けれどソレは偽物ではない 7
荒咲駅。
人が行き交う中を、僕は立っていた。
波はホームのど真ん中で佇む少年を避けていく。
ある者は邪魔そうに。ある者は怪訝な顔を向けて。
「――、」
車両のアナウンスが流れる。足音は絶え間なく視界を埋め尽くし、ノイズのように耳を邪魔する。
握り混んだ拳ににじむ汗を意識する。
忙しなく動かす視線で目標を探す。
感覚を研ぎ澄まし、嵐の奥を凝視する。
それでも足りない。探せ。もっと探せ。注意深く、些細な視覚情報をも逃してはならない。
鋭敏化したアンテナを張り巡らせるように、息をひそめるように、じっと待つ。
音はもう頼りにしていない。
黄色い点字ブロック。重なる靴。白い電灯。壁一面のポスター。移り変わる顔――もはや視覚がすべてだ。
聞こえるものからは意識をそらせ。
聞こえていても聞くな。
余計な情報だ。
唯一頼りにしていいのは、
『反応、ありました。十六秒まえ』
音の洪水にあっても、声ははっきりと理解できた。
「どこ」
『二番線です。前方の階段からあがって』
ナビされるや否や、僕は走り出した。
人混みをかきわけ、身を滑り込ませるようにして階段へと向かう。さながら川に歯向かう魚のようだと、そんなことを思った。
肩がぶつかって、怒る声が聞こえた。
端紙の声が目の前のことだけに集中させてくれる。足を動かし続けなければならない今を直視させてくれる。
『登り切ったら左方向。二つ目の通路を降りてください。エスカレーターはNG』
目まぐるしく変化する視界。十秒が瞬く間に過ぎていくように感じ焦る。
駆け上がり、少しだけ開けた空間をさらに走った。言われたとおり一つ目の通路をスルー、次の通路で曲がる。頭上の案内に表示された数字の『二』を確認し、一気に駆け下りる。
どこかで響くノイズが車両の来訪を知らせる。黄色い線から下がれと警告する。
二番線に降り立った僕は、周囲を見回した。
人通りはさっきのホームより落ち着いている。比較的遠くまで見えることが幸いしている。
だけど、それではまだわからない。ここはホームのど真ん中に位置する階段。すべてを把握はできない……!
『なにやってるんですか!』
「くそ、だから帰宅部だって!」
叱咤され、やみくもに走る。とりあえずは端の方まで走る。短距離走のようなもの、いや、折り返すとなるとシャトルランか。ドレミから始まる音階の代わりがアナウンスとは個性的な制限時間だけど。
怒られる可能性など度外視して、息を切らす。
視界はそのまま。常に俯瞰するように全体を捉えつつ疾駆する。しかし、目的のものは見つからず端まで来てしまう。
「はっ、はっ、はぁっ、……く、」
反対側だ。
『もう二分経ってます!』
「わかってるよ!」
息を整える暇もなく、僕は引き返した。
肺が苦しい。足が痛い。こちとらまだ筋肉痛が残ったままだというのに、これじゃあぶり返しだ。
「……っ、……っ、は、ぁ」
降りてきた階段を通り過ぎて、人を避けながら視界を注視。
空気を吸いすぎて喉が痛くなってきた。それでも諦めることは許されない。
走れ。
探せ。
もう連なる柱だけでいい。だって標的は必ずそこに近づくのだから――!
「っ! 見つけたっ!」
『急いで!』
言われたとおり、さらにギアを上げる。筋肉痛の足を酷使して、全力で走った。
車両を待つ客は邪魔だ。
やがて襲う疲労感だって関係ない。
視界に捉えた獲物。長身の手ぶらな男性が、ひとつの柱に向かっていく。
そして、喧噪に紛れつつ、腕を黄色い緊急ボタンへと伸ばす。
指が触れる寸前――。
冷や汗が流れる。背筋に冷たい感覚が走る。強張った足が震えた。驚いた顔が驚愕に染まる。耳が車両の音を意識する。まだ押されていないか、ブザーらしき音はないかと神経を逆撫でする。
いいや、そんな判断など必要ない。今はただ、
手を伸ばせ!
