4章
ハルジオンが牙を剥く 1
「お
「了解」
『リラ』管理センターは、かつてないほど賑わっていた。
土曜日という理由だけでは説明できない行列が早朝から埋め尽くし、一階は水族館並の混雑を見せている。
普段ならともかく、度重なる不具合によって存続が危ぶまれている現状においては異常であった。
対応の手を塞ぐよう仕向け、裏で今なお指示を出す少女。
手のひらのなかで弄ぶように、状況を左右する一手を幾重にも張り巡らせる。あらゆる手段で指示の発信を試みる。
ツールならなんでも使う。あり合わせの予備メモリをブースタードラッグの如く消費し、焼き切れそうな回路を酷使。あらゆる方面から管理局の妨害策を講じる。しかし全体の四割は瞬時に管理局の妨害を受け
のこり六割の策のうち、通ったのは二割程度というところ。
容易に明かせない内密な研究を占めるあの機関のことだ。満足に助けも求められず、容赦なく責め立てる攻撃にじわりじわりと自由を奪われていた。このまま順調に事が進めば、数時間後には管理センターのセキュリティに穴ができるだろう。
――だが、片踏マナは納得がいかなかった。
想定では、すでに管理局の内側へと入り込めるほどの隙ができているはずだった。
本来であれば、管理センターはこの状況に対応しきれず、第六区画までなら侵入を許していた。兄である片踏キョウが奥へと侵入し、外部からのアクセスでマナごと移動を可能としていた。
こんなところで手をこまねいているなんて、あり得ない話だった。
……二割は通った、という見方は間違っている。
二割しか、通っていない。それも些細な攻撃――例えば、漏洩しても大した問題にならない情報や、『リラ』のカスタマーセンターを対象としたもの――がほとんどだ。おそらく事前に許容するラインを定め、被害の少ない攻撃だけを受けているのだと直感で理解できた。
往生際がわるいことだ。
追い詰める管理局は、いまだにこちらの猛攻を耐え忍んでいる。
そんな現状に、片踏マナは苛立ち、爪を噛んだ。
ホームであり管制室でもある電子空間で、無数に展開される情報を睨む。
四割は管理局の妨害。
二割はフィルターに
なら、もう四割の攻撃はどうなっているのか。
――愚問。
「っ、」
マナは背後を振り返った。
やはり真っ先に潰すべきだった、と後悔するが、もう遅い。
口をわなわなと歪め、嫌悪感が情報の身体を支配する。長い長い実験の果て、意図せず完成し手に入れた感情が、例を見ないほどに膨れ上がる。
怒り。
差し向ける敵意が燃えさかる感情で膨れあがる。
片踏マナは、どこかにいる相手の名を叫んだ。
「端紙、リオッ!!」
◇◇◇
六月五日。土曜日。
午前十一時。
普段はひとりで利用している机の向かいで、端紙が頬杖をついて僕を見ていた。穏やかな笑みを浮かべていて落ち着かない。
僕は紅茶のカップから口を離して、首を傾げた。
「な、なに……?」
「いいえ。なんでもないです」
そうは言っても、視線が気になるんですけど。そんなにじっと見つめられると、こっちもチラチラ見てしまう。それで視線が合って、また顔が熱くなる。
彼女の嬉しそうに目を細める仕草がいけない。こっちも色々とこみ上げるものがあって身が持ちそうになかった。
誤魔化すつもりで、僕は話を再開した。
「こ、こほん。休憩はこの辺にして……ええと、なんの話をしてたっけ」
端紙はそんな様子さえ愉快そうに微笑んだ。
「片踏兄妹のことですね。片踏キョウの居場所と、その妹と一緒に何を目的としているのか。という話題です」
見染目クミカが片踏キョウの拠点を発見し、逃した翌日。
端紙リオはすでに彼の所在地と移動を細かに把握していた。見染目には悪いが、僕は片踏キョウを逃がすという行動をとった。その結果が、昨日の惨状である。
でも、おかげで端紙は彼の携帯をマークすることができた。そうなれば話は早い。
『リラ』に限って言えば、端紙は相手の今現在の居場所も把握できれば、過去に訪れた場所だって確認できる。そこから推測を立てることなど造作もない。
紅茶の湯気がのぼる。その向こうで端紙は気を取り直し、改めて口にした。
「彼女らが必要としているもの。それは――『リラシステム』に蓄積された記憶データです」
記憶データ。
