ハルジオンが牙を剥く 2

 有臣さんの待機させていた車で移動。一時間ものあいだ、僕は後部座席で揺られた。

 移り変わる景色は見覚えがある。

 以前は乗用車ではなくワンマン列車だったけれど、たしかに一度目にした遷移だ。

 運転席でハンドルを握る先生は、法定速度ギリギリを飛ばしていた。横顔は常に張り詰めており、事態の切迫を物語っていた。

 こういう場合、まずは情報の共有が先決だ。

 管理局の状況と、猶予。相手の動きや手口、そして何より、僕らに求めていること。

 なのだが、込み入った話は彼女の一言で省略された。


「詩島くんと端紙さんのことは、こちらでも把握しています」


 遠隔マナーモードで繋いでいた端紙が「へぇ」と声を漏らした。

 端紙の操作で、『リラ』の通話音声が筒抜けになる。たった一言の反応は有臣さんにも届いたようだった。

 バックミラーから、一瞬だけ驚いた目を僕にさし向ける。


『こちらも、おおまかな情報はすでに共有しています』

「そ、それは頼もしい」


 車がトンネルへと突入する。

 昔はトンネルの中でラジオが聞けないこともしばしばあったらしいが、端紙は平然と会話を続けていた。暗闇で二人の声が飛び交う。


見越しての人選だったのですね』

「……はい。我々はまず第一に、詩島さんとあなたを引き合わせることを優先した。管理局はその特殊な立場上、外部に協力を要請することが難しい。だからあなた方のような存在は貴重で、同時に頼みの綱でもあります」

『そうですね。ひとの記憶を集積している行為は公にはできない。要は、私を泳がせていたのは育成のためですか』


 運転者が、僅かな間を置いて頷く。


「聞こえはよくありませんが、似た理由でした」


 『リラシステム』の不具合解決のために視聴覚室へ呼ばれたときから、僕は管理局の武器として鍛えられていたという話しだった。

 そう、きっと僕らは片踏マナに対抗するための手段。

 幽霊には幽霊をあてがう。敵に最適なパートナーがいるのであれば、こちらもパートナーを。そうやって最適な備えを模索した結果見つかったのが、詩島ハルユキと端紙リオという組み合わせ。


 トンネルを抜ける。

 そこはすでに、管理センターの所在地である笠矢かさやだった。


 なるほど確かに、管理局の理屈は通っている気がした。

 おそらく僕らはこのときのために引き合わされた。


「現在、管理センターは第三区画まで侵入されています。階数でいえば二階のスタッフエリアまで人が押し寄せている。片踏マナは物理的に施設内を侵略、そこから特別回線をとおしてマナを招き入れている」

『実際はもっと複雑で回りくどい手をつかっているでしょうが、この際それは置いておきましょう。どうせ片踏マナは最奥のサーバーへとたどり着く。もうどれだけ対抗策を講じても遅い』

「はい。これは時間との闘いです。我々があなた方にお願いしたいのは、ひとつだけです」


 僕らにできること。求められること。

 これから赴く戦地での作戦会議。


 時間も人手も足りない。

 把握だって、一般人の僕には追いついていない。

 知識? きっと片踏キョウには劣るだろう。情報? きっと僕だけでは羽虫程度にしか活用できないだろう。

 だけど、信頼と本気度だけは勝っている。

 それだけは自負できる。


「我々にとってはかつてないピンチですが、同時に、これは校長――高垣副局長の目論見どおりでもあります」

「目論見? 校長の?」


 僕の疑問に、有臣さんに代わり端紙が教えてくれる。


『管理センターの最奥、サーバーのある区画は、情報の漏洩を防ぐために外部との通信が制限されている。エサを置いた防音室とでも思ってくれればいいです』

「な、なるほど」

「端紙さんの言うとおりです。アレは最優先で守らねばならない宝箱であると同時に、片踏マナを捕まえるのに最適なオリでもあるのです」


 そういえば、見染目が片踏キョウの自宅へ押し入ろうとした際に語っていた。生身の人間を捕まえるならば叶うだろう。しかし、実体のない片踏マナを捕らえるには至らない、と。

 だけど、管理センターの奥ならばそれが叶う。


「でも、どうやって? 端紙に任せればいいの?」

『いえ、おそらく――』

「着きました」


 車が停車する。

 乱暴な駐車にはもはや突っ込むまい。僕らは降車して、外まで列の伸びる管理センターを眺めた。

 いつか来訪したときとは全く異なる。自動ドアは開きっぱなし、そこからあふれ出るように人々の背中が飛び出ていた。遠くから眺めると、入り口はひしめき合っていて隙がないことがよくわかった。


