第186話 その4

 やることもないので、町屋は詰め将棋をはじめ、塩尻は歴史小説を読みはじめる。千秋は室内の大半を占める資料を見てまわり、時々気になった資料を見て過ごした。


 昼休みの時間になり、町屋と塩尻は自前の弁当を食べるという事なので、千秋は外に食べに出ることにする。

 経理部に顔を出して一色と塚本の様子をみたくもあったが、馬場に出くわすとややこしくなりそうだなと思い諦めることにした。


 外に出て振り返り会社を仰ぎ見る。


(この1週間、いや2週間弱か、いろいろあったなぁ。あたしはこれからどうなるんだろう、どうしたらいいんだろう。アレクはどうしているだろうな、何とかするとは言ってたけど、いったいいつまで待てばいいんだろう……)


 なんとなく寂しい気持ちになってきたので、名古屋駅近辺にある立ち食い蕎麦まで行き、雑踏の音を聞きながら天ぷらきしめんを食べることにした。




 会社に戻り資料課まで来ると、なにやら慌ただしい。町屋塩尻の2人が廊下でぽかんとしていた。


「町屋さん、どうしたんです」


「ああ、部長さん。先ほどの秘書さんが新しい部屋を見つけたからそっちに引っ越すって。総務の若いのを引っ張ってきてデスクやらなんやらを持っていってるんですよ」


 千秋が驚いていると、その若い男達をテキパキと指示しながら、作業着姿で自らも埃まみれになって荷物を運んでいる加納の姿が見えた。

 いつもスーツ姿でデキル女的な姿しか見たことがない千秋にとって、少なからずカルチャーショックを受ける。加納は千秋を見つけると、つかつかと近寄り作業着を差し出す。


「遅かったわね佐野さん、はい、これ貴女の作業着よ。さっさと着替えて手伝って。5階に窓のある部屋を確保したわ。そこを基本ベースにします、資料課の仕事は、今ある紙の資料を電子資料にする為の打ち込み。塚本さん向けでしょ。それと調査課は資料の整合性を調べるのが仕事よ。これで体裁が整ったでしょ」


「すごい加納さん。どうしてそこまでするの、というか、頑張るの」


「貴女がというか、調査資料部が頑張らないと、常務の出世に差し支えるでしょうが」


「常務のためにですか」


「あたりまえよ、私は秘書よ。担当の重役の為に働きやすく世話をするのが使命なの、彼が出世すればそれは私の仕事の成果ともいえるのよ。その為ならなんだってするわよ」


その言葉に町屋塩尻は感心する。


「はあぁ、すごいねこの人は」


「尻に敷くタイプだと思ったら、自らも動いてなおかつ尻を引っ張ったいて男をあげるタイプでしたか。これはお見それしました」


千秋はその言葉を聞いて、ハッとした。


「どうしたの佐野さん、ぼーっとしてないで早く着替えて手伝ってよ。そこの人達より若いんだから力あるんでしょ」


加納の言葉に慌てて町屋塩尻も引っ越しの手伝いをはじめる。千秋は立ち尽くしたまんまだった。


「ちょっとどうしたの佐野さん」


加納がさらに近寄ると千秋はガバッと加納の両手をとり、握りしめる。


「ありがとう、加納さん。そうよね、その通りだわ」


そう言うと千秋は走り出した。


「ちょっと、どこ行くの。こっちはどうするのよ」


「常務のところ、あとは任せるわ」

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