傾いた景色は別物だ 12

 授業に突入しても、僕は集中できずにいた。

 気分を切り替えるつもりで窓から眺めれば、空はここ最近の晴れを取り返すように灰色が埋めている。晴れよりも目に優しい。そのためか、数学の授業などそっちのけで考え事に没頭してしまう。


 ……見染目クミカが欠席している。

 いち生徒として当たり前なのだけど、彼女に風邪というのはひどく不釣り合いに思えた。しかし、それも僕の偏見だ。誰だって風邪のひとつくらいひくもの。昨日の今日だから、などという理由で疑うのも良くない。きっと気圧の変化が影響したのだろう。詩島ハルユキが特別な夢を見たように。今夜はにわか雨だともいうし、バランスがすこしおかしい日なのかもしれない。

 実のところ何気に頼りにしていた相手なので、作戦会議ができなくなって寂しく感じる。

 ――『升ヶ並ますがなみカオル』。

 釣り餌にかかった予想外の大物。今日の昼は情報を共有し、一刻も早くクミカチャンの考察をたまわりたかったのだけど……これで予定が崩れてしまった。

 今現在、爆弾のような情報を持っているのは僕ひとりだ。唯一の事情を知る協力者を失った自分にとっては痛い。


 とまぁ、これが僕の現状だ。ここから考えなければならないのは行動である。

 今日は水曜日。五時間目で下校が可能となる、貴重な日だ。絶好の調査日よりをムダにするのは惜しい。見染目がいれば問答無用に連れ出したことだろう。何なら「昨日の事を詫びろ」と食べ物でもせがんできそうだ。

 ともかく。

 見染目がいないからといってただ帰宅するのは避けたい。

 すこしでも可能性があるのなら、端紙リオを追いたい。付け加えれば、妙に気がかりなこともある。調査は外せない。

 であれば、どこに行くか、だけど……。





「あ? おすすめのデートスポットぉ?」


 昼食の席で、ソウタは焼きそばパン片手に顔をしかめた。


「どういう風の吹き回しだ? おまえ、あのアプリ嫌いじゃなかったのかよ」

「いやまぁ、そう……なんだけどさ」


 上手い言い訳が思いつかず、口ごもってしまう。

 そんな僕を気持ち悪そうに見つめていたが、不意に何かを閃いたらしい。露骨にからかうような視線を向けてきた。「ははぁーん」とほくそ笑み、にやにやする。


「ついにそのときが来たかぁ……大事にしろよー? 相性数値ワーストのおまえを受け入れてくれるなんて、このご時世じゃ聖母みたいな存在なんだから」


 なにか勘違いされたようだけど、この際どうでもいいや。話がこじれそうなので追求はしない。


「ともかく、何かいい場所おしえてくれ。映画館以外で」


 映画館は携帯が使えない。事前に電源を切るよう強制される場所では『リラ』の不具合なんて起こるはずがないので、除外させてもらった。

 ソウタはうなって考え込んだ。


「うーん……つっても、オレもデートの経験とかないしなぁ」

「じゃ質問を変えよう。ソウタの好きな人と一緒ならどこに行ってみたい? 映画館以外で」

「え、なに。映画館になんか恨みでもあんの?」

「いいから」


 ソウタはまたも唸る。

 イスの背もたれに体重を預け、天井を仰いだ。質問を変えた甲斐があったか、腕組みをして中々に真剣な様子。

 僕はコンビニのおにぎりを口に運びつつ、素朴な疑問を投げかけてみた。


「っていうか、ソウタの好きな人っているの?」


 霧島ソウタ曰く。『リラ』は恋心を歪ませるんだとか。

 彼には片想いの相手がいる。それは確実だ。本人の口から聞いた。問題は、彼女との相性診断である。もしも告白しようものなら、無慈悲で高性能な『リラ』は壁として立ちはだかることになる。

 相性が良くなかったら? 結果を気にして告白を断られたら?

 そんな恐怖が、ソウタという恋する少年の胸には渦巻いていることだろう。きっと彼のような生徒は少なくない。周囲の人みたいに占い感覚で診断すればいいじゃないか。そういう意見もあるにはあるが、割り切れるものではない。

 なにせ、好きな相手だ。

 仮に低い数値が出てしまえば、それはもう覆しようのない結果として確定する。互いの内側に残り続ける。


 ときに思う。

 『リラ』は、のハードルを上げているのではないか、と。


 数少ない友人、霧島ソウタの悩みとは――『リラ』を快く思わない理由とは、そういう類いであった。

 だからなおさら気になった。

 そこまでソウタを悩ませる相手がだれなのか、知りたくなった。

 ……ソウタは周囲に目配せする。

 誰も注目している生徒はいない。今は賑やかな昼時間だ。盗み聞きしている人だっていない。

 それでも最大限警戒して、彼はこっそりと名前を明かした。



「見染目クミカ」



 ――頭が真っ白になった。


 僕は唖然としてソウタの顔を見返し、本気かと表情で問う。

 当然、本気だ、と肩をすくめる。


 脳内に知り合った当時の出来事がよぎる。

 放課後にソウタと別れたあと、見染目クミカはやってきた。失礼な言葉を第一声に接触してきた。待て、そのあとは?

