けれどソレは偽物ではない 13

 川沿いを歩く。


 いつか見染目クミカに追いかけられた道だ。

 車の通りはなく、ガードレールの向こうからはせせらぎが聞こえる。進む方向を眺めれば、視界に入り込むのは大きめの端。夕陽に照らされながら、自動車が渡っていく。

 周囲に人影はない。僕はゆったりとした足取りで、しかも寄り道前提で歩いていた。

 頼れる友人と親友を失った直後である。それなりに傷心したのだが、どうしてか清々しくてたまらなかった。

 決して彼らが鬱陶しいとか、重荷だったとかではない。

 むしろ逆、素晴らしくて誇らしくて、同じ時間を過ごせた数ヶ月を誰かに自慢したいくらいだ。

 そんな人たちだからこそ、平穏な日々を送ってほしい。青春を犠牲にすることはない。勉強は嫌いかもしれないけど、ちゃんとやってくれ。こっちはこっちで片を付けるから。

 だから願っている。彼らの、荒咲学園の生徒として理想的な毎日を。


 その手助けになれたことが、今は誇らしい。




「――え、泣かせたの?」

『すみません。泣かせてしまいました』


 端紙が謝罪する。

 空を眺めながら歩いていた僕は、思わず苦笑してしまった。


 見染目とか、全然泣くところ想像できないんですけど……。父親の幽霊を見せられても涙は流してなかったし。

 いったい何を話したらそうなるんだ。


『いえ、過去を看破したら、なんか……泣いちゃって』

「えぇ……まぁソウタがいるなら大丈夫だと思うけど」

『ソウタさんという方のこと、信頼なさっているのですね』

「まぁね。彼くらいだから。記憶喪失でも変わらず接してくれたのは。他の人は一、二回会話すると、どうしても距離感がおかしくなる」


 入学したての人付き合いというのは、生い立ちを聞くところから始まるものだ。

 「出身どこ?」「部活なにかしてた?」等々。

 趣味の話なんかは必ずといっていいほど飛んでくる。でも僕にとってそういう質問は致命的である。記憶の欠落は全てを曖昧にする。断片的な記憶から趣味らしきものを探したところで、どこまでいっても「趣味です」止まり。

 会話には中身がなくなる。

 そうやって失敗を繰り返し、僕は友達づくりを失敗していった。

 ソウタがいなければひとりぼっちの昼食をとっていたことだろう。見染目だって、『リラ』の不具合という共通の話題があったから友人になれたのだと思う。


『へぇ……そういうところ、あまり変わっているようには思えませんが』

「変わってない、か。そういえば、記憶を失うまえの僕のことを知ってるんだったね、端紙は」

『え、ええ。そう、ですね』


 ……。

 …………。


 それきり、会話が途切れてしまう。

 今の僕と詩島ハルユキはもはや別物という認識ができあがってしまっている。それゆえに、彼女は以前の僕について語ることを避けている節があった。

 最後に話したのだって、初めて彼女が自宅ウチに来たときだ。日記を前にして僕について語っていたのを覚えているが、今思い返すと他に話したことはなかった。


 無言のまま、歩く。

 余韻を胸に、歩く。


 やがて、見染目クミカと相性診断をした休憩所へとやってくる。

 柵の合間から、ぽつんと置かれたベンチが目に付く。木製のソレは夕陽に照らされ、あの日を思い起こさせる。

 自動販売機のラインナップも変わっていない。

 寄り道しようと言い出した端紙は、この場所を指定していた。どちらとも何も言わず、休憩所へ踏み入る。そしてベンチへ腰掛けた。


 ――と。


 顔をあげた先に、いつのまにか全身を露わにした端紙がいた。


「となり、空けてください」


 しれっとそう言い放つので、僕は素直に横にズレる。

 幽霊とは思えないほど自然な動作で腰掛け、だれも居ない場所に二人きりとなった。


 聞こえるのは遠方から響く車道の音。耳を澄ませなければ察知できない小川の存在。

 川の反対側は住宅が密集しており、ビルから見下ろされる心配もない。改めて使ってみると、まるでヒミツの待ち合わせ場所のようなところだ。

 端紙がホログラムの身体をさらしていることが気になってキョロキョロしていると、「大丈夫です、だれもいません」と傍らから声がする。彼女の持っている地図は、この市内においてだけ万能な気がした。

 ともかく、誰かに邪魔される心配はないということだ。



「それで、どうしたの」

「……」


 ここを選んだ本人に問う。

 しかし、返事はない。横目でのぞき見ると、端紙は物憂げな表情で足元を見つめていた。言葉に表わすのに苦労していそうな雰囲気を感じ取る。

 なので、背もたれに体重を預け背伸びする。言葉が整理されるのを、気長に待つことにした。


「こうして話すの、久しぶりな気がするよ」

「そう、ですね」


 ふたりだけの時間。

 障害はなにもない、平和そのものな人生の一瞬だけど。僕は時に、だれにも邪魔されないこういうモノが、永遠に続けばいいと願ってしまう。


 例えば、神が言ったとしよう。

 「この世の仕事という仕事すべてを放棄して、代わりにソコで一生を過ごしてほしい」。

 あり得ない、許されるはずのないことを可能にする神にそう提案されたら、君たちは了承できるだろうか?

 授業で訊かれれば、僕らはきっと首を横に振る。

 教科書に描かれた、ベンチに座る男女二人組――第三者の視点では、二人はとてつもなく不自由に思うことだろう。だけど、当事者の感じ方はまったくの別物だ。ひとつの風景として理解した気になったとて、どこまでいっても回答者は部外者だ。

 僕もそうだった。神の提案に乗るわけがない。そう思っていた。


 けれど、実際に当事者になってみると、安易に断ることはできなくなる。


 要するに、この時間はとんでもなく幸福で、時間が止まればいいとすら思ってしまう。

 背負うと誓った端紙リオがとなりにいる。

 幽霊だって構わない。今という瞬間を生きているだけで、僕は世界一の幸せ者になっていた。

 でも理想は理想。現実ではない。神はいないしそんな質問を投げかけられることもない。

 おそらく端紙も理解していた。

 この時間も有限だ。短針が一定の位置まで回れば、自ずと僕らは帰る必要性が出てくる。ほら、こうして変化は訪れる。


 そっと、目蓋を持ち上げるとなりの彼女。

 僕は気配を感じ取り、薄く笑みを浮かべた。


「詩島さん」


 始まった。

 幸せな時間のカウントダウン。この話が終わった瞬間が、この時間の終着点だ。


「なに?」


 怖くはない。

 ただちょっと残念な気持ちを抑えて、彼女と視線を交錯させた。


「私の罪を、訊いてもらえますか」


 端紙リオの言う『罪』とは、僕が見染目やソウタに対して背負ったソレではない。

 もっと根が深く、どうしようもなく僕らを絡め取っていた、ふたりの間だけの罪だった。

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