「間に合えッ!」
飛び込むように、男の腕を掴んだ。
勢いそのままに、体当たりでもするかのようにぶつかる。
「おわっ!?」
男性の驚いた声が聞こえる。
息苦しさを殺して、強引に引っ張るカタチでボタンから身体を引き離した。
遠くから金属の擦るような音が響く。二番線に車両が入ってきた証拠だ。どうやら間に合ったらしい。
……僕は腕を強く握ったまま、言葉を絞りだした。
「やめて、くださいよっ……!」
疲れと苛立ちを込めて睨む。
無精ひげを生やした男性はそんな僕を見るなりたじろいで、腕を振りほどくと一目散に逃げていった。
◇◇◇
「だぁあああ疲れたっ」
車両の発車した二番線。自動販売機のとなりのベンチにどかりと腰掛ける。
『お疲れさまです。なんとか間に合いましたね』
「他に押そうとしてる人は?」
『おそらくは大丈夫かと。片踏マナに従っているユーザーは数居れど、今回のように行動を起こす狂信的な者は少数ですから』
ミネラルウォーターから口を離し、僕は大きく深呼吸した。
『リラ』の騒動に乗じた行動は食い止めたが、おそらく今ごろ上の階ではアプリが暴走していることだろう。中央改札を出たばかりの広間は、普段から待ち合わせに使う人が多い。
端紙リオの事前の予測は当たったらしく、ネットの裏掲示板で数分前に指示の書き込みがあった。
おおまかな時間指定と場所。それに答えたユーザーこそが、さきほどの男だったという。
「ところで、いいの?」
『何がです』
「いや、今現在進行形で、被害は出ているわけで」
『リラ』の不具合――つまり黒いプロフィールが、上の階では横行している。僕が見染目とともに目にしたあの混乱が、一部の場所で発生しているのだ。それを見過ごしてよいものか、と罪悪感に苛まれたゆえの疑問だった。
しかし、端紙はゆっくりと吐息を吐き出し、冷徹に語った。
『昨日も一昨日も言ったでしょう。私たちのすべきことはふたつ。騒動の悪化をできるだけ抑えること。そして相手の手口や目的を掴むことです』
まぁそれは耳が痛いほど言われていることなのだけど。どうもこの活動に慣れ切れない自分がいる。
「はぁ、心が痛むな。それで、もう何回目だ、こういうの。あちこち移動するのは骨が折れる」
『……あとちょっと。あともう少しです。私の中でアタリはあるのですが、裏付けが足りない』
要は、まだ片踏マナの目的が不明瞭ということか。
こんな体力を使う対処はほとんどないけど、それはそれとして、いつまでも続けられていられないぞ。
僕らはとんでもなく不利なのだから当たり前ではある。
向こうは利用できる人手を有していれば、準備に割く手間だってないに等しい。予測の上で動くしかないこちらにしてみれば、とんでもなく楽だろう。
未だに大規模な行動を起こしていないことが幸いだけど……今日だって、「複数人で複数のボタンを押す」なんていう規模で計画されていたら手に負えなかった。実際、対処できず被害を複雑化してしまった件もあったことだし、長くは保たない。
こちらは僕と端紙リオだけなのだから。
「端紙の情報集めに期待、かぁ」
『ごめんなさい、足手まといのようです』
「そんなことない。無神経だけど、むしろそういうところには好感が持てるさ。よっと」
『え』
飲み干したペットボトルをゴミ箱に捨てる。
一度背伸びをして、足腰の気怠さにむち打って歩き出す。
と、ポケットの携帯が震える。
「ん」
通話がかかってきた。『リラ』アプリ内でのものではない。そちらの機能は端紙が占領している。
確認すると、表示されていたのはあの見染目クミカだった。
「……」
ホームでひとり、立ち尽くす。
避けている手前、気まずいものがある。以前は適当に出ていたのが、どうしてか躊躇ってしまう。
『出ないんですか』
端紙に背中を押されなければ、僕はずっと尻込みしていただろう。
おかげで目が覚めた気分だった。
意を決して、続いているコールに応える。
「もしもし」
すこしだけ、自分の声が震えている気がした。
端紙は以前となんら変わり映えしない口調で話した。僕が避けていることすら気づいていないように――きっとそれも勘違いだろうが――接してくれている。
こうして通話をかけたということは、つまり重要な話ということでもあるのだろう。
しかして、その予想は的中する。
彼女から持ち込まれた情報は、予想外に舞い込んだ吉報であった。
「真犯人を突き止めたわ」
久しぶりの見染目からの招集。応じないわけにはいかなかった。
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