傾いた景色は別物だ 14

 空気を巻き込むように音を吐き出し、金属の扉が閉まった。


 どうしてか西荒咲駅のホームに降り立った僕は、移動する人の波を避けるようにベンチへ腰掛けていた。

 回送の列車はすぐに四番線から抜けていき、客足もエスカレーターへと消えていった。ホームは束の間の静寂に包まれた。その間、僕という人間は時がとまったように固まっていた。

 考えるひとのように、頭の中身を整理していく。

 夜中の駅特有の蛍光灯が視界を照らす。白と黄色を混ぜた変な明かりが、無機質なホームを色彩づけている。


「……よし」


 依然として残る課題。解き明かさねば気が済まない違和感は、思考の奥深くに根付いている。増える一方であるそれらをどうにかしたい。ひとつでも減らしておきたい。

 そう考えた末に行き着いた手段は、手近なものから取り組むというものだった。

 簡単なものから、手の届く範囲から手をつける。端紙リオの疑問はいますぐに解決とはいかない。監視カメラの疑問はどう突き詰めればいいのかも不明。御門先生は後日訪ねればいい。

 となると、残るは『升ヶ並ますがなみカオル』だ。

 正確には、彼女のように『リラ』本来の意図と異なる目的で利用しているユーザーがいること。それ自体が問題である。

 宗教勧誘は言わずもがな、商売などといった目的で利用する者は徹底的に排除する。それこそが『リラ』が人々に信頼された要素――安全性だった。

 違反者には容赦なくペナルティが課され、アカウントは消去。どうあっても再び登録することはできない。それを可能にする所以が『リラシステム』について教えられた今なら理解できる。記憶と結びつけて動く『リラ』においてなら、他人を装い新たなアカウントを作っても容易に看破できる。規定上、登録者は個人情報をデータベースに参照しなければならないため、赤の他人に成りすました時点で齟齬が生まれる。

 ……つまり『リラ』には本来、恋愛を目的としているユーザーしかいないはずなのだ。

 それ以外は排斥され、また入ってこられない。


 であるならば、升ヶ並ますがなみカオルという女はどうなのか。

 勧誘内容からして、おそらく後天的にになったと考えられる。


 きっかけは端紙リオの起こした騒動。

 あの日を境に、『リラ』内では故人のユーザーネームが接触してくるようになった。もともとは普通のユーザーだったであろう升ヶ並ますがなみカオルは、不可解な現象にある種の救いを見出したのであろう。僕のように『リラ』の恩恵を受け取れないユーザーはそれなりの数いる。あの女性も同じ類いだったとすると……弱みにつけ込まれたとも捉えられるか。


 確認したいのは、彼女の現在の状態だ。


 もしかしたらあの付近で、未だに同じ勧誘をしているかもしれない。もしも健在だったなら、『リラ』の管理体制に何らかのスキが出来ていることが確定的になる。


「……どうかしてる」


 僕は駅を出て歩きながら独り言をこぼした。

 時刻は午後八時になろうとしている。西荒咲の街はすっかり夜の顔へと変貌している。だというのに、僕はまだ調査を続行している。

 理由なんて単純だ。

 僕は分からないことが多い今の状況が気持ちわるい。だからいてもたってもいられない。

 升ヶ並ますがなみカオルがあの洋菓子店付近を狩り場にしている保証なんてないに等しい。僕という獲物を取り逃して、すでに狩り場を変えていてもおかしくない。

 それでも「可能性があるなら」と足を運んでしまう。すべては気持ちわるさの原因をひとつでも減らすために。『リラ』の異常をすこしでも知れればそれで十分だった。




 すこし歩いて、見染目と来たときよりも早く洋菓子店に着いた。

 交差点を渡った反対側に、おしゃれにライトアップされた店構えが見て取れる。

 僕は人混みのひとりとなって、歩行者用の信号が赤から青に変わるのを待っていた。西荒咲のこの時間帯は、帰宅する社会人や塾帰りの学生で埋め尽くされている。中には部活帰りの生徒の姿もあって、帰宅部にはあまり馴染みのない景色だ。