この市で生まれた人間を対象に読み取った、幼少期の記憶。行動の基盤ともなり得るそれらは、いくらでも活用法があるだろう。この手の分野に詳しくない素人ですら価値があるとわかる。きっと専門の人間……いや、情報そのものの片踏マナなんかは上手く利用する。
「彼らが流布していた理想論は、生きている人間が死者を受け入れる世界です。それから、時おり差し向けてきた出来損ないの人形」
「出来損ないの人形?」
「あなたと出会った夜。私はひとりの幽霊を消しました。いえ――幽霊と呼ぶのもおこがましい。あんなものは、単なる映像に死人の声をあてただけの不快な人形にすぎません」
顔をしかめる端紙は、その人形とやらを嫌悪していた。
おそらく彼女の言っている人形とは、升ヶ並カオルから逃げ切った直後に襲ってきたあの幽霊のことだ。僕が襲われる寸でのところを、彼女は首を掴んで消してくれたのだった。
今にして思えば、あの男の人形も端紙と同じように独立して動いていた。
だけど、致命的に異なるのは中身だ。
端紙リオも、きっと片踏マナも、意思をもって行動を起こすことができる。しかし、あの夜襲った人形はただ生者を追いかけるだけのゾンビと相違ない。言うとおり、映像に半端な中身を注ぎ込んだだけのモノだったのだ。
「片踏マナは、きっとあの『人形』たちを幽霊に変えたいんです」
そのために必要なもの。それは
「私や片踏マナが閲覧できる『リラ』の記憶データは、大きく制限されています。具体的には……特定の人物の存在を確認はできるのですが、奥深くまで覗きこむことはできません」
プライバシー保護のようなものか。
きっと彼女は「僕の記憶データがある」ということは確認できるが、詳細をこと細かく見ることはできない。せいぜいが性格や行動パターン、趣味趣向くらいまでだろう。
そんな不完全な情報だけで、「人形」を端紙リオと同じ存在まで昇華させられるとは思えない。
――だから、片踏マナは『リラ』の記憶データを求めている。
もっと奥深くまで潜って、詳細なデータ群を手に入れて、『意思をもつ幽霊』をつくりあげる。
きっとそれは、あの兄妹が謳う「生きている人間が死者を受け入れる世界」に近い世界だ。
「『リラシステム』のデータを蓄積したサーバーは管理センターにあります。現在、片踏マナは手足となった信者を総動員して攻撃しています」
「っ!?」
しれっと口にした事実に、僕は目を剥いた。
攻撃している。今こうしている最中も、彼女は管理局のセキュリティをこじ開けようとしているのだ。
「ちょ、待って。いいの? こんなのんびりしてて」
そう問うが、端紙は肩をすくめて返す。
「私も手を貸しています。相手の連絡手段を邪魔する、という応急処置のようなものですが、効果は十分。陥落するまでの時間は確保できます」
「なら今のうちになにかしないと……!」
総動員して攻撃に出た。ということはつまり、片踏マナと片踏キョウが大手を振って行動を起こしたということに他ならない。勝負に出たのだ。横着している今も、おそらく遠く離れたところでは管理局と兄妹がぶつかっている。
紅茶を置く。
腰を浮かせて立ち上がった。そんな僕を、彼女のため息交じりの声が引き留める。
「来ましたか……意外に早かったですね」
「? 来たって、なにが、」
そのときだった。
ピンポーン、と玄関のインターホンが鳴ったのは。
僕は狭い通路の奥、マンション特有の玄関を凝視した。チェーンのかけられた扉の向こうには、たしかに人の気配があった。それがだれなのか分かっているくせに、端紙も一緒になって玄関を見つめている。
「……」
もう一度、インターホンが鳴り響く。
続けて二回。どうやら急ぎの用事のようだ。
とりあえず顔を出す。そのつもりで足を動かした僕に、席に座ったままの端紙が声をかけた。
「アレに応えれば、もう……こんな幸せな時間はやってこないかもしれません」
足が止まる。
張り詰めた声に振り返る。縋るような顔は、今にも泣きそうだった。
数秒のあいだ、言葉を反芻する。そして込められた意味を理解して、僕は動けなくなった。
視線はぶつかったままだ。
端紙は透き通った瞳の奥を揺らし、行かないでほしいと訴えていた。昨日のやりとりを思い出し、開きかけた口も閉じてしまう。僕はふたつの選択に挟まれて葛藤する。