『詩島さん』

「ん?」


 耳元で、端紙が囁く。

 「こちらへ」と先導する彼女の背中を見やり、けれど意識はすべて端紙へと向けていた。


『きっと私たちに求められているのは、』


 声は冷静に、そして冷酷に告げる。

 忠告のようにも、鼓舞のようにも聞こえた。



『――殴り合いです』




◇◇◇




 目の前に、鋼鉄の扉が構えていた。

 無機質な金属は鈍く光を反射し、ひと目でわかるほどの厚さと重さは、まさに研究所の檻を思わせる。細長い覗き窓に格子があれば完璧だった。


 場所は管理センターから裏側へと移動した場所だった。

 従業員用の玄関はすでに人がマークしていたため、僕らはさらに回り込んだ場所からの突入と相成った。辛うじて死角となっているその非常口は、未だに見つかっていない。だけどそれも時間の問題だろう。

 僕は有臣さんによって解錠された扉のノブを握り、制止していた。落ち着いて話せる最後のタイミングだった。

 携帯から、端紙が声をあげる。


『この扉をくぐった瞬間から、標的はあなたへと向かいます』

「……そうなんですか?」


 僕にとっては想定通りの展開だった。疑問の主は有臣さんだ。


『ここは管理センターの外。すでにサーバー付近まで侵入している片踏兄妹あちらからは探知も届かない。でもこの先からは別です』

「……入った瞬間に気づかれる、ってことか」

『詩島さんの言うとおりです。私が管理局の抵抗に力添えした時点で、相手はイヤというほど私たちを意識しています』


 説明を聞いて、有臣さんは険しい顔をした。これから僕が切りぬけなければならない状況に気づいたのだろう。

 そう。

 ここから先は、端紙と繰り返した鬼ごっこの時間だ。


「……まえから思ってたけど端紙、人使いが荒いね」

『あら、お嫌いですか』

「正直やめてほしかったよ。これでも帰宅部だって何度も言ったじゃないか」

『ですが、あなたは立派に従ってくれました。やり遂げてくれました。だからきっと今回も大丈夫』


 僕は頷いて、手足を軽く伸ばす。

 それから、不安と期待の入り交じった表情で見つめる彼女の方を振り向く。


「先生」

「はい――は、先生?」


 その間の抜けたような反応は、かつて担任として接してくれていた有臣先生を思い出させた。やはり仮初めでも、ウソではなかった。彼女は身分を隠していたとはいえ、れっきとした僕の先生だ。

 改めて向き合い、頭を下げる。


「ここまでありがとうございました。あとはこちらでやってみます」

「……詩島くん」


 顔を上げると、名前を呼ぶその顔は紛れもない教師の表情に変わっていた。

 安心させるように頷いは踵を返し、ドアノブに再び触れる。力を込めて、いつでも入れるように準備する。

 深呼吸。覚悟を決めて、意識をこの先だけに集中する。

 研ぎ澄ましていく感覚の中、信頼できる幽霊の声だけが響く。


『では手筈どおりに。内部は片踏マナによって隔壁が閉じられていますが、そちらは管理局のバックドアから一時的に解放されます。制限時間は六分です』


 ドクン、ドクン、と心臓が緊張に呼応する。

 その瞬間に備え、全身が血の巡りを意識する。


『突入と同時に互いの位置は筒抜けになります。目的地は五階西棟、リラシステムメインデータバンクです。ルートは私にお任せを。ドアノブを回して』


 手首を回す。

 鼓動が高鳴る。外界の音より自分の音が存在感を増す。けれど端紙だけは鮮明に声を届けてくれる。


「ふぅ――」


 隙間が生まれ、向こう側にリノリウムの床が見えた。


 息を吸って、止める。


『タイミングはあなたに任せます。では約六分の逃避行、よろしくお願いします。詩島さん』


 僕は目を閉じて、瞬間の静寂を感じた。

 幽霊の鼓動はない。規則正しく、それでいて煩く鳴るのは自分の心臓だけだ。

 けれど、決して無ではない。

 追想の愛がそこにいる。過去から伸びた影法師が、今の僕を導いてくれる。


 すべては、あの夕陽の誓いを未来でカタチにするため。


 ――ああ。

 残像のように、目蓋の裏に浮かんでくる。


 あすふぁるとにできた、ぎんいろのかがみ。

 かなたにふりそそぐあめ。

 やんだやんだと、そよぐかぜ――。


 視界が開かれる。

 心は水面みなものように落ち着いていた。



「――ッ!」



 僕の腕が扉をひらく。

 足の体重が移動する。


 示された道に、詩島ハルユキは身を踊らせた。

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