傾いた景色は別物だ 7

 火曜日の教室は静まりかえっていた。

 『リラシステム』の実体を知らされた翌日。いつもと変わり映えしない、よく言えば平和、わるく言えば平凡な日常が過ぎていく。こと火曜日においては、まだ学生たちの憂鬱は大きい。今日の放課後には、まだ二日目なのかと絶望する未来が容易に想像できる。いっそのこと月曜日と火曜日は滅んでしまえとも思うくらい、遠い週末を意識する今日は苦手だった。

 窓の景色に目をそらしていた僕は、先生が板書し終えた気配を感じ取り、前に向き直った。

 深緑をバックに埋め尽くされた白い文字を書き写す、生徒たちの姿。それを俯瞰して、聞こえないようため息をつく。


 ……やはり、違和感は拭えない。


 『リラ』アプリを公式に配布され、そこにどんな仕組みがあるのかも知らず利用する学生。

 気にすることはなく。調べることもなく。与えられたアプリに取り憑かれ、思いのまま使い潰すその様は、実験場に近しいものがある。

 入学のハードルを下げることで大量の入学志願者をつのり、試験と称した生徒の選別を行う。合格した僕らは晴れて『リラ』に登録され、恋愛推奨制度のもと、交流を積極的にもつ。おそらくここにいるすべての生徒は、幼少期に脳をスキャンされ、『リラシステム』にデータとして把握されている者たちだ。

 何も知らず『リラ』を使っていた先週とは比べるべくもない。

 現在の僕と見染目は、それこそ視点の違う立ち位置にいる。


 御門先生の言葉を思い出す。

 情報を持っているか否かで、景色は大きく変わる。

 仕組みを知らない機械をカメラと思い込んだあの日の僕同様、この学園の生徒は『リラ』を単なる占いアプリだと思い込んでいる。反して、仕組みを知った僕や見染目はアプリに一種の恐怖のようなものを感じたし、何より不具合の異常性を理解できる。

 友人ソウタの「モルモット」という表現は、図らずも大当たりしてしまったということだろう。

 ヒミツを知ってしまったからには、それを抱えて生活しなければならない。僕と見染目は誰にも口外できないのだから、生徒の枠組みを一歩外れて世界を見つめなければならない。その辛さ、息苦しさの一端を、僕は早くも感じ取っていた。




 そんなことを延々考えているうちに、三時間目の授業は終わった。

 教科書の文章も黒板に綴られる文字も、妙に頭へ入ってこない。それもそのはず、自分の脳は『リラ』と端紙リオのことで一杯だった。


「ハルユキ、着替え行こうぜ」


 気さくに話しかけてきたのは、友人でありモルモットである霧島ソウタだった。


「え? 着替え……」

「体育だろ、次」

「あ、ああ、体育か」


 気の抜けた返事を返す僕を、さすがに彼も怪訝に思ったようだ。頭をがしがしと掻いて、言いづらそうに心配する。


「なぁお前、最近なんかあったのか?」


 教科書やノートを机にしまいつつ、僕は「なんか、とは?」と聞きかえした。

 当然、あきれ顔をされてしまう。


「有臣に呼ばれるし授業はサボるし出席しても上の空だし、加えてあの……見染目クミカって女子とつるんでるみたいだし。なに、卒業よりもカノジョと遊ぶのが大事なのか?」


 カノジョ。

 ああそうか、僕が見染目クミカと付き合ってると勘違いしているのか。それはあり得ない。僕は彼女に恋愛感情を抱いたことはない。何より相性診断が十二パーセントだったんだから、多分相手が願い下げだと思う。

 なので、手を振って否定した。


「いやいやいや、別に見染目とは付き合ってない。ただちょっと有臣先生に手伝いを頼まれて、ふたりで協力してるんだ」

「……ホントかぁ?」

「本当だよ。昨日は忙しくて、その疲れが出てるってだけだ。ほら、前に説教されたじゃないか。そのときに頼まれた」

「へぇ。ま、付き合ってないなら別にいんだけどよ。やましい理由があるわけでもなさそうだし」


 そう言い残すと、ソウタは「先に行ってるぞー」と教室を出て行く。

 その背中がみえなくなるのを待って、ホッと息をつく。

 ソウタの懐疑的な視線は変わらなかったが、咄嗟のウソで乗り切ることができた。まさか「俺たち本当にモルモットだったんだよ」とは言えない。

 最悪、有臣先生にこのウソが伝わっても合わせてくれるだろう。こっちには校長という後ろ盾もあるし安心だ。


 ……しかし、これは参ったな。

 やはりここ最近の不自然な欠席は目立ってきてるようだ。あまりこういう状況には身を置きたくなかったのだけど。

 それに、これからが気がかりだ。


「っていっても、どうしようもないんだけどさ」


 携帯をひらき、見染目とのメッセージ履歴をさかのぼる。

 画面には「火曜、六時間目、早退」という有無を言わさぬ文字が並んでいた。


 ソウタに心配された矢先にコレだ。また明日にでも追求されそうで怖い。


 携帯を閉じ、僕は申し訳なさを抱きながら体育へと向かった。

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