きっと、端紙リオは自分でケリをつけたがっている。
片踏マナの強行を招いたのは――黒いプロフィールが蔓延る今の『リラ』を生んだのは――端紙リオだ。彼女が最初に事を起こさなければ、死者とマッチングするなどという不具合は起きなかった。感化された片踏マナは行動も起こさなかったかもしれない。すべては、目覚めた彼女が僕とのつながりを優先した結果だ。たった一度だけ剥いた牙を納めるように、端紙リオは片踏マナを消したがっている。
だけど、同時にそれは終わりを意味する。
『リラ』の不具合を解消し、すべてを正常な状態へと戻す。
片踏マナを消し、黒いプロフィールは一つ残らずナリを潜め、管理局の障害をすべて取り除く――ああ、理想的な結末だ。ここ最近の騒動は終息して、ユーザーの与り知らぬところで事件は解決する。僕が何も知らなかった頃のように、人々はまた『リラ』を通じ恋を謳歌することだろう。
でも……そこに端紙リオはいない。
今こうして僕の目の前にいる彼女は、事件の解決と同時に消える。
そんな予感がある。
反応が物語っている。
端紙リオとて幽霊であることに変わりはない。
たとえ結果的に管理局に恩を売っても、最初の罪は消えはしない。人々は端紙リオの消去を選ぶだろう。
「僕、は――」
乾いた口を、声を発さなければと動かす。
相反する感情が僕に選択を迫る。
端紙リオを失いたくない。
でもそれは、端紙リオの秘めた願いを、僕がソウタに誓ったことを裏切ることになる。
逃げは、未来を背負うことにはならない。
端紙も僕も、心の奥底での願いは共通している。
――すべてを乗り越えて、一緒に人生を歩きたい。
それを理解したうえで、彼女は行かないでと訴える。そんな夢でさえも叶う保障はないから、今を一緒にいてほしいと。
インターホンが鳴る。
居ることはわかっているぞ、と急かしてくる。何なら扉を叩く音も聞こえる。
僕は固い空気を肺に取り込んで、ゆっくりと吐き出した。
「僕も、できるならそうしていたい」
「……っ」
泣きそうな顔がさらに歪む。
「でも、できない」
「どうしても、ですか」
「どうしてもだ」
「……」
「僕は今の僕として、君と並びたい。だから、逃げることはできない。それが僕の誓い。詩島ハルユキは君の過去も現在も、未来も背負うと決めている」
僅かに瞳が見開かれた。
「端紙リオは消えない。消させない。消えたとしても、また取り戻すよ」
「――、それ、は」
ある種、それは大胆な告白。
僕は以前の僕ではなく。今を生きる詩島ハルユキとして、彼女のとなりに寄り添う。
そっと、手を差し出す。
幽霊に触れることはできない、エスコートのお誘い。
伸ばされた手を、端紙はじっと見つめた。待ち受ける闇に恐怖を抱き、胸のまえで固く結んだ手のひら。不安の表われだったそれはしかし、ゆっくりと解かれた。
「すぅ……はぁ――」
大きく深呼吸。かと思うと、口元に不敵な笑みを浮かべる端紙。
その変化は、纏う空気を一変させた。
一度閉じて持ち上げた目蓋。透き通る瞳には、覚悟という名の意思が宿っていた。
「わかりました。あなたを信じます。元より頼ったのはこちら。きっと私は――」
感触はなくとも、透けた指先を重ねて。
「――変わるときがきたのです」
◇◇◇
インターホンに応じる。
玄関の方へ行くと、さっきまで聞こえなかったノックの音が響いていた。気づかなかっただけで、来訪者はずっと呼びかけていたらしい。予想以上の必死さだ。
僕はのぞき窓に近づくことなく、チェーンを外す。
躊躇は必要ない。ドアノブに手をかけ、ゆっくりと開いた。そこには。
「はぁ、は……っ、詩島、くん」
髪を乱れさせ、疲労を溜めた有臣先生がいた。身につけているスーツも急いで着たように見えた。
有臣先生は僕が顔をみせるなり扉を押しのけ、肩をつかむ。
あまりの必死さに面食らったが、それくらい追い詰められているのだと考えれば納得だった。
僕が何かを口にするまえに。
有臣幸は先生としてではなく、管理局の者として、頭をさげた。
「あなたたちのチカラを……貸して……!」
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