死は常に生を見つめている 13
イベントについての会話は、ベンチに並んで腰をおろしても続いた。
傍らの見染目はサンドイッチを、僕は鮭のおにぎりを。がさがさと袋から取り出したお茶で流し込んで、目には着々と変化する光景を焼き付ける。
気分は昼下がりの公園にきた老夫婦だが、左耳から通り抜ける声の内容は似つかわしくないものだった。
「具体的になにか特別なことをする必要はない。今日はあくまで様子見だから、そのつもりで」
「余計なことはするな、ってことね」
ふむ、と昼飯を味わいながら首肯しておく。
ふたりの視線の先には、徐々に活気づいてきているイベント会場が映り込んでいた。休日は普段から
今のところ異常はなし。さながらプールの監視員のように見守る自分がいた。
と、よこで監視員を監視する見染目が確認をはじめた。
「怪しい人物は?」
「なーし」
「リラに異常は?」
「なーし」
「あたしのステキなところ」
「なーし」
間延びした返事をしたせいか、足を踏まれる。
「いった!」
「ほら行くわよ。後方でいいから参加するの」
半ば強引に引っ張られ、僕は彼女についていった。
午後一時を過ぎた。
手始めに繰り広げられるは、プロジェクターを用いた『リラ』の登録方法。ときには大規模なホログラムを駆使し、問題なくイベントは進行した。
スムーズかつわかりやすい説明は、慣れた客にとっては退屈だろうが……そこは野暮というもの。とくにノイズが入ることもない、平穏なイベントだ。
ふと周りを見渡すと、ちょっとした野外ライブほどの規模で展開されていた席が、今は七割ほど埋まっていた。席に着かず、僕らのように周囲で立ったまま聞くスタンスの者も含めれば、結構な賑わいになる。
遠巻きにみている人は邪魔にならない程度の会話をしつつ、楽しげに参加している。
神経を尖らせてこの場にいるのは僕と見染目だけに思えた。
スケジュールはほぼ予定通り、プロフィール作成に移る。運営からのアドバイスなんかも取り入れたコーナーで、参加者もそれに沿って自分の携帯を
念のため、僕も自分の携帯を確認。リラを起動するが、特に問題はない。
何事もなく、時刻は午後二時を通過。
一部の参加者にとっては待望の、『診断体験コーナー』がやってくる。陽気な司会者に交代し、雰囲気は一層楽しげなものへと変わってくる。
このまま何もなければいいのだけど。管理局の早とちりで終わってくれれば、こちらとしては安心できる。見染目は「来た意味がないじゃない」と頬を膨らませるだろうけど、事件が起こらないだけで喜んでしかるべきである。
そんなことを考えつつ、僕は状況を見守る。
そんな願いのお陰だろうか。
簡単にやり方やら仕組みやらの説明があったが、それも短時間で済んだ。参加者の意を汲み取ってか、すぐに交流の時間はやってきた。
司会から十五分の時間が設けられ、「実際にやってみてください」の合図を皮切りに、会場がざわりと騒がしくなる。
携帯の音声を自分だけに聴こえる設定――マナーモード――にしていない者も多く、より一層騒がしく感じる。
目先に広がる、『リラ交流イベント』の光景。
あちこちから会話をしたり、相性診断を通して意気投合している声が発せられる。ウチの学園でいうと、文化祭のステージ発表にちかいだろうか。テニス部のだれかさんが評した「おじいちゃんおばあちゃん向けのパソコン教室」とはほど遠い。なるほどたしかに、これは学生も参加するわけだ。
と、ひそかに感嘆していたときだった。
「――?」
ぴり、という違和感が走った。
気のせいだろう、と考えて、すぐに否定する。肌で感じた空気の些細な変化は、すぐに明確になる。
例えるならば、地震を察知する獣の本能のように。一秒にも満たない変化の一瞬を捉え、危機感の麻痺した身体がこわばる。
一部で発生したソレは、瞬く間に周囲へと伝染する。
みえていた会場。参加者の表情や、携帯を操作する仕草などが一様に変っていく。
「……見染目」
危機感から、連れの肩をつかむ。
聞こえているのか、いないのか。顔を覗きこもうとした瞬間。
ため込まれた違和感が、一気に爆発した。
『新たなお相手が発見されました』。
一画で、透き通った電子音声が鳴り響く。
感情はなく。
躊躇いもなく。
耳に残る記憶と寸分違わず、全く同じ音をなぞる。
しかしそれが最後まで発せられるまえに、次の音声が重なる。大きくなる。存在感を増して、人々の意識を急激に浸食していく。
重なる、重なる。
『新たなお相手が発見されました』
幾重にも、
『新たなお相手が発見されました』
『新たなお相手が発見されました』
重なる、重なる、重なる、重なる。
『新たなお相手が発見されました』
『新たなお相手が発見されました』
『新たなお相手が発見されました』
『新たなお相手が発見されました』
『新たなお相手が発見されました』
『新たなお相手が発見されました』
『新たなお相手が発見されました』
『新たなお相手が発見されました』
