第21話 己が正義を貫いて

 セレンティア総合病院の外科で内視鏡手術を立て続けに三件こなしていたカスパールは、すべての手術が終わってからふうと一つ大きなため息をついた。

 変わらない日常。ただ一つ、愛しの婚約者がいないのを除いては。

 ほんの気まぐれで院内を散歩していたカスパールは、受付時間が過ぎても大混雑する外来を見て、おや?と疑問に思った。

 外科は普通の混み具合で、いつもと変わらない。だが、外来の待合室がずいぶん混んでいるように思う。事務作業を終えたら帰ろうかと考えていたカスパールは、未だ外来診察から解放されない仲間が気がかりになり、仲間の仕事が終わるまで病棟を見て回って時間を潰そうと考えた。

 カスパールは内科医のエドワードが更衣室にいるのを捕まえ、飲みに行こうと声を掛けた。エドワードは「嬉しいよ、もうくたくたなんだ」と力なく微笑んだ。


 「最近外来がやけに混んでいないか?外科はいつもと変わらないが、他の診療科はずいぶん混んでいるようだ。整形には怪我もしていないのにシップや痛み止めを欲しがる変な患者が来ると聞いたし。何かおかしな気がしないか?」

 カスパールはエドワードに最近の異変を聞いてみた。行きつけのワインバルで水のようにワインをがぶ飲みしたエドワードは、「俺も同じだ」とワイングラスをテーブルにたたきつけた。

 「変な患者が紹介状で沢山流入してきたんだ。紹介状には奇妙な処方が書いてあってな。診察した限りではその薬は全く必要ないんだ。至って健康なんだよ。だが、その薬がないと辛いと言って、どうしても紹介状通りの薬を欲しがる。そんな患者が急に増えた。肝臓の薬が欲しいから呉れというので検査したら、どこも数値の異常がない。だが、セレスティンを処方してくれという。セレスティンなんか、入院患者にごく稀に出すような薬だぞ?」

 「健康なのにセレスティンを欲しがるのか?副作用でほかの臓器がやられてしまうぞ。追加にハクタスを出したりするのか?」

 「ああ、ハクタスがないと副作用が辛いだろうからな。追加で出してる。紹介状には書いてなかったが……あの紹介状を書いた医者に会ってみたいもんだ」

 「ほかの科も同じなのか?やけに外来が混んでいるが……」

 「みんな同じだよ。薬くれ、薬くれ……。やたらマイナーな薬に詳しいのもどこも同じだ」

 カスパールは言いようのない胸騒ぎを感じていた。

 

 そんなある日、モナウン調剤薬局のソフィアが声を掛けてきた。確かファティマの友人だった女だ。

 「カスパール、話があるの」

 喫茶店に入って彼女が話すところによると、モナウン調剤薬局に来る患者が急に増えたという話だった。

 「あなたのところはどう?患者増えた気がしない?」

 「僕は外科だからな……混み具合は不思議と変わらないんだ。だけど、他の科は急に患者が増えて、みんな疲れているようだ」

 「カスパールは怪しいと思わないの?」

 「ん?んー、ちょっと様子がおかしいなとは思ってる」

 ソフィアはカスパールの顔を覗き込み、語気を強めた。

 「カスパールはそれでいいの?セレンティア総合病院の院長になりたいんでしょう?不正や詐欺が裏に絡んでいるかもしれないのよ?」

 「何だって?」

 カスパールはロドリーゴに最近の異変について聞いてみることにした。ロドリーゴならば何か知っているかもしれない。

 「院長、最近おかしな患者が増えているとみんなが噂しています。僕の科は静かだが、みんな奇妙な薬を欲しがっているのは共通しているようだ。何かご存じないですか?」

 ロドリーゴはしらばっくれた。

 「知らんな。私の診療科もいつも通りだが?何か感染症が流行っているのかもしれないな」

 「感染症に限らないようですよ。整形外科も混んでいる。どこも怪我していないにもかかわらずだ」

 ロドリーゴはワナワナ震えだし、カスパールを恫喝した。

 「下らん!刑事ごっこのつもりか?いつもとなにも変わらんよ!余計な詮索はするな!馬鹿馬鹿しい!」

 カスパールは急に声を荒らげるロドリーゴに疑いを濃くした。

 「どうしたんですか院長?あなた最近おかしいですよ?」


 ロドリーゴは察しのいいカスパールを消そうと考えた。カスパールは院長の椅子を狙っている。この計画の邪魔をする頭はあるだろう。ロドリーゴは組織のギリエムにカスパールを消してくれと依頼した。

 ある夜、カスパールが一人帰宅の途に就いていると、物陰から視線を感じる。気にせず車に乗ると、煽り運転の車につけ狙われた。自宅に着いて車庫入れしようとしたら煽ってきた車がこの周囲を周回している。

