第15話

「エマはどんな服が欲しいですか?」


 バスに乗っている間にエマに尋ねる。

 欲しい服を先に聞いておけば、後々探す時にも良いだろう。


「これと…おなじ…やつ」


 そう言ってエマは着ている服の裾を掴む。

 よほどその服が気に入っているのだろう。にへらと笑み浮かべながら、大事そうに生地を撫でている。

 それにしてもその服か。

 《解析》で視えたときからエマが常に身につけていたもので、どこかの制服のようだが見たことのない形状だ。

 昨日から寝ている時にも着ていたが、シワは一切見当たらない。形状記憶生地を使われているのかとも思ったが、それにしては独特のシワの形が見当たらない。どのような構造なのかさっぱり分からないのだ。

 おそらくミラーの組織がエマに与えたものだろうが、どのような意図で与えられたのかは不明だ。

 正直碌でもないものである可能性は高いが、エマが気に入っている様子なので無理に脱がせることもできない。

 まあ、そんなことを考えても仕方がない。

 今はエマの着ている制服と同じものがどこにあるのか調べよう。

 

「…………ありませんね」


 端末で情報を漁ってはみたが、一向に扱っている店が見当たらない。

 仕方がない。似たものならばあるだろうから探してみよう。

 そうしている間にもバスは目的地につく。


「わあ」


 人通りの多さと立ち並ぶ建物が物珍しかったのか、エマが声をあげる。

 それもそうだろう。エマはこれまで狭く白い部屋の中で過ごしていたのだ。

 むしろ人混みを怖がらないだけ肝が据わっている。

 それにしても流石の賑やかさだ。

 新開発で作られた浪川区は企業ビルがほとんどなので、賑やかな場所というものが少ないのだ。

 なぜかといえば、企業ビルといってもテレワークが多数派の現代にわざわざ来るのは、整備・管理のためかどうしても通話ではできない会議をするためぐらいのものだからだ。

 だが、ネット通販が主流の今に、ここまで活気のある場所というのも例外的だ。


「とりあえずは服屋に向かいましょうか。そこでエマの服を売っている店を聞けば良いでしょう」

「うん」


 最近の奇抜なファッションを扱っている店は避ける。エマの着ている制服は割とカッチリとしたものだからだ。

 エマの手を引きながらしばらく歩いていると、良さそうな店が目に止まる。


「あそこなど良さそうですね」

「そう?」

「とりあえず入ってみましょう」


 周りに比べてこじんまりとした店だが、品揃えは豊富だし、何より扱っている商品が紳士服と制服のようだ。


「いらっしゃいませ」

「すいません。この子が着ているものを探しているのですが。みてもらえませんか?」

「かしこまりました。掛けてお待ちください」


 店員はエマの服を一瞬目に収めてから、店の奥に入っていった。

 てっきりタグを確認するものかと思ったが、そんなことをするまでもないということか。余程自分の目に自信があるのだろう。

 まあ、エマの制服にはタグなど付いていないから意味がないのだが。

 と、エマが店員の入っていったバックヤードを熱心にみていることに気が付く。


「どうしましたか? あの店員さんが何か」

「あの…ひと…いいおと…してる」

「良い音ですか」


 そういえば昨夜もそんなことを言っていた。

 なんのことかは分からないが、もしかしたらエマは何かを音として感じているのかもしれない。


「どんな音ですか?」

「んと……とけい…の…お…と?」

「時計のような音ですか。規則正しいという意味でしょうか……他には?」

「やわら…かい…おと。いいひと…の…おと」

「柔らかい音ですか」


 柔らかい音とはどのような音だろう。

 風の音? 土の音? それとも布団を叩くような音だろうか。

 だが、考えてみてもピンと来るものはない。もしかしたら私の知らない音かもしれない。

 

「それはどのような音なのですか?」

「んー……にじの…お…と?」

「虹の音ですか……」


 聞いてはみたが、さらに疑問が深まった。

 虹の音とはなんだろうか。そもそも虹に音はあるのだろうか。雨の音とはまた違うらしいが、ではなんの音に似ているのだろうか。

 だめだ、いくら考えてみても分からない。

 耳の良さには密かな自信があったのだが、私でも聞き取ることのできない『音』がエマには聞き取れるようだ。なんとなく悔しい気分になる。


(って、私は何エマにまで負けず嫌いを出しているんだろう)


