでは〝生きえべすさま〟ですからね、やりたい放題ですよ」


 声だけで呆れを口にして。

 彼女は足早に歩き去って行く。


 一連の動作があんまりにも流々りゅうりゅうとしていて。

 あたしはつい、喪服の男と出会ったことを、彼女に告げるタイミングを逃してしまった。


「自殺未遂、ね」


 町長の屋敷ではばを利かせているらしい青年のことを、あたしは思い出していた。


「……なんで助けたんですか、クソめ」


 意識を取り戻した青年は、治療に当たった町医者たちを見るなり、悪態あくたいいたという。

 どうやら人生に疲れ、恋人に手酷く振られ、入水自殺をこころみたとのことだった。

 あまりにテンプレートな、生きているのが辛かったタイプの自殺志願者である。


 街では、そう言った人物を保護する決まりになっているらしく、町長が身元を引き受けることを決めた。

 警察は、口出しもできなかった。


 〝えべすさま〟の慣習かんしゅうだ。


 とはいえ、命あっての物種ものだね。助かってよかったと、あたしは勝手に思っていた。

 青年が、藍奈と再会するまでは。


「夢じゃ、無かったのか」


 男は、町長の屋敷に収支報告へやってきた藍奈をたまたま目にめて、そう吐き出したらしい。

 そうして以降、藍奈を「女神」と呼び続けている。

 自分の命を助けてくれたのは砥上藍奈であると、決めつけてだ。


 事実誤認じじつごにんに、思うところはない。

 あたしなんかの名誉より、彼の命が大事だ。

 問題だったのは、青年が彼女に――美しい藍奈に、強い執着しゅうちゃくをみせたこと。


「毎日のように呼びつけられて、会話と暇つぶしの相手をさせられる……藍奈もよく持ってるよね」


 正直なところ、いまの藍奈は不発弾のようなものだと思っている。

 あのパチモン巫女は、決して我慢強い生物ではない。

 感情が閾値いきちを超えれば、手のつけられないありさまと化す。

 それでも、彼女が暴発ぼうはつをこらえているのは。


「あの青年が、自死に向かわないよう、藍奈なりに気を遣っているからか」


 もしくは、彼の面倒を見ることで、街から特別手当をしぼり取りたいからだろう。

 砥上藍奈という女は、あたし以上にやりたくないことをいつまでもやり続けられる人間ではない。

 だから、本当に考えなければならないのは、藍奈自身のことではないのだ。


「〝生きえべすさま〟」


 この街において、生きて浜辺へ流れ着いた人間は。



「神様として扱われるって、どういうこと……?」

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