 「僕の命を狙ってるのか?」

 カスパールは物陰に潜んで不審人物が追跡してくるのを待ち構えた。案の定、不審人物は家の敷地をうろうろしだし、カスパールを探しているようだった。近くにやってきたところでカスパールは不審人物を捕獲し、万年筆を急所にあてがって脅した。

 「少しでも動くと殺すぞ。万年筆一つでもお前を殺すのは簡単だ」

 不審人物は息を止めて抵抗を諦めた。

 「誰からの差し金で僕をつけ狙っているんだ?」

 「それは言えない」

 「血を見たいのか?」

 「ロドリーゴだ。ロドリーゴの依頼だ」

 カスパールはその告白がスッと腑に落ちた。あの男ならやりそうだ。

 「ありがとう」

 カスパールはスマートフォンで警察を呼び、不審者を脅しながらそれを待った。そして警察に突き出し、カスパール暗殺計画は失敗に終わった。


 ロドリーゴは黒だ。絶対に裏で何か働いている。そう確信したカスパールは手掛かりとして紹介状に目を付けた。紹介状を書いた病院に掛け合えば嘘か誠かわかるはずだ。すると、案の定紹介状はでたらめで、紹介状を書いた病院など一件もヒットしなかった。

 「これを警察に提出して、捜査をしてもらおう」

 警察の捜査によると、薬の密売サイトが摘発され、ロドリーゴの通話履歴からギリエムの電話番号が炙り出された。ロドリーゴと犯罪組織が繋がっている証拠が次々と明らかになった。

 そしてついにロドリーゴの自宅に家宅捜索が入る。すると、信じられない余罪が次々見つかったのだ。

 ロドリーゴは児童ポルノ写真を大量に隠し持っていた。自分で撮影した写真はもとより、裏サイトで購入した児童ポルノビデオ、DLした児童ポルノ写真、裏サイトへの検索履歴やブックマーク、裏サイトの取引の証拠が次々明らかとなり、ロドリーゴは薬物を犯罪組織に横流しした罪と、児童ポルノを所持した罪で逮捕された。


 ホテルでテレビを見ていたファティマは、ニュースでロドリーゴ逮捕の報を見て呆れた。

 《セレンティア総合病院の院長で医師会会長のロドリーゴ・バルベイロ氏が、犯罪組織に薬を横流ししていた罪で逮捕されました。警察の家宅捜索によると、さらに自宅に大量の児童ポルノが発見され、警察は近く児童ポルノ所持の罪で再逮捕する見込みです。警察はロドリーゴ氏に余罪があるとみて捜査を続けています》

 「あの親父……何やってんの?馬鹿?何逮捕されてんのよ……」

 「薬を横流し?組織と繋がってたんかな?しかし、児ポ法違反ねえ……。懲りてねえんだな」

 「きっもちわる!全然反省してないんじゃんあのクソ親父。あー気持ち悪!軽蔑するわ」

 そして芋づる式に組織も摘発され、組織は事実上解体されることになった。

 それを境に、ファティマ達をつけ狙う追手の姿も見なくなり、ファティマ達は慌ててホテルを転々とする必要に駆られなくなった。


 一方カスパールはセレンティア総合病院の院長に就任した。医師会会長はロドリーゴの部下のロベルトが就任し、モナウ州の医療現場は暗雲が晴れてすっかりクリーンな環境が訪れた。

 カスパールはソフィアに声を掛け、高級レストランで食事を共にしていた。

 「すごいわカスパール。大手柄じゃない」

 「自分の正義に従っただけだよ。ソフィアの助言も大きかった。その節は有難う」

 「ううん、いいの。カスパールのためならなんだってしちゃう。ねえ、この後どうする?」

 「僕は帰るよ。仕事が残っているんだ。勿論、君を送ってからね」

 ソフィアは身をよじって食い下がった。

 「ええ~?!つれないの。仕事よりあたしを持ち帰ってよ」

 カスパールは眉をひそめた。露骨に誘惑してくるソフィアに不快感を覚えた。

 「悪いけど、今日はソフィアに感謝したくて食事に誘っただけだ。そのつもりはない。ファティマの帰りを待っているんだ。彼女を裏切るつもりはない」

 ソフィアは顔を歪めた。

 「ファティマは帰ってこないわよ。きっともう殺されてるわ」

 「帰ってくるよ。彼女をつけ狙う組織が、彼女は生きていると言っていたようだ」

 「待って何になるの?」

 「僕には彼女が必要なんだ……。最初はロドリーゴとの繋がりが欲しくて付き合っていたのは確かだ。それは認める。でも、だんだん彼女の魅力から目が離せなくなった。今では大切に思ってる。失って初めて、自分の気持ちに気付いたんだ。僕は彼女を愛していると」

 ソフィアはグラスに残ったワインを一気に飲み干し、「帰る」と席を立った。

 「あ、送るよ?」

 「いい。自分で帰る」

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