傾いた景色は別物だ 6
「さて、何から話しましょうかねー」
ベンチに座って、まだまだ寒さの残る空気に震える。でも売店で購入した缶コーヒーで暖を取れば平気だった。
もうすぐ春がやってくる。いや、時期的にはもう春なんだけど。学生にとっての春って、入学がみえてからな気がするし。まだ受験生な僕は、実質冬に生きていると言っても過言ではない。
そんな心持ちだった。
「センパイは何か知りたいことってありますか?」
「知りたいこと……多過ぎて、それも局所的すぎて、わかんないな」
カッシュッとプルタブを引くタチバナに合わせ、僕も開封する。
コーヒーを口に運べば、暖かい苦みが口にひろがった。
「なら、私が勝手に伝えますよ。話題のピックアップはお任せを。センパイは
「……その減らず口は、相変わらずなんだね」
「お、それは覚えてるんだ。やりぃ!」
何がやりぃ! なのか不明だった。
ありがたいことに、タチバナはふざけたやりとりもそこそこに、欠けた記憶の情報を話してくれた。
きっと、彼女は記憶を失うまえの僕について詳しい。でも、全てを説明するには時間も足りないし、洪水のように与えても僕が混乱するだけ。
だからだろう。本当に必要なことだけを選んで伝えている節があった。
そう。
詩島ハルユキにとって、特に忘れるべきではないこと。
僕という存在が生きるにあたり、欠かせない存在について。
――端紙リオは、そのなかでも最たるものだった。
「そっか、端紙……端紙リオ、か」
「端紙先輩は、よくわかんない人でしたねー」
今にして思えば、もっと掘り下げて訊いておくべきだったと思う。
でも、当時は記憶からすっぽり綺麗に抜け落ちている名前を覚えるので精一杯だった。
「僕と端紙リオっていう人は、どういう関係なのかな」
「並々ならぬ関係っす」
「並々ならぬ……」
「あの人ったら書道部では輝くスターだったくせにカラオケ誘ってもこないし誕生日だって教えてくれなかったんすよ? みんなで盛大に祝おうと思ってたのに結局できずじまい、さらには突然の退部で阿鼻叫喚。私はそれでも頑張って頑張って仲良くなって、そろそろ後輩兼親友ポジゲットかしらなんて息巻いてた矢先、休日はぜったいに遊ばない、キリッ! はぁー萎えるってもんですよねぇ。どれだけ甘い餌で釣っても振り払うんですから勘弁してほしいです。やっぱり今思い返しても変人だった気がしますよ端紙先輩、間違いない。女と後輩の直感です。それとちゃっかり一緒に行動してるハル先輩も変人ですね。ってか接点なさそうなのにどういう経緯で知り合ったんですかねセンパイと端紙先輩は」
ペラペラと話す内容は、いまいち要領を得ない。
唯一わかったことは、彼女からみても僕と端紙の関係は不明瞭だったということだ。
彼女に向かって、僕は苦笑いを向けた。
「は、ははは……大変だったね、それは」
「ええはい。頑張ったんですよ私、仲良くなろうと。……でも、その先輩が亡くなったのは、ちょっとショックです……」
タチバナは目を伏せた。
見染目クミカが同じ電車に乗っていて、大事故に巻き込まれてしまったという情報を得たのは、このときだった。
もしかしたら、事件当時も端紙リオとともに行動していたのかもしれない。そんな考えがよぎったが、分かるはずもなく。彼女の話に耳を傾けていた僕は、ありきたりな受け答えしかできていなかったように思う。
そんな不甲斐ないやつへ向かって、タチバナは思い出したように爆弾を投下したのである。
「そだ。これだけ言っておきます」
「ん?」
「たぶん、時効だと思いますしネ」
そう前置きして、彼女は風に乗せた。いちばん大事そうな内容をさらっと、あっけらかんに。
もう生きていない端紙リオが秘めていたであろう想いを、こぼした。
「端紙先輩曰く。あなたはハルジオンのような人、だそうです」
ハルジオン。
例えられた花の名を反芻し、思わず吐息が漏れた。
記憶が欠落し、曖昧になっていた。本来覚えているはずの人々は存在が薄れ、交わしたやりとりがすり減った。どんなに親しい人間だって、
そんな、等しく消えていく人たちのなかで、一際存在感を示すもの。
無数に散らばり、されど目を凝らさねばみつけられないほどの星々に混じり、色濃く残り続ける輝きが生まれた瞬間だった。
◇◇◇
見染目を突き動かす相手があの黒いプロフィールなら、僕を突き動かすのは、紛れもなく端紙リオの幽霊だ。それだけは確信がある。
記憶の色が皆淡くなる一方、これでもかと存在を訴えかけてくる影こそ、端紙リオだった。
だから僕は惹かれ、どうしようもなくあの影を追い求めてしまうのだろう。
彼女の親に誘われて線香をあげにいったし、日記も受け取った。解決に協力的なのもすべて、不明瞭ではっきりとした意思のもと。
なぜ追いかけるのか?
『名前のつけられない想い』だけが理由じゃ、足りないだろうか。いいや。端紙はきっと許してくれる気がする。根拠はないけど。
僕は端紙リオを追いかける。これに間違いはないのだと、自分で自分を言い聞かせた。
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