 エマの性格は大体理解している。いつも控えめだが根っこは好奇心旺盛で、その姿はまさに純真な子供そのものだ。

 少なくとも、精神は私よりはるかに幼い。

 それを分かっていても負けず嫌いが出てしまうのだから、私の性格も困ったものだ。

 それから二言三言エマと喋っているうちに店員が戻ってきた。


「申し訳ございません。そちらのお召し物は当店の系列では扱っていないものでした。ですが似たものならば用意できますがいかがいたしましょう」


 やはりエマの着ているものは扱っていなかったか。

 となると、似たものを買うしかないが…………


「エマはどうですか? 似たもので良いでしょうか」

「うん…いいよ」

「ではそれでお願いします」

「かしこまりました。少々お待ちください」


 そう言って店員はバックヤードに戻っていって、しばらくすると何種類かの服を持ってきた。


「わっ…そっく…り」

「そうですね。流石の仕事です」

「恐縮です」


 本当にそっくりの服たちで、ネット通販で見たら同じものにしか見えないと思えるほどだ。

 この店にして当たりだった。

 それを数種類揃えているだけで、この店の品揃えがどれほどのものかが分かり、そしてそれを扱っている店員の腕の良さが見て取れる。

 

「エマはどれが良いですか?」

「んと……ぜんぶ」

「そうですか」


 どうやら、エマは全部気に入ったようだ。

 その子供のような答えに頬が緩む……実際に動くことはなかったが、そういう気持ちになったということだ。


「それではサイズの合うものを全てください」

「サイズは全て合うものを持って参りましたが……試着などはよろしかったでしょうか」


 確かにその通りだ。似合うかどうか試着するのも服屋に来た時の醍醐味だろう。

 それにしても、この店員は一目見ただけでサイズを認識して持ってきたのか。ある意味天才的な才能だ。


「一度着てみてはいかがですか?」

「そう?」

「着てみれば意見が変わるかもしれませんよ」

「わかっ…た。きてみる」

「試着室はどちらでしょうか」

「こちらでございます」


 そう言って店員は店の奥に案内してくれる。さりげなく持ってきた服を持ってくれているのも気遣いが利いている。

 この店舗は小さいながら優秀な店員を置いているようだ。

 その後は問題なく試着を終え、結局全ての服を買うことになった。

 店員の声を背に店を出た時には、時計は9時を回っていた。


「さてと。服も買いましたし後はルシルのつまみを買って帰れば良いのですが。…………せっかく出たのですし少々遊んで帰りますか」

「あそぶ?」

「ええ、この近くには娯楽施設が多いですからね。エマは何か行きたいところなどはありますか?」

「わかん…ない」


 それもそうだろう。エマは初めて人の多くいる場所にきたばかりなのだから、何があるかなど分かる訳がない。自分ながらなんと意地悪な質問をしたのだろうか。

 これまで白い部屋だけを認識してきた小さな世界に生きていたエマは、昨日から初めて広い世界に出てきたのだ。

 だからこそ、その世界のことを出来る限り知ってもらいたい。楽しいことが溢れているのだと思ってもらいたい。

 …………私には出来ないことだからこそ、純粋なエマには私のようになってもらいたくない。

 まだ純粋なエマは容易く何色にも染まる。

 私にはまだ『楽しい』も『幸せ』も理解はできても感じることが出来ていない。それをエマが感じることが出来るのならば、私だって出来るのだという証明にもなるのかもしれないと思える。

 これは本当に私のエゴだ。

 自分が出来ないから他人に出来るかを試す。一種の自己投影ともいえる。

 全く、私はなんて醜い性格をしているのだろうか。

 それを分かっていても私は私を許容するのだから、本当に救いようがない。

 そんな益体もない思考に耽っていると、エマが私を顔を見つめていることに気が付く。


「どうしましたか?」

「おねえちゃん…なら…わたし…を…つかっても…いい…よ?」

「…………私、声に出していたでしょうか?」

「ううん、だして…ない。でも…せいれい…さん…が…いって…る」

「精霊がですか……」


 精霊がどのように私の思考を読んでいるのかは分からないが、きっとエマにしかその言葉は理解できないのだろう。

 だが、そんなことは今どうでも良かった。

 エマの言葉はどこまでも純粋だ。

 本当に生きているのか疑いたくなるほどに、その生き方は純真で無垢だった。

 同じ人間ならば顔を背けたくなるか、それとも崇めたくなるほどに、その姿は清廉にして潔白なものとして目に映るだろう。

 多くの人間が失ってしまったものを、エマはいまだ持ち続けている。

 

「…………」

「おねえちゃん?」


 それだというのに、私は……。

 

(……私は何も感じない)


