けれどソレは偽物ではない 4
荒咲駅から数駅。
毎朝乗車している無人駅で降りた僕は、帰路に着くまえに最寄りのドラッグストアへ寄ることにした。
自宅マンションのあるここら辺は、荒咲市の近郊に位置する。駅こそ無人で寂れた様相だけれど、付近にはそれなりに買い物できる場所が揃っていた。
スーパーとドラッグストアと、宅配ピザのチェーン店と。服を取り扱う店舗だっていくつかあった。最悪電車に乗って数駅の立地だ、生活には困らない。このドラッグストアも常日頃から利用させてもらっている店舗だった。パート店員の顔を覚えるくらいには訪れていた。
入店するなり、遠隔マナーモードの携帯から声が響いた。
『夕飯ですね?』
「……」
買い物カゴに手を伸ばしかけ、僕は硬直した。
周囲に目を向けるが、こちらを気にしている客はひとりもいない。
『何をしているんですか。入らないんですか』
「あのね……こう話しかけられるのは慣れてないんだよ」
『そうですか。別にそちらから話しかけても問題ないと思いますよ。遠隔マナーモードなんて一昔まえのワイヤレスイヤホンと相違ないですから。街中で独り言みたく会話する人はそれなりにいると存じます』
「だけどなぁ」
こう、普段さわり慣れてない機能を利用するのは、さすがに勇気が必要なわけで。話しているだけでも変な人間に思われないかと心配になる。
しかし、端紙は諦めない。
こういうことに慣れていかないと後が大変ですよ云々。むしろここでウダウダしてる方がよっぽど変な人ですけど云々。
「わかった、わかったよ……繋げておくから、あんまり大きな声とか出さないでくれよ? 驚いて叫んだりしたら死にたくなる」
『はいはい。ほら、行きましょう』
カゴを手に取って自動ドアを通る。
ドラッグストア特有の青白い店内に足を踏み入れ、僕は奥側の冷凍食品コーナーを目指した。
時間帯はまだ夜にさしかかったばかりだ。
客はそれなりにいて、主婦や仕事帰りの男性などが見受けられた。思い思いの買い物をする彼らにならい、僕も棚を物色しつつ進む。
目移りなどはあまりしない性格ではあるが、それでも気になるものはないかと流し目に見ていく。シャンプーはまだ足りる、ボディソープも大丈夫。ティッシュやトイレットペーパーも問題ない。
携帯のメモ機能を確認しても、これといった買うべきものはなかった。そこには簡素に「夕飯」と打ち込まれているだけだ。
『いや、夕飯て。テキトーですか。ズボラなんですか』
「いいだろ……食いたいものを買っておけってことなんだよ。つまり今日の気分で決めろってことだよ。ていうかなに、見えてるの?」
端紙がメモ機能の内容を読んでいたのが、ふと意外に思えた。
忘れてはいけない。端紙リオは『リラ』を通して干渉する存在。彼女の領域外にまで目を伸ばすとは、高性能なAIにも思えてくる。
そんなことを思ったのだけど、見染目は謙遜する。
『見えていますが、それは詩島さんが裏でリラを開きっぱなしにしてくれているから可能なんですよ。立ち上げていない他のアプリは微塵もわかりません』
「そんなものか」
『ええ、そんなものです。ネットを開いていただければ検索もある程度可能ですよ。まぁ記憶メモリも介していないのでは、二単語検索するのが関の山でしょうが』
思ったよりも万能ではない。見方によっては、僕の頭よりも窮屈な生き方な気がした。
それが嬉しいわけではない。ないのだけど……それなりに理解しやすい存在であるというだけで、安堵する自分がいた。
――想像する。
端紙リオがもし超高性能で、現実のあらゆるシステムに介入でき、裏側からハッキングも可能にする兵器じみた存在だったなら。この安堵はなかったことだろう。
もはや人間の面影が消えているとなれば、きっと僕は敬遠していた。
だから、今の端紙リオを、僕は好ましく思っていた。