 たしか次に会ったのは……そうだ、水曜日だ。授業中に呼び出されて、視聴覚室で会った。そのあとは放課後に話しながら帰ったり、一緒に『リラ』の交流イベントへ調査に出かけたり。昨日も調査と称して洋菓子店へ行ったばかりだ。

 罪悪感はすごかった。


「……ごめん」

「え? なんだよ、なんで謝んの? あ、もしかして……被った? まじ?」


 頭を抱えながら、首を振る。

 そうじゃない。そうじゃないんだ、ソウタ。だって君は気づいていただろう。僕と見染目がなにかをしていると。僕らの関係性について尋ねてきたのはつい昨日の出来事だ。


「ああ、昨日のあれか。そりゃあ、嫉妬はするさ。先生にどんな無理難題押しつけられてるか知らんが、二人で手伝いしてることに代わりはないんだ。今もおまえが憎たらしいね」

「だから、ごめん」


 知っていれば、僕は見染目から距離を置いていた。彼女がそれを望まなくても、距離を置こうと努力した。

 しかし、ソウタは手をひらひらさせて言う。


「いいって。おまえ、付き合ってないって言ったじゃんか」

「それは……たしかに言ったけど」

「ウソじゃないんだろ。それとも付き合ってないだけで狙ってるクチか?」

「まさか」

「だったらいいんだよ」


 彼は「どうってことない」とばかりに食事の手を再開した。

 僕はそんな態度を素直に尊敬した。許せないと怒りを露わにすることもなく、それどころかそこらの友人の言葉を信じた。信じてくれた。こいつにとって、詩島ハルユキを信頼する裏付けなんて無いだろうに。

 彼を彼たらしめる強さを、初めて目にした気分だ。色々なことを隠している自分が恥ずかしくなる。

 ただ、僕からは一言だけ。


「ありがとう」


 そんな、飾りげのない、心からの感謝がこぼれた。


 ソウタは気にしていない。

 些細なことと流している。僕は友人であり律儀に信じてくれた彼に、いつかお返しをしようと決めた。



◇◇◇



「それより、デートスポットだろ。あるぜ、オレの行きたいところ。正確には行ってみたいところだけど」


 食事を終えたころ、ソウタが忘れていた本題に戻してくれる。

 僕は「そうだった」と会話に応じた。

 元はといえば、おすすめのデートスポットについての話題だった。さて、ソウタの行きたい場所はどこだろうか。遊園地とか水族館とかだろうか。できれば『リラ』利用者が集まる場所だと良いのだけど。

 ――などと考えていたが、彼の答えた場所は意外なところだった。


「『リラ管理センター』だな」


 りらかんりせんたー?

 脳内で大きな存在感を放っていた単語がそのまま飛び出してきて、一瞬思考が追いつかなかった。でもすぐに校長や有臣先生の顔と結びつく。

 リラ管理センター。

 それって、管理局の施設じゃないだろうか。


「え、いや……なんで?」


 疑問はいくつかあった。


「さっきの疑問を返すようで申し訳ないけど、ソウタこそ『リラ』が嫌いじゃなかったの?」

「ああ、嫌いだね。恋人をつくるで障害になり得る。でも、恋人とペアにとっては、この上なく互いを意識できるツールだと思う」

「な、なるほど。いやでも、それがなんで管理センターにつながるんだ」

「チッチッチ、分かってないなぁハルユキクンは!」


 誇らしげに、ちょっとムカつく口調で説明が始まる。


「管理センターといっても、一部は一般開放されてるからな。工場見学とはワケが違うのだよ。入場料は安いし、中は男女ペアで楽しめるコーナーがたくさん。憎いが『リラ』の相性診断は高性能なんだぜ? それを応用したゲームとか映画とかあるらしいぞ。ネットで検索すれば極甘な写真が出てくる出てくる。カップルが仲睦まじくボーリングしてらっしゃるわ、キメラみたいな着ぐるみと一緒に幸せそうな記念撮影してらっしゃるわ。あーいいよな、オレも――その、クミ……ちゃん――と一緒に回りてえなぁ」


 見染目の名前だけ小声で発するあたり、恥ずかしさがこみ上げたらしい。

 しかし、管理センターか。盲点だった。まさか校長たちの所属している施設がアミューズメント施設としても機能しているとは予想外だ。


「最近はあんま客入ってないらしいから、今がちょうどいいかもな」

「……」

「まぁ『リラ』アプリにあんな不具合が出ちゃ仕方ねえが、って聞いてる? おーい」


 ――目的地は決まった。

 まさか管理局のお膝元で騒ぎが起こるとは思わないが、この際だから行ってみよう。もしかしたら今以上に詳しくなることができるかもしれない。

 もちろん、『リラシステム』については教えてもらった。校長から記憶のデータベースが本体であると知らされている。

 でも、足りない。

 直感が告げている。まだ足りないと。

 僕らにみえているものだけでは不完全。全てを網羅しているわけでもない。きっと気づいていない情報がそこにある。それが手に入る可能性があるのなら、行ってみるのも一興だ。

 情報を得て初めて、向き合うことができる。足を踏み入れることができる。

 傾いた景色は別物。その傾きを正すためなら、たとえ浅瀬でも手を伸ばすべきなのだから。


 ああ、くそ。

 見染目に伝えるべきことばかり増えていくな。

 いっそ最初から単独行動だったなら、もうすこし気楽なのに――。

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