けれどソレは偽物ではない 6
五月三十一日。
月の終わりである今日、あたし――見染目クミカは不機嫌だった。
「? どうしたの? 悩みごと?」
机を挟んで向かいの友人が首を傾げる。こちらの切羽詰まった状況など知りもしない、無知な存在だった。
それでも大切な友達。自分は頼り切って、誰にも見せない隙を見せてしまう。
「……付き合いが悪い」
「え、ええっ!? もしかして彼女? や、やったじゃないクミちゃん! がんばって!」
そうじゃないんだけどなぁ。
でも弁明するのも面倒なくらい、自分は参っていた。突っ伏すようにして呻く。
机のしたでやりとりしていた――否、やりとりをしようと話しかけた一言は、無慈悲な返しで一蹴されていた。
あの男、この状況をわかってるのだろうか?
管理局が大手を振って動けない現状、騒動の収束にあたれるのは自分たちくらいのものだろう。あれだけ追っていた端紙リオを放って何をしているんだか。ほんと、その薄情さには呆れたものだ。
……いやまあ、彼にもいろいろと思うところがあるのだろうし、強くは言えないのだが。
詩島ハルユキの事情は有臣先生から聞いている。
記憶の欠如、家庭から離れた独り暮らし。身の振り方を模索しながら、彼は生活をしていると。そう耳にした。
自分が父親の影に怯えるのとはベクトルが違う。それでも歴とした彼なりの業である。
人はそう上手く割り切れないということを、あたしは理解しているつもりだ。
「にしても付き合いが悪すぎるでしょ……」
ようやく戻ってきた御門先生に話を訊きに行こうと提案したのが、「ごめん無理」でバッサリだ。
昨日も調査に行くぞと送ったメッセージも、返信があったのは深夜である。
――仕方ない。
やはり御門先生のもとへは単独で行こう。
そう思い立って、立ち上がる。
「りさ、次の授業休みって伝えといて」
「ええ、またぁ?」
「駅前のドーナツ二個」
「わかった!」
五時間目を終え、授業の合間の休憩時間の会話だった。
あたしは教室の喧噪を背中に感じつつ、扉をしめる。
深呼吸。気持ちを落ち着け、覚悟を決める。それから、保健室へ向かうフリをして歩き始める。
すぐにチャイムが鳴り響いた。六時間目の授業がはじまる。
生徒はみな教室へと戻っていく。一週間のうちの最後の関門に、自ら飛び込んでいった。あたしはその人の流れを逆らうように歩みをすすめる。
窓の向こうは未だ明るい。
廊下に伸びる背筋を伸ばした影は、ゆっくり、ゆっくりと木目を過ぎていった。誰も気にすることはない。誰も同じ方向に歩くものはいない。皆教員がやってくるまえに退散することだけを目標としていた。
感情が冷えていく。
これから会う相手は、『リラ』の開発者だ。自分も知らない情報を持っているに違いない。なんなら、あたしが追っている真犯人である可能性だってあった。
だからこそアイツを呼ぼうとしたのだけど、無理ならば仕方ないこと。
あたしはあたしなりの備えを用意して
自然と拳が握りしめられる。
こんなにも感情をむき出しにして臨む理由はひとつだけだ。
あたしは許せなかった。
この騒動を起こすヤツの目指すものが。
どこのどいつか知らないが、ネット掲示板で同士を募るそいつは、死者と生者の密接に繋がる世界を謳っていた。
理想的だと
完全な在り方だと豪語していた。
今思い出しても虫唾が走る。
階段を上り、生物準備室へ至る直線を歩きながら、奥歯を噛みしめる。
――許容などできるものか。
幸せだ? 常識を越えるだ?
ふざけないで。あたしはもう、あんな悪夢は繰り返さない。
首元の傷に指で触れて、浮かんだ記憶を振り払う。
だから、絶対に逃がすことは――
「――、」
前方。
ガラ、と生物準備室から生徒が退室してくる。
詩島ハルユキではない。
より暗い目つきをする彼は一言二言挨拶を交わすと、踵を返しこちらへ歩いてくる。
まさか、自分と欠席している詩島ハルユキの他にもサボりがいたとは驚きだ。
僅かに観察しながら、廊下の左側を歩く。
こちらを気にすることもなく、生徒は通り過ぎる。
――すれ違いざま、理由もなく嫌悪感が駆け抜けた気がした。
「っ!」
思わず立ち止まり、振り返る。
猫背の背中は構わず離れていく。
「おや。今日はお客が多いねぇ」
あたしに声をかけたのは、生物準備室から顔を出したメガネの先生だった。恐らくこの人が御門先生だろう。
二者の間で、あたしは問う。
「彼は?」
「ああ、あの子は……なんと言えばいいかな。熱心な教え子というところか。研究の助手みたいなことをしてくれる良い子さ。それより、君もなにか用事があるんだろう? そんなとこに突っ立ってないで、どうぞ中へ」
促され、あたしは頷いた。
第一印象は悪くない。至って普通の先生で安心した。ただ、
「……」
廊下の角に消えたあの少年だけは、どうも気がかりだった。
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