第9話 赤い僧服の淑女

「まあまあ、これは可愛らしいお客様がいらっしゃいましたね」


 笑顔でむかえてくれたのは赤い僧服をまとった淑女しゅくじょだった。

 すこしウエーブのかかった長い黒髪。

 青い瞳。

 整った顔立ちに細いフレームの眼鏡をかけている。

 年齢は果たしていくつくらいだろうか?

 シワひとつない顔。そしてピンと背筋のとおった立ち居ふるまいからは、老いのかげはまるで感じられない。

 だが二十や三十の若さで長官だの枢機卿すうききょうだのといった重職にはつけないだろう。

 やはり五十過ぎ、若くしても四十にはなると思われるのだが、とてもそんな年齢には見えない。


 総合すると若々しいのに老人めいた落ち着きがあるという、何とも独特の風格を持った女性。

 それが軍務省長官ヴァレリア・ベルモンドという人物の第一印象であった。





「まあ、つまりあなたはご自身の意思でこの地に来たわけではないと」


 勇輝の要領ようりょうをえないたどたどしい説明を、ヴァレリアは実に我慢がまんづよく聞いてくれた。

 だがその会話は信じられないほどかみ合わない。


「それにしてもそのニホンとは、いったいどこにある国なのでしょう。全く聞き覚えがありませんが」


 なーんとなく予想していたことだが、ヴァレリア、ランベルト、クラリーチェの三人は日本も東京も知らないという。

 世界的に有名なはずのこの名前をまったく知らない。

 なんとなくだが状況の予想ができてきた。


 勇輝は学生としてあまり優秀なほうではないが、それでも世界の大都市くらいいくつも知っている。

 ニューヨーク、パリ、モスクワ、ロンドン、北京……かぞえればきりがないほどたくさん思い出せる。


 それなのにこの連中ときたら。


「ニューヨーク? パリ? あなたがたは知っていますか?」


 たずねられた美形の軍人二人は、首を横にひねっている。

 知らないと言うのだ。


「知らないの、本当に? マジで?」

「ええ、まったく」


 ランベルトは悪びれた様子もなくそう答える。

 違和感のある話だった。

 この三人が教養のある人物だということは態度と言葉づかいで何となくわかる。

 それなのになぜかこんな簡単な知識を持ち合わせていないというのだ。


「むしろあなたの方がデタラメを言っているのでは?」


 クラリーチェの冷たい言葉に、勇輝は苦笑するしかない。


「そうじゃあねえんだよ、そうじゃあ」


 不毛ふもうな会話をかわしている三人をよそに、ヴァレリアは何やら思案している様子だった。

 それからもこの話は続けられたが、どうにもらちが明かない。


 けっきょくこれはアレだろう。

 異世界転生。あるいは異世界転移。

 二次元の世界ではよくあるアレだ。

 しかし仮にそうだとしても、何で女の子の身体になっているのかは説明がつかないままだ。


「ではあなたは、その女性の姿は本来の姿ではないと、そうおっしゃるのですね」

「はい」

「あらあら……」


 ヴァレリアはほほに手を当てておどろいている。

 のんびりとした口調で質問は続けられた。


「たとえばその姿の女性に心あたりはありませんでしょうか?

