第24話 聖母と呼ばれる存在は全ての人を癒すのかも知れない。しかし聖母に癒しを与えられる存在はいるのだろうか。聖母にもきっと癒しが必要なはずだ。誰にだって癒しは必要なんだ。

 一尺八寸九生。

 彼女は小学校低学年の時、父親が他界した。

 その頃から母親は九生を育てるために仕事の毎日。

 

 母親は帰って来ると、必ず九生に愚痴を漏らしていた。

 毎日毎日愚痴を言っていた。


 九生は気分のいい物では無かったが、母親との会話を大事にする。

 子供なりに丁寧に母親の愚痴を聞き、自分の話は全くしない。

 母親は仕事が忙しいことと、九生が愚痴を聞いてくれる喜びにかまかけて、九生の話をまともに聞いたことは無かった。

 当然九生は不満に思っていたが、それを口にすることはない。


 父親のいない寂しい日々。

 母親を大事にしなければ自分は孤独になってしまう。

 父親のように急にこの世からいなくなってしまうので……そんなことを考え、ずっと聞き役に徹していたのだ。


 父親がいなくなり、母親の愚痴を聞く日々。

 いつしか九生は人に甘えると言うことが出来なくなっていた。

 友達と話をしていても聞く役に回り、自分の話は誰にもすることはない。

 家にいても母親に甘えることはできない。

 

 そうか……私は人に甘えることを許されない人生なんだ。

 神様が甘えることを許してくれないんだ。


 甘えることはできずとも、人を頼ることはできるのでは?

 そう考え九生は時には人に頼ることもあった。


 しかし彼女が頼った者たちは打算ばかり。

 女なら我儘を聞いて欲しいがために。

 男なら九生と交際したいがために彼女の力になった。

 九生はそんな打算だかけの友人たちを見て辟易し、と誰にも頼ることがなくなっていく。


 甘えることもできず、頼ることもできず。

 しかし彼女を頼る友人や同僚たちの力にはなってきた。

 それは決して嫌なことでは無かったし、母親のことで慣れていたからだ。

 

 そんな生き方をしてきた九生には、知り合いと呼べる人物は多くいれど、気を許せる友人というのはいなかった。


 直巳も同僚の人間で、いつも上司に叱られていて第一印象は頼りなさそうな人。

 それ以外に直巳のことは特別な感情も抱いていなかった。


 話もしたし、相談に乗ったこともある。

 だけどそれだけだった。

 本当に同じ会社で働いていた同僚というだけ。

 自分にとって害も無ければ益もない人間。

 

 直巳が突然仕事を辞めた時でも、なんとも思わなかった。

 会社の全員が思っていたことだけれど、『やっぱり』という感想しかなかった。


 だけどそんな直巳は九生のことを守った。

 元同僚というだけで彼女のことを全力で守ったのだ。

 

 再会した時、直巳に付きあったのは気が紛れるから。

 その程度の考えであった。

 だがそれが結果として彼女を守ることとなった。

 

 それも損得勘定無しでだ。


 現在、彼女たちの前では項垂れる片山の姿がある。

 家内である片山一葉から慰謝料を請求せれるという情けない姿があった。


「…………」


 九生は直巳の背中を見つめ、未だかつて感じたことない程の安堵を覚えていた。

 

 木更津くんに助けを求めることができた……

 甘えることなんて、頼ることなんて出来なかったと言うのに……

 それに木更津くんは、打算が全くない。

 ただ純粋に私のことを守ろうとしてくれたんだ。


「一尺八寸。もう大丈夫だ。もうお前を苦しめる人はいない。今日から安心して会社に行けるぞ」


 純粋で、打算の無い直巳の笑顔。

 九生の胸は果てしなく熱くなる。

 

 熱くなり、安堵から涙がこぼれだす。


「一尺八寸?」

「私……私、怖かった……こんなにしつこい人は初めてで、どうなるかと思った」


 九生は直巳の胸に飛び込む。


 始めてだ……こんな素直に人に甘えられるのは。

 こんな素直に人に頼れるのは。

 不思議だ……こんな人がいるなんて。


 一度甘え始めると、これまで溜まっていた感情が爆発するかのように、九生は色んな物を吐き出す。


「私、もっと人に甘えたい。もっと誰かを頼りにしたい……でも誰かに頼りにしようとしても、損得ばかりを考えていて、嫌になったの」

「一尺八寸……」

「お父さんに生きてて欲しかった。お母さんにももっと話を聞いてほしい……私はそんなに強い人間じゃないの!」


 直巳は九生の頭を優しく撫でる。

 まるで子供をあやすかのように。


「一尺八寸。俺には甘えていいし、頼ってくれてもいい。俺は何も要求しないし、何が何でもお前の味方だ」

「木更津くん……木更津くん」


 初めて甘えられる存在を得て、九生は心地よい気分でいた。

 頼れる人がいるのは、こんなにも気持ちが楽になるものなのか。

 直巳のぬくもりは、九生の心を溶かしていく。


 聞き上手な女性で皆から頼りにされる存在。

 しかし本当は誰よりも話を聞いてほしくて誰かに頼りたかった。


 九生はこうして、頼れる存在……胸の温かくなる人を見つけることができたのだ。

 直巳の胸で涙を流しながら、笑みをこぼす。


「あはは……ちょっと長すぎじゃない?」

「ま、まぁ、怖かったんだから、ちょっとぐらいいいだろ」


 しかし、そんなことを素直に許す凛ではなかった。


 温かい九生の温もりを身体で感じながら、凛の冷たい視線を背中に浴びる直巳。

 内心ドギマギしながら、九生の頭を撫で続けるのであった。

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