 何の感情もない。

 何の感慨もない。

 何の感動もない。

 人間の一つの理想であるエマの姿を見ても、私の中にあるものは何も動かされなかった。

 ああ、だめだ。やはり私では何も感じられない。

 こんな事があって良いものか。

 そこにあるものは人類が抱く理想の一つだというのに、多くの人がかつて持っていた希望だというのに、それは私が持ち得ないものであるなんて。そんな事ってあるだろうか。

 それをかつて持っていたからこそ、人々は楽しみ、苦しみ、喜び、成長していけるだろうに。私にはそれがなかった。

 私には致命的に欠けている。

 私にあるのは他人を理解して模倣しただけの贋作の心システムハート

 まるで人形遊びに興じる子供のように、他人という存在に自分を投影していつか本当になると夢見ている。

 滑稽。私の存在そのものが酷く歪で滑稽だ。


「……何でもありません。早速遊びにいきましょうか」

「? うん」


 だから私はエマを私のエゴのために使うだろう。

 罪悪感もなくただただ私自身のためだけにエマの純真さを浪費させるのだ。

 私はなんて汚れているのだろうか。

 いや、が正しいか。

 自らを汚れていると自覚しながら、それを感じることが出来ない。

 私には悪行も善行も等しいものとしか認識できない。見事に人間として壊れている。


「何か欲しいものはありますか?」

「んー……ない」

「そうですか……では食べ物などはいかがでしょうか」

「ひつよう…ない…よ?」

「何事も体験です。まずは試してみましょう」

「そう?」

「ええ」

「じゃあ…ためす」


 フンスとエマが可愛らしく意気込む。

 だが、その姿を見てもやはり私の心の奥は動かない。

 だめだ、やはり今の私には心が欠けている。

 それが可愛らしいと理解できる。

 それが尊いものだと理解できる。

 それが私が持っていないものだと理解できる。

 なのに……


(……心がついてこない。これじゃだめだ、心が欲しい。だから——)


 ——エマ。私に心を教えて欲しい。エマの心があれば私にも道が開けるような気がする。

 分かっている。こんなものは私のくだらない願望に過ぎない。

 エマと私はあくまで別の人間だ。エマが『楽しい』と『幸せ』を得ることが出来たからといって、私まで得ることが出来るようになるとは、誰も保証は出来ない。

 だが、どうしてもそれに焦がれるのだ。

 今の私には到底手に入れることが出来ないもの、それが『面白おかしく生きる』ために必要なものなのだ。

 誰に対してでもない。私だけの『楽しい』と『幸せ』を感じるためのが。


「今日はエマにたくさんの『楽しい』を教えてあげましょう」

「それが…おねえちゃん…の…ために…な…る?」


 全く、また精霊から何か聞いたのだろうか。こうも思考を読まれては迂闊なことを考えることも出来ない。

 まあ良いだろう。私に読まれて困ることなどない。

 もしかしたらエマに嫌われてしまうかもしれないが、その時はその時だ。精一杯謝って仲直りするとしよう。

 今のエマの表情を見る限り、謝る必要はなさそうだが。


「……そうですね。私のためになることがあれば良いのですが」


 隠し事ができないのだから、自ら積極的に本音を話すように心がけよう。


「なら…わたし…がんば…る!」

「そう気にすることはありませんよ。エマは自然体でいてください」

「いい…の?」

「むしろ自然体でいてください。私のためにも」

「うん」


 エマの手を引きながら、デパートまで歩く。

 エマには何を食べさせようか。単純で複雑な要素のない味のものが適当だろうと思うのだが。

 そうなると最初は甘い食べ物が良いだろう。甘いものを嫌う子供はあまり見たことがない。私の妹の大好物も甘味だった。


「まずは甘いものにしましょうか」

「あまい…もの…はじめ…て」

「甘いという言葉は知っているのですね」

「べんきょう…した」


 エマは楽しみで仕方がないといったふうに目をキラキラさせている。

 さて、エマは甘いものを気にいるだろうか。気に入ったのならば、幸せになるだろうか。

 私たちのような三大欲求に縛られない者は、外界の刺激に対し鈍感な傾向にあると私は思っている。

 だからこそ、それにも関わらず外界への好奇心を保っているエマの存在は奇跡のようなものだ。


「楽しみですか?」

「うん!」


 今日はエマにたくさんのことを体験させよう。

 そうすれば、エマが何をすれば何を感じるのか、正確に分かるだろう。

 ……それを知れば、私には何がどのように欠けているのか正確に把握できるかもしれない。

 

(結局私は私だけのために動くのか……)


 自分の思考に呆れながら、私はエマと歩を進めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る