第104話 古風なこだわり

 俺は、香澄が悲しむのを見て、いたたまれなくなった。

 それだけに、一緒に居たい気持ちが、よりいっそう強くなった。



「実は、俺も …」


 俺は言いかけたが、香澄は泣いており、聞こえないようだ。



「香澄の事が気になるんだ! だから、はっきりと言う。 君が好きだ、俺と付き合ってくれ!」


 俺は、香澄を見て叫んでいた。



「えっ、本当なの。 嬉しいよ~」


 香澄は、ますます泣き出した。



「もう、泣くなよ」



「あ 〜 ん」


 香澄は、泣きながら、目を真っ赤にして俺を見つめた。



「うれッ し 〜 よォ」


 しゃくりが止まらない。



「本当に俺で良いのか?」


 香澄は、深くうなずいた。



 そして、しばらく沈黙が続き、やっと落ち着いて、喋れるようになってきた。



「元太の気持ち、お父様に報告するわ。 ねえ、良いでしょ!」



「ああ、良いが …。 でも、分かってほしい事があるんだ。 凄く古風な考えだが聞いてくれるか?」



「その、古風な考えに従うわ」


 香澄は、即答した。 

 こうと決めたら細かい事は気にしない、彼女の性格は男前だった。



「まだ、喋ってないぞ …。 付き合う前に、香澄に確認したいんだ」


 俺は、いつに増して厳しい顔をした。



「怖いけど、早く言ってちょうだい!」


 香澄は、涙の滲んだ大きな目で、俺を真剣に見据えた。



「前に、少しだけ話した事があるけど、覚えてるかな? 俺は10歳まで両親の仕事の関係で、父方の祖父母に預けられていたんだ」


 俺は、香澄に訴えかけるように言った。



「うん。 お父様が同席のレストランで、元太のお母様の事を話した時に少しだけ聞いたわ。 あの時は、マザコンなんて言って、ゴメンなさい」


 香澄は、恥ずかしそうに下を見た。



「俺は、マザコンじゃない!」


 俺は、マザコンという言葉に思わず反応してしまった。

 だが、直ぐに気を取り直し、話を続けた。



「じゃあ、話すから聞いてくれ」



「早く、話してよ」


 気の短い香澄は、俺を急かせた。

 


「祖父母は優しいが躾には厳しかった。 特に祖父は侍のような人間で、礼儀作法から武芸のような事まで叩き込まれたんだ。 その時の教えが、今の自分を作ってると言っても過言ではない。 儒教に、男女七歳にして席を同じうせず、という教えがあるだろ。 う〜ん、やっぱりこの話は …」


 俺は、続きを話さない方が良いと思い直し、言葉をのみこんだ。



「えっ、どうしたの? 早く言ってよ!」


 香澄は、興味ありげに聞いた。



「そうだな。 俺は、香澄が好きだから、思い切って言うよ」


 俺は、覚悟を決めた。



「私にだけ言うのね! 嬉しい、何でも言っちゃって!」


 香澄は、目を輝かせて喜んだ。いつもの、強気で元気いっぱいの彼女に戻っていた。



「ああ、言うぞ! 俺はこれまで、女性と、なんと言うか、その …」


 俺は、赤くなった。



「恥ずかしい事なのね。 でも、私には言えるよね」


 香澄は、母親のような目で俺を見た。



「実は、女性と体の経験がないんだ。 つまり、した事がない …。 古風だが、添い遂げる人は一人だけと決めてる。 だから。 つっ、つまりだ。 俺にとって付き合うと言うことは、将来、添い遂げるという事で、肉体関係も、それまでは我慢すべきと思ってる。 快楽に走る事は簡単だが、節度を守る事で、つまり、禁欲する事により、人として成長できると思うんだ。 これが、本来、男女が取るべき道だと信じてる。 だから …。 その〜。 こんな俺で、本当に良いのか?」


 貴子や安子の時と違い、今回は自分から交際を申し込んだ。だから、香澄に自分の考えを押し付けてしまった。



「やはり、今の時代には …」


 少し言い過ぎたと思い訂正しようとしたら、言い終わらないうちに、香澄が口を挟んだ。



「もちろんよ! 元太は、人生修行と思ってるのね。 武道の精神にも通じるところが少しはあるかも? 私も空手をやってるから、何となく分かるわ。 つまり、元太の結婚の条件は、童貞と処女であることなのね。 私も男性経験がないから、元太と一緒よ! だから、安心して! 私ならその条件をクリアできるわ!」


 香澄は即答し、満面の笑みで俺を見た。

 あの美しい香澄の口から、童貞と処女という言葉が出てくるとは思わなかった。

 俺は唖然として、こっちが恥ずかしくなった。


 ある意味、世間一般の女子から見ると、香澄は変わってると思う。また、俺も、自分が変わってる事を自覚している。

 俺と香澄は、お似合いなのかもしれない。



「そっ、そうだな。 俺たちの考えは一緒だ!」



「そうね。 でも …」



「どうした?」



「キスだけなら、良いんじゃない?」



「キスなら良いか? そうだ、良い事にしよう!」


 俺は、貴子とのキスを思い出した。


 彼女としたのだから、香澄はダメという訳にいかない。理由が見つかり、嬉しくなって香澄の顔を見た。



「何よ、私の顔に何か付いてる?」



「いや、スマン。 そうじゃない」


 俺は、香澄とのキスを思い浮かべ興奮してきた。



「じゃあ、早い方が良いんじゃない?」


 

「えっ、本気か? 本当に良いのか?」


 見ると、香澄は目を瞑り、唇を少し上に向けた。

 俺は、焦った。

 

 貴子の場合、不意をつかれ相手からキスをされたが、自分からだと、どうして良いか分からなかった。



ガツン


「痛ッ」



「香澄、スマン」


 俺は、焦って歯をぶつけてしまった。



「元太、気をつけてよ! 歯が欠けたかと思ったわ」


 香澄は、口をパクパクしてシーシー言ってる。



 結局、この日のキスは未遂に終わった。 その後、すっかり冷めた野菜定食の大盛りを残さずに食べた。



「大変、武藤を待たせてるから、そろそろ行かなくちゃ。 元太、毎日必ず電話するのよ!」


 すっかり、香澄はいつもの強気に戻っていた。



「そうだな。 分かった」



 駐車場に着くと、高級車から武藤が降りて来て、香澄を後部席に乗せた。


 すると、武藤は俺に挨拶した。


「三枝さん、お嬢様がとても生き生きしています。 私も嬉しいです。 ありがとうございました」


 来た時と違い、上機嫌の香澄を見て、武藤も嬉しそうだった。

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