 お母様やお姉様、またはご親戚など、あなたの身近によく似た女性がいるとか……?」

「似た女性、ですか?」


 勇輝は壁にそなえ付けられていた鏡で、あらためて自分の姿を確認した。 


「さあ、こんな美人と知り合いになった覚えはありませんね」

「プッ!」


 ランベルトがたまらず吹き出した。

 たちまち勇輝の表情が険悪けんあくになる。


「なんすか、俺が何かおかしな事を言いましたか」

「いや失礼」


 ランベルトは苦笑しながら非礼をわびた。


「しかし自分の顔を見て『こんな美人』とは何とも……」


 クックッと肩をゆすって笑うランベルトに向かって、勇輝は舌打ちする。


「そりゃあんたにしたらコレが俺の顔なんだろうけれどね、俺にとっちゃまったくの別人だよ。

 アレが本当の俺なの、あのブサイクが本当の俺なんだよ。悲しいけどそれが現実なのよね!」


 勇輝はヴァレリアに手渡している生徒手帳の写真を指さしてそう言った。

 これは手ぶらだった勇輝にとって、数少ない所持品の一つである。

 後は家の鍵と財布、スマートフォンだけ。


 それはさておき、ランベルトは勇輝が指さす写真の醜男ぶおとこを見てまた笑った。


「ハッハッハ、そう気にすることもないでしょう。

 たしかに舞台役者にはなれない顔かも知れませんが、戦士になるには迫力があって良いと思いますよ。

 そんなに悪い顔じゃありません」

「あのな、その『舞台役者みたいな』色男にそんなこと言われたって、こっちはちっとも嬉しくねえっつーの!」


 ムキになる小娘がそれほど面白かったのか、彼は芝居じみた悪ふざけを始めてしまう。


「おお何という事でしょう。私はこんなにも貴女の事を気づかっているというのに、貴女はなぜその様な心無い事をおっしゃるのです。

 主よ、この者をただしき道へお導きください……」


 もっともらしいセリフを言って胸に手をあてるランベルト。

 ただし口元がニヤニヤとゆがんでいるで、イヤミな事この上ない。


「この、喧嘩売ってんのかテメエ!」

「おやおや、私はあなたの命の恩人なのですよ。そんな口を利いても良いのですか?」

「ふんがぎぎぎ……!」


 ああ言えばこう言う彼に対して、勇輝は顔を真っ赤にして歯ぎしりする事しかできない。


「おやめなさいランベルト、お客様に対して失礼ですよ」


 どこまでエスカレートしていくか分からないこの低レベルな争いを、ヴァレリアが穏おだやかにたしなめた。


「……はっ」

「まったくあなたらしくもない、騎士として恥ずべき態度ですよ」

「申し訳ありません」


 ランベルトはたちまち小さくなって頭を下げた。


「ケッ、バーカバーカ、レロレロレロ……」

「ユウキさんも」


 舌を出していた勇輝も非難が自分にむけられたので、あわててひっこめた。


「十五歳といえばもう立派な成人なのですから、そんな子供のような真似をしてはいけませんよ」

「す、すいません」


 しょんぼりと丸めたその背中に、ランベルトの冷笑が突き刺さる。

 いっぽうクラリーチェはというと一喜一憂する二人の様子をにらみつつ、くわえていた棒をイライラと上下させていた。


 ……余談ではあるが、どうやらこの国では勇輝はもう大人の年齢に達しているらしい。

 国がちがえば常識もちがう。

 ごく当たり前の話ではあるが、あと数年は気楽な未成年者でいられると思っていた勇輝にとってちょっとしたショックであった。


「さて、先ほどの続きですが」


 気を取り直してヴァレリアが質問を再開する。


「は、はいっ」


 そう、くだらない口喧嘩などしている場合ではなかったのだ。

 勇輝は今まさに人生の一大事に直面していたのである。


「そのお姿の女性に、心当たりはないのですね?」

「はい」


 これには自信を持ってハッキリとうなずける。


「それでは質問を変えます、あなたの国ではそのようにあかひとみをした人間は多いのですか?」

「えっ、いないと思いますよ?」


 その返事に、ヴァレリアの眼がすっと細くなった。


「いない、一人もですか?」

「は、はい、まあアルビノ……特別めずらしい生まれの人もちょっとくらいいるかもしれませんけど、基本的には」

「まあまあ、そうですか……」


 ヴァレリアは鋭い眼光をそのままに沈黙した。

 それを見て勇輝はひどく不安になってしまう。


 自分は何か悪い事を言ったのだろうか?


 救いを求めるような気持ちでランベルトを見るが、ランベルトも上司の思考を邪魔するわけにはいかないらしい。かるく肩をすくめるのみだ。


 そのまま十秒ほども無言の時が流れた。


 ヴァレリアはもとのおだやかな表情に戻って口をひらく。


「ユウキさん」

「は、はい!」


 露骨に緊張している勇輝の態度に、ヴァレリアは苦笑いした。


「まあまあそう身構えないで下さい。

 別にあなたに危害を加えるつもりはないのですから」

「はいっ!」


 はいとは言ってみたものの、今は人生の一大事である。

 勇輝は笑おうとしたが、顔を引きつらせる事しかできなかった。

 そのいびつな笑顔にヴァレリアは苦笑をかくしきれないようであったが、あえてそこには触れずに会話をつづけた。


率直そっちょくに申し上げますと、わたくしにもあなたの身に何がおこったのかは分かりかねます。判断材料があまりに少なすぎるのですよ」

「そうですか」


 勇輝は少なからずガッカリしてしまう。


「そう気落ちなさらないで下さい。もう少し情報をあつめれば何か分かるかもしれません」


 ヴァレリアは優しくそうさとすと、姿勢を正して勇輝に提案した。


「いかがでしょう、ても無いのでしたらわたくしの屋敷にしばらく滞在して、元の姿に戻る手立てとあなたの国に帰る方法を一緒にさがしてみませんか?」

「え、良いんですか?」


 今夜から家なき子かと思っていた勇輝にとって、願ってもない申し出だ。


「ええ、その代わりあなたが生活していたニホンという国のお話を色々とわたくしに聞かせてください。わたくし、とても興味がわいてきてしまいました」

「はいはいっ、そんなもんで良いならいくらでもお話ししますよ! よろしくお願いしますヴァレリア様っ!」

「では、決まりですね」


 勇輝はヴァレリアが差し出した手を大喜びで握り返した。

 エサに飛びつく野良犬のようなあさましい態度に、ランベルトたちはあきれ顔でため息をつくのだった。

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