第55話 本心。−5

 ……

 気絶して、目を覚めた時には暗い海で漂っていた。何もいない世界、黒く染められた白いキャンバスみたいで俺に見えるのは暗くて恐ろしい景色だけだった。

 片方だけなのか、分からない。そしてそのキャンバスの中の自分、限られた枠の中を覗く俺を俺は気づいてなかった。

 そんな不思議な空間だった。


「先輩…」


 何も見えない、暗い、先輩に会いたい…

 そう言って苦しみもがいた俺に照らす一筋の光、その光が導いたところには先輩の家の天井だった。

 手を天井に向いて伸ばした俺はようやく現実に戻ったことを実感した。


「気持ち悪い夢だった…」


 なんかすごく重い気がするけど…

 何かに押さえられたのか、頭を上げたら先輩が俺の上に乗ったまますやすや寝ていた。少し濡れたTシャツと先輩の顔がすぐ見られて昨日のことを思い出してみた。

 確かに脚が痛くなって…倒れて…

 …ダメだった。


「思い出せない…」


 先輩は寝相も綺麗だな…

 それにしてもけっこう寝ちゃった気がして、隣の先輩に布団をかけたあと台所に行った。覚めない顔をしてコップの水を飲みながら時計をぼーっとして眺めた。


「う、嘘だろ…?」


 午後の3時…?俺たち3時まで寝ちゃったのか。一体、何があったんだ…先輩もぐっすり眠れたようだし起こすのはいけないな。

 コップを置いてストレッチングをしている時、先輩が後ろからハグをした。


「おはよう?」

「びっくりした…起きていましたか。」

「うん、ちょっと眠いけど…」


 いけない…先輩が近くにいるだけで顔が赤くなる…


「ね、体はもう大丈夫…?」

「はい…多分…」

「もう…このバカ、心配かけないでよ!昨日私がどれくらい心配したのか分かってるの?うん?うん!?」


 叱られた…


「すみません…でも、ちゃんと生きています!」

「知らない!死ね!」

「酷すぎですね。先輩は。」

「本当に怖くて…」

「怖くて…これですか。」


 先輩に濡れた俺のTシャツを見せた。


「えっ…それは…」


 自分の寝衣を掴める先輩は悲しい表情で涙を出していた。俺なんかどうなってもいいのに先輩は泣くほど心配をしてくれた。

 前は他人だったけど…今は…か、彼女。


「はいはい。先輩もう泣かないでください。」

「うん…」

「水、飲みます?」

「うん!」


 15時間くらい寝てて喉がすごく渇いた。先輩の水とともに俺の水も持って居間にあるテーブルに置いた。

 先に座っている先輩が隣の席を平手で叩いて俺を呼んだ。

 あ…日曜日の半分がなくなった。今から何をすればいいのか分からない、とりあえず家に戻ろうか…


「ありがとう。」

「はい。」


 水、冷たくて気持ちいい…


「春日ちゃん〜起きた?」

「え???」

「あ!お母さん!」


 お母さん…?先輩の母…なんでこんな時間にここに…いますか…


「せ、先輩…こちらの方は…」

「うん?お母さん。」


 せっかく飲み込めた水が逆流して、床にコップを落としていた。


「春木…大丈夫?」

「い、いいです。なんでもないです。」


 先輩の母は長い髪の毛を縛って俺たちの前に座った。急いで床を拭くつもりだったけど体が固まって思った通りにならない、そしてこの状況から何を言えばいいのかさっぱり分からなくて…頭の中が白くなってしまった。

 

「うん?春木くん〜緊張してる?」

「…」

「うん?春木?」

「…は、はい!」

「何〜緊張してるの〜」


 それは…お宅の娘さんといろいろやっちゃったし…午後3時に起きたからその前に見られたかも…

 どんな言い訳をすれば…理解してもらえるかな。それより高校生二人が一緒に寝たことを理解してもらえるのか…ご両親に。

 久々に使う頭が混乱している。


「え〜春日ちゃん、なんで春木くんと手を繋ぐ〜?」

「知らない!からかわないでよ…」

「でもびっくりした〜ね、春木くん!昨日ね?春日ちゃんめちゃ泣いてたのよ〜」

「お母さん!やめてよ!」

「春木くんが死んじゃう〜!とか助けて〜とか恥ずかしい〜」

「やめてよ…もう…」


 二人の会話には入られないけど…なんか恥ずかしくて目を逸らしてしまった。床で重ね合わせた俺たちの手が二人の緊張感を煽っていた。


「春木くんはもう大丈夫?春日ちゃんが朝まで見守ってたのよ〜」

「は、はい。大丈夫です。」

「でも〜男女二人で寝るなんて、大胆〜」

「うるさい!!」


 ちらっと先輩の顔を確認した。赤くなる頬が先輩の心を表している、嬉しい…ここんとこ。


「春日ちゃんにしっかりお礼を言っておいてね〜」

「はい!」


 ちゃんと先輩の顔を見て言い出した。


「先輩、ありがとうございます!」

「うん!無事でよかった!」

 

 俺を見つめる先輩の笑顔が輝いてる。

 とても嬉しくて、とてもいい人と出会って、そんないい人生を…生きてもいいですか。


「はい!みんな昼ご飯食べましょう!まだ食事はまだだよね?」

「いいえ…自分は家に帰りますから…」


 部屋から服を持って帰るとしたら先輩に袖を掴まれて、不可抗力であった。先輩と先輩の母と俺…3人で食べるのか、なんの状況なんだ。

 でも台所からいい匂いがするし…どうにでもなれ。

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