 だけど、夜であるお陰かあまり気にはならない。場違いに思うこともない。


 ――信号が青に変わった。


 夜の薄暗さに紛れるように渡る。

 人々の渡航に混じり、向こう岸へ歩く。


 すぐに、件の洋菓子店が目の前に迫る。

 僕は回り込むカタチで周囲から覗きこみ、テラス席を眺めた。


「この時間帯でもいるんだな……」


 昼間ほどではないが、いくらか客は入っているようだ。

 生け垣が邪魔をしてよくみえない。できれば升ヶ並ますがなみカオルかどうかを判別できる方向からが望ましい。


 ――このときの僕は、客として入店するという選択肢を忘れていた。

 いや、避けていたのかもしれない。

 もうあの女には捕まりたくない。そんな潜在意識が「外側から眺めるだけに留めよう」と強制してしまった。


 結果的に、僕は別の標的をみつけてしまったのだ。




 ――時間がとまる。




 通りがかる靴音も、信号が鳴らす電子音も、走り抜けるタイヤの摩擦音も。

 すべてが遠い喧噪と成り下がる。


 自身の息づかいが誇張され、ドクンと心臓が脈を打つ。


 視界に飛び込んできた儚い色に、意識が吸い寄せられる。

 視線の先を横切る速度に合わせ、髪が揺れる。

 流し目に僕を捉えた瞳が逃がさない。


 なぜこんな場所を歩いているのか。なぜ不具合が起こってもいないのに見えるのか。

 彼女の口元は音を漏らさず、けれどはっきり伝わる動きで言葉を放った。



『こ』


『っ』


『ち』


 角に姿を消し、彼女は視界から消える。

 硬直していた僕はようやく呼吸を思い出し、正気に戻った。


「待っ……!」


 升ヶ並ますがなみカオルなどどうでもよかった。

 伸ばしかけた手を振り下ろし、わけも分からず駆け出す。たった今幽霊が消えた角を曲がる。

 時間にして数秒の出来事。なのに揺らぐホログラムは何メートルも先の角を曲がるところだった。白い服のすそを辛うじて覗かせて、また見えなくなった。

 明らかに人の移動速度を超えていた。


 背筋にぞわりとしたものが走り、追いかけていいのかと自問する。


 けれどその躊躇は一瞬のもの。目蓋に浮かぶ夢の光景が突き動かし、気づけば迷いを振り切って走っていた。

 背中を追えば、そこは居酒屋やカラオケが集う歓楽街。

 提灯ちょうちんや暖色系の明かりが四方八方から伸び、空腹を刺激する匂いが混ざる。酔っ払いの笑い声も飛び交い、洋菓子店付近とは空気も通行人の様相も異なる。まるで大人が支配する別世界だ。

 その中を、駆ける。


 ふらふらと歩くスーツ姿の背中。並んで歩く女性数人の壁。上司と談笑しつつ店を探す二人組の男。

 それらの隙間に、彼女の後ろ姿が覗く。

 だが、ふと見えなくなった瞬間に消えてしまった。


「はぁっ、はぁっ……たしか、ここらへんに、」


 もはやどこかもわからない。見覚えのない十字路で周囲を見渡す。

 居るはずのない、だけど確実に居た影を探す。

 そんな僕を、怪訝な表情で見る通行人。だがそんなことはどうだっていい。だって、だって……あの姿は間違いなく、


「いた……!」


 よりによって、十字路の中でもっとも人通りが少ない通りだ。その先で彼女は薄く笑みを浮かべると、また角に消えた。


「くそ、なんなんだよ!」


 僕は盛大に毒を吐く気分で追いかけた。

 今日は色々とおかしい。

 いや、ここ最近の話か?

 違う。ちがう。

 二週間もまえから、僕の世界は狂っている。ネジが外れたか、歯車がズレたか。端紙リオの日記を借りたときから、僕の平穏は崩れた。


「はぁっ、はぁっ!」


 端紙リオ。

 訊きたいことがいくつもある。元凶である君は、なんのために動いている? 何が起きている? 詩島ハルユキとどんな関係だった?


 歓楽街特有の明かりが減る。

 視界は暗く、闇の濃い通りへと移り変わる。


 怖い。戻りたい。


 でも止まることはできない。なぜならこの先に、僕が動く理由がいるから。『リラ』なんてどうでもいい。管理局がなんだ。不具合がなんだ。どうだっていいんだそんなもの。

 ただただ、君を知るためだけに、僕は――!


「あぐぁっ!?」

「きゃっ!?」


 角を曲がった瞬間、目の前からやってきた人影にぶつかってしまった。

 思ったよりも痛くはない。でもそれなりの勢いでの正面衝突だ。動転して顔も見ずに平謝りした。


「すいませんっ!」


 こんなことをしている場合ではない。

 早く行かなければ見失ってしまう。ここは適当に済ませてしまおう。


 そう即決し、顔を上げた僕はしかし――言葉を失った。



「あれぇ? 君こないだの子じゃない」



 升ヶ並ますがなみカオルという女が、甘ったるい声音で目を細めていた。

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