『新たなお相手が発見されました』
『新たなお相手が発見されました』
『新たなお相手が発見されました』
『新たなお相手が発見されました』
会場全体を絶え間なく包み込む、無機質で不気味な通知音。それらは連なって、不協和音を生む。得も言われぬ迫力を携えて、無慈悲に僕らを襲う。
参加者たちはぼうぜんとその音に包まれ。
数秒。
何が起こっているのかもわからず画面に釘付けになって、相手の詳細をみて、だれも知らないはずの名前を認識して。
そしてようやく状況を理解し――悲鳴をあげた。
保たれていた秩序は一瞬にして崩壊する。
司会席に浮かぶホログラムにさえ黒いプロフィール画面が入り込み、人々の混乱を煽る。
会場は騒然となって、中にはイスから転げ落ちる者もいる。携帯を投げ捨て、それが他人の顔に直撃もする。
うずくまって拝むひと。
ただその場で涙を流すひと。
放心するひと。
耳を塞ぐひと。
会場は混沌と化していた。
その光景に唖然としていた僕は、ハッと我に返る。
自分の携帯を覗く。
『リラ』に異常はみられない。あの無機質な声はおろか、通知も来ていない。
すこしだけ安堵して、見染目に声をかけた。
――が。
「――。」
イベント前の佇まいからは想像もできないくらい、顔を真っ青にしている彼女に気づく。
ぽろ、と見染目の震えた手から携帯が落ちる。カシャンという音とともに、ホログラムの画面が地面と垂直に投影される。そこには当然のように、黒いプロフィール画面が映し出されていた。
「ぁ、あ、ああ……ち、ちがう! あれは、そうじゃないの」
「見染目? 落ち着け見染目!」
肩をつかんで揺らす。恐怖に染まった目は携帯に固定されて、じりじりと後退していた。薄くひらかれた口元がうわごとのように許しを乞う。
「ごめん、なさい。ごめんなさい。でもああするしか、」
「おい! 見染目っ!」
「あ、ああああっっ!」
「うっ」
取り乱した見染目の手が、僕を振り払った。
かと思うと、彼女はその場で尻餅をつき、頭を手で覆った。呪詛のように「ごめんなさい」を繰り返し、語りかけても反応しなくなった。僕はその変貌に驚愕した。
――『詩島くんも目の当たりにすればわかる。死者とのマッチングが、どれだけ人のメンタルに影響を及ぼすのか』
校長の放った言葉がフラッシュバックする。
ここまで見染目を追い詰めた不具合は、思っていたよりも深刻なものなのだと理解した。死を想起させるバグ。すでに失われた命との間接的な再会は、人々に様々な衝撃を与える。
例えば、人々に妄信的な執着心を植え付けた。
例えば、涙を流す者は再会の喜びに打ち震えていた。
例えば、生前の幽霊との記憶が今を苦しめていた。
きっと見染目は苦しめられていた。自信と独特の強さを誇っていたかつての瞳は、純粋な恐怖の色に染まっている。彼女の背負う死は、いったいどれほど重いものなのか。他人の僕には想像できない。
「なんだ、これ……」
管理局やマスコミが報道していた『リラ』の不具合は、こんなにも影響を及ぼすものなのだろうか?
なら、わかっていてなぜこのイベントを実行した?
なんのために。
動揺する脳内をいくつもの疑問がよぎるが、今はそれどころではない。
それらを振り払い、僕はうずくまる見染目から顔をあげた。
そして、次は僕の番なのだと悟る。
「――、」
言葉を失う。
信じられない光景に身体が硬直し、嫌な汗が噴き出た。
何も触っていない手の感覚が失われ、血の全身を巡る感覚が遠のいていく。
取り乱す人々。
倒れるイス。
依然として鳴り響く音声。
黒に染め上げられたステージのホログラム。
その中で、ただひとりだけ、悠然と立つ姿があった。
ノドをごくりと鳴らして、目を見開く。
これは悪い夢だろうか。
ぞくりとした感覚が背筋を走る。あってはならない状況に悪寒。されど高揚にも似た後味を残し、僕を釘付けにした。
永遠に二十パーセントを上回らない、『リラ』の相性診断。
唐突に蔓延しだした、黒いプロフィール。
僕という世界ににじみ出た
つい先日の記憶と合致する、きれいすぎる佇まいに恐ろしくなる。
視線が固定されたのは、実体の持たない存在、ホログラムの映像だった。だけどソレは……画面から浮き出る映像とは全く以て別物。彼女の周囲には、映し出す媒体が存在しない。完全に独立して立っている。
呆気にとられている僕と同じように、
遠くからこちらを見つめる彼女の瞳もまた見開かれていた。
なびく髪。揺れる制服の裾。確かにそこに居る存在感。
足は大地を踏みしめ、だけど影はそこにつくられない。
時折走るノイズだけが、彼女を映像たらしめる。
脳裏に浮かぶ写真の向こう。曖昧な笑顔でレンズをみていたあの影が、そこにいる。
視線が交錯。
喧噪が鈍った数秒間。
何倍にも遅く感じる刹那の中で。
僕は端紙リオと邂逅した。
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