第31話 対峙

「いったい何なんだ? 僕だって暇じゃないんだけど」


 桐山会長の至極もっともな苦情を無視して、私は彼に向き直る。


「合唱祭に出ないってほんとなの?」


 そんな私の言葉に、桐山会長の片眉がかすかにつり上がった。


「誰がそんなことを言ったんだ。会長挨拶だってあるんだから当然合唱祭には出る」


 そういうことじゃない、と内心思う。

 でもわざわざ会長挨拶を引き合いに出してくるということは、やっぱり河野さんたちの言っていたことは本当なのだ。


「合唱には参加しないって言ったそうじゃない」


 一気に核心を突くが、桐山会長は表情を変えなかった。


「それは、生徒会長は常にち──」

「──中立を保たなければならないなんて、そんなのが理由になると思わないで」


 苛立ちを抑えずに遮ると、桐山会長はようやく面食らったような表情を見せた。


「……いったいどうしたんだ、君は」


 私は別にどうもしない──どうかしているとしたら桐山会長の方だ。


「たとえば実はめちゃくちゃ音痴とか、喉を痛めてるとか、そういうのっぴきならない理由なら私だってとやかく言わない。でも違うでしょう」


 すると桐山会長は、まるで何か珍しいものでも見るみたいな目で私を見た。


「……なぜ君は、そこまで僕にこだわるんだ?」

「それは……」


 もちろん、二人の副会長から頼まれたのも理由ではある。

 けれどもし河野さんに「会長のことは、そっとしておいてあげて」と頼まれていたとしても、私はこうして追及しに来ただろう。だって──…。


「……負けたと思ったから」

「は?」


 桐山会長の訝しげな反応は無理もないと思う。でも一言で言うとすればそうなるのだ。


「ただみんなで歌うことが、みんなで歌う歌が好きだっただけの私なんかより、桐山会──桐山くんはずっと真剣に、真摯に合唱に向き合ってるって、認めずにはいられなかったから」


 普段通り「桐山会長」と呼びそうになったのをあえて言い直す。

 今は生徒会長としてではなく、一人の生徒として合唱祭に向き合ってほしい。


 桐山会長は静かに息をつき、ふっと目をそらした。


「どんなに真剣であろうと、間違った方向を向いてたんじゃ意味がない」

「……え?」


 桐山会長の言った意味がわからず目を瞬く。

 すると、彼はゆっくりとその視線を私に戻した。


「君は聞いたか? みんなが口々に『今年は表彰がない』と嘆くのを」


 私はとっさに梨花の発言を思い出す。私はまだ彼女の言葉しか聞いていないけれど、そうか……「口々に」と言いたくなるほど多くの人が口にしているのか。

 そう思うものの、あえてそのことには触れない。


「……まあ、そういう人もいるでしょうね」


 わかったのだ──桐山会長が、いったい何に遠慮しているのかが。


「……でも、だから?」

「え?」


 私は見上げる格好になりながらも、桐山会長とまっすぐに目を合わせる。


「だから何なの? そんなの最初からわかってたことでしょう。塚本くんだって乾だって言ってたはず。あなたのように考えるのは少数派だと」


 私はあのときの二人の言葉を今でもよく覚えていた。

 私が覚えているくらいなのだから、桐山会長が忘れてしまっているはずなんてない。


「あなたが異を唱えるまでずっと、合唱祭はコンクール形式だった。まさか、それが相応の理由もなく、偶然や惰性によるものだなんて思ってるわけじゃないでしょう?」


 桐山会長がかすかに眉を寄せた。

 が、私はそれに気づかないふりをして続ける。


「合唱を深く愛する一人の高校生としてあなたが考えたことや感じたことは、決して間違ってない。合唱は表彰されるためにやるものじゃないって、それは私も思う。でもね」


 桐山会長のせいで、私は気づけばいつだって合唱祭のことを考えているような人間になってしまった。

 これは、そんな私がたどり着いた結論だ。


「合唱祭以外のうちの行事──体育祭だって文化祭だって順位がつく。体育祭のスポーツは本質的に競うものだけど、文化祭の演劇や模擬店はそうじゃないでしょう? 合唱祭だって同じなのよ」


 桐山会長のようなタイプの人には、あまりピンとこないかもしれない。

 でも私たちは所詮高校生なのだ。「子ども」は脱したくせに「大人」にはなりきれない、ゆえに未熟さが一層際立つアンバランスな存在──…。


「……何が言いたいんだ」


 今やはっきりとしわが刻まれている桐山会長の眉間をちらりと見てから、私は口を開く。


「要するに、賞は多くの生徒にとって、最も単純で最も強力な目的──というかモチベーションになるってこと。とりあえずは賞を目指して歌う中で、ハーモニーの美しさや合唱そのものの楽しさに気づいたりするの。合唱祭はそういう行事なのよ」


 最初にうちの学校で合唱祭を始めたのが誰かなんて知らないし、その人が何を考えていたかなんてわかりようもないけれど。


「賞も、それを目指す練習の過程で育まれるクラスの絆さえも、合唱そのものだけに注目すれば副産物にすぎないかもしれない。でもそれを目指すことで素晴らしい歌が生まれることだってあると、あっていいと私は思ってる」


 実際、毎年そんな感じなのだ。

 最初から優勝を目指して一致団結しているクラスなんてまれで、合唱祭にまつわる活動は、たいていが「なんとなく」始まる。

 真剣に取り組もうとする集団と、一歩引いてみている集団の間に軋轢が生まれることも珍しくない。でもそれを乗り越えた瞬間、合唱は飛躍的な進化を遂げ、それまでとは全くの別物になる。


「……木崎さん。僕は君に対する認識を改めないといけないようだ」


 桐山会長は、妙に生真面目な表情で言った。

 が、私は彼に見直されたくてこんな話をしているわけじゃない。


「そんなことはどうだっていいのよ」


 私は桐山会長から目を逸らさずに続ける。大事なのはここからなのだ。


「あなたが理想とするような、合唱を真に中心に据えた合唱祭だってあっていいと思う。ただ、うちでこれまで行われていたのがコンクール形式の合唱祭だったってだけでね。でも」


 意図的に言葉を切って、私はすうっと息を吸い込む。


「それを気に入らないと引っかき回した挙げ句に? ようやく開催にこぎ着けた今年のこの合唱祭で? あなたが合唱を投げ出すなんて許されると思ってるの?」


 言いながら、(ああ、私はこの人に怒っていたのか)と他人事のように思う。

 間違っていようといまいと関係ない。そんなの個人が勝手に感じるだけで、誰にも判断なんてできないのだから。

 そして、だからこそ何らかの信念を持ってやったことなら、最後まで責任を貫き通すべきなのだ。


 桐山会長はしばらくの間目を丸くしていたが、ふっと息をつくようにかすかに笑った。


「……木崎さん、君は間違っている」


 何を言い出すのかと私が身構えたところで、彼は思いもかけない言葉を口にした。


「負けたのは僕の方だ」


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