『詩島さん?』
「えっ? ああ、ごめん。どうした」
『いや、なんかレジの方まで戻ってきてますけど』
「……面目ない」
気を取り直して、再び冷凍食品コーナーへと足を運ぶ。
ここは定番の餃子にしようか? フライパンで焼くだけだし、手間もかからない。あとは唐揚げでいいか。これでウチの不足気味な蓄えもしばらくは保つだろう。
さて、お次は……。
すこし移動して、僕が立ち止まったのはカップラーメンを山積みにした一画だった。
手頃な安いものをカゴに放り込む。
『いやいやいやいや不健康不健康! カゴの中まっ茶色じゃないですか!』
「? まぁ、そうだね」
『カレーヌードル二個に餃子唐揚げ……カロリーしか頭にないんですか……』
「い、いや、ウチにコンビニで買った野菜サラダ余ってるし、野菜ジュースもあるし」
『必要な栄養素は肉と野菜だけじゃないですから。そこらへん理解してますか。もっと豆腐とか味噌とか納豆とか魚とか、あるでしょう色々。昼はいつもなに食べてるんですか?』
「購買のパ――」
『はぁ。聞いた私がバカでしたよ。そういえば前からその辺り無頓着でしたよねあなた……』
お、おおう……前からと。悲しいかな、この怠惰な生活は生まれついてのことらしい。嘆かわしいことだ、詩島ハルユキ。呆れられてるぞ、詩島ハルユキ。
というかそこまで言われるとなんだか申し訳ない気持ちになってくるな。ごめんなさいね? いやほんとに。
『とりあえず、味噌を買ってください』
「え?」
『いいから。買ってください。わかめと豆腐と昆布だしと、玉ねぎ……はいいです。今日はそれだけで結構』
「ま、待って。なんで味噌汁」
ていうか今月厳しいんですけども。
見染目に付き合わされて予想外の出費だってあったし、あんまり使いたくないんですが。
なんて抗議が喉元まで出かかったが、すこし怒ったような口調の端紙に歯向かう
気概はなかった。
『味噌汁からつくれば自然とバランスの取れた食事になりますから。ほら、焼き魚も納豆もセットでしょう?』
「……たしかに」
言われるがままコーナーを移動しつつ、耳元の言葉に感嘆する。
カゴに味噌――結構な量がある――と一緒に、いくつかの具材が追加された。ついでに、と納豆も買わされた。こちらは良心的なお値段だったので、今後もたまに買おうと決める。
ともあれ、買い物は出費を重ねて終わりを告げた。
端紙はあれこれと買う物に口を挟むものだから、レジを通るまでにいつも以上の時間がかかった。そのくせ「また片踏マナの追手から逃げるアレを繰り返したいですか」と急かすあたり、なんとも面倒くさい。急がせるのかじっくり選ばせるのか、はっきりさせてほしかった。
結局、店を出るころには辺りは真っ暗で。自宅には小走りで帰ることになってしまったのだから困ったものだ。
……。
でもまぁ、楽しかった。
口論しながら買い物なんて、事故にあってから一度もなかった。
いつも適当に済ませていた自分の生活に、誰かが入り込む。
ただコンビニで簡単なものを買って無人の家に戻るのとはワケが違う。記憶を失う以前――詩島ハルユキは、たまにはこうやって買い物していたのだろうか。ちゃんと母親とカートを押したりして。そうでなくとも、家では同じ食卓を囲んでいたはずだ。
僕はそれを失ったのだと、そう思っていた。
悲しむべきなのかもわからなくて、ただぽっかりと胸の真ん中に穴が空いていて、いつだってすぐ傍には虚しさがあって。色味も温かみもない日々を繰り返していた。
けれど、今はまるっきり違う。別世界に生きている気分だ。
友人ではない。
親でもない。
恋人でもない。
でも、大切な人。
それだけは分かっている相手。
僕はようやく、幸福を感じられた気がした。
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