2章

傾いた景色は別物だ 1

匿名:死んだ相手とマッチングできるって本当だったんだな。あれそんなにこえぇの?

匿名:あれマジでうるせーぞ

匿名:詳しく。

匿名:いきなり通知が溢れて画面が黒いプロフに覆われるんだけど、なにより音声が不気味だった。例えるなら緊急警報のサイレンみたいなカンジっていえば伝わるか?

匿名:それわかる。オレんとこ人数多かったからほんと慌てた

匿名:私は小学校の友達とか、見るまで忘れてたくらいの名前が数件だけだったよ(のき並み亡くなってたけど)



匿名:俺は妹と久しぶりに会話できて嬉しかった



 カタカタと打ち込んでいた手をとめ、イスの背もたれに体重をあずける少年。

 カーテンが閉められ、部屋はパソコンとスタンドライトの光だけで照らされていた。打ち込んだ一言に次々と返事があふれかえる画面をみて、薄くひらかれた口からため息が漏れる。


「お疲れさま、おにぃ


 背後のベッドからかけられた声に、ぎし、とチェアーがまわる。

 鋭い目つきで少年が睨む。


「おまえの言うとおりにした。これでいいんだな?」

「うん。ありがと。書き込みの間隔は三十分、一時間、三十分。マニュアルに沿って」

「……」


 無言でデスクに向き直る兄が機嫌をわるくしたと勘違いしたのであろう。妹はベッドからおりて背中にぴとっと寄り添う。そして甘い声で囁いた。


「ごーめんってばぁ、怒らないで? ちゃんと前の私らしく振る舞うからぁ。あ、そだ。あしたパフェでも食べにいこーよ」

「……はぁ。いいよ。金は?」

「お兄の奢りで!」

「わかった」


 ぱっ、と部屋の明かりがつく。少年が目を向けると、いつのまにか妹が照明スイッチの傍らに立っていた。

 薄手のシャツでアイスの棒をひらひらさせる妹、片踏かたふみマナ。

 彼女は複雑な表情を浮かべる兄に向かって、満面の笑みを浮かべた。


「お兄、だぁいすき!」



◇◇◇



 休日を挟んで月曜日。


 昼へ突入した合図をチャイムが知らせる。学園内にひとまずの休息が訪れ、生徒たちは各々の行動を開始した。恋人と合流する生徒。友人と連れ添って購買へ急ぐ生徒。『リラ』を弄りながら弁当箱を開ける生徒。

 金曜日の騒ぎを目の当たりにした僕からすれば、そんな当たり前の空気さえも異常に感じられる。自由に過ごす彼ら彼女らは、まるであんな事件などなかったかのように談笑している。食べ物を手にして。たかがマッチングアプリの不具合。それが一般大衆の認識なのであろう。中には警戒してアプリの使用を控える者もいるけれど、大半はニュースなど気にも留めていないようだ。

 御門先生の言っていたとおりだ。持ち得る情報が大きな差をもたらしている。

 あの交流イベントの日から三日。土曜日に二件、日曜日に一件、同様の被害が報告されている。荒咲市内の東区、西区を中心に発生し、ニュースでも報道されていた。

 特に金曜日には同じ学科から被害者が出ている。そのうちのひとりこそ見染目クミカだ。

 しかしまあ、普通に登校してくるくらいには回復しているようだから、皆気づいていないのだろう。


 気の抜けた校風を憂慮しつつ、僕は足を止めた。

 訪ねたのは先週もお世話になった職員室だ。三回ノックして、教室よりも滑りの良い引き戸に手をかける。大人の空間特有の匂いが流れ出してきて、それに逆らって足を踏み入れた。

 失礼します、の一言を告げて視線を巡らせれば、探し人はすぐに目に付く。

 小さめのお弁当を箸でつまみながら、パソコンになにかを打ち込んでいる有臣先生だ。いつもと変わらず、職務を全うする教員の手本をやっている。金曜日の姿がウソだったのではないかと今でも疑ってしまうほどに。

 今日は顔を合わせたのもホームルームのみ。彼女の受け持つ授業はない。でも、たった数分のホームルームだけでも、『リラ』管理局支部、有臣幸は立派に周囲をあざむいているのがうかがえた。とても素があの厳格な佇まいだとは、誰も思うまい。


 教員用の机を避けて、先生のもとへ近づく。気配を感じ取った彼女はすぐに僕に気づく。


「……あら」


 珍しいものを見たかのような目をしたが、すぐに優しいものへ。


「詩島くんじゃない。なぁに、また一日サボるから、今度は事前に言っておこうって魂胆?」


 物腰も柔らかい。そんな態度にすこしだけ調子が狂う。

 周囲を見やり、僕も流れに乗ることにした。柔和な微笑みを貼り付ける。


「いえ。今日はちょっと頼み事がありまして」

「頼み事?」

「はい。部活動のことなんですけど」

「え? あなた部活動には――ああ、そういうこと」


 察しがいい。先生はすぐに腰をあげる。パソコンをスリープモードにして、僕に「ついてきて」と告げた。


 職員室を出た有臣先生。その背中を追い、体育館側の棟へと足先がむかう。昼の時間はあまり人気のないところだ。



 こつこつと鳴らす足音を聞きながら、黙ってついていく。そんな僕へ、先生はゆっくりと話し始める。


「用件はなんでしょう」


 気の抜けたような声音ではない、神妙な調子で問う。簡潔に、手早い返事を待っているかのようだった。

 意を汲み取って、こちらからは重要なことを手短に伝える。


「端紙リオに会いました」

「……」


 彼女の名前を出す。

 ぴた、と運んでいた足がとまり、僕も立ち止まる。

 管理局のふたりは、おそらく知っていたのであろう。事件の中心に端紙リオがいることを。解決役にわざわざ僕を抜擢ばってきした理由もすこしだけ明らかになってきた。

 表情はみえなかったけれど、先生は考えるそぶりをして振り向いた。


「詩島くん、三時間目の授業は休みなさい」

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