第26話 誘惑
田村は、社長室に招かれた。そこで、桜井興産の企業買収により、鈴木精密が救われる事を説明した。
貴信は、なぜ、桜井興産が、自分の会社に目を付けたのか不思議に思いつつも、藁にもすがる思いで、田村の話しに聞き入った。
「御社により販路を確保できれば、弊社は救われる。 買収ではなくて、企業提携と融資でお願いできないか?」
貴信は、縋るような目で、田村を見た。
「それは、ダメです。 私どもにメリットがない」
(この社長、この後に及んでも甘い事を言う。やはり、経営が何かを分かってない)
田村は、思った。
「うむ、そうか。 では、買収しかないが、私の立場はどうなるんだ? 私には、養う家族がいるんだ」
貴信は、心配そうな顔をした。
「はい。 普通なら、経営陣を刷新しますが、しかし、桜井家が提示する条件を呑めば、あなたの、社長としての地位を保障します。 これは、上層部の考えです」
「社長としての立場を約束していただけるなら、買収を前向きに検討したいと思う」
「はい。 実は、今回の企業買収の話しが出た発端は、ここにあります。 桜井家の事情が深く関わっているのですが、私は、その理由を知りません。 桜井家の代理人として、佐々木と言う者が、改めて、鈴木社長を、お訪ねします」
そう言うと、田村は、貴信と連絡先を交換して別れた。
◇◇◇
翌日、佐々木が、鈴木精密を訪ねた。一通りの挨拶を終えると、貴信は、いきなり切り出した。
「佐々木さん。 私が社長として残れる条件を、聞かせていただきたい」
貴信は、目を輝かせた。
「はい。 この件は、ビジネスと切り離してお考えください。 桜井家のご子息である涼介様は、ご息女の貴子様と同じ高校に通っておられます。 涼介様は、容姿端麗で勉学に秀で、しかもスポーツ万能、将来、桜井興産の社長を約束された方でございます」
そう言うと、佐々木は、涼介の写真を見せた。
「確かに、イケメンのご子息だ」
貴信は、思わず口にした。
「条件と言うのは、ご息女の貴子様が、涼介様と交際し、婚約することです」
「えっ、婚約とは。 それは、さすがに?」
「涼介様が、ご息女に恋心を抱いているのです。 将来の社長婦人になれるのですから、良い話しだと思います」
「でも、両人とも、まだ、高校1年生だ」
「確かに、年齢は若いが、ご息女にとっては、素晴らしい将来を約束される話しです。 人生には、ビッグチャンスが何回か到来するタイミングがございます。 正に、今がその時です。 逃してはなりません。 即答は、求めませんので、2週間以内にご返事をください」
「分かった。 前向きに検討しよう。 但し、お願いがある。 両人とも、まだ高校生だから、婚約しても体の関係を持たないことを、涼介さんに約束させてほしい」
「分かりました。 涼介様にお伝えします」
そう言うと、佐々木は帰った。
◇◇◇
貴信は、思い悩んだ。落とし穴はないか、信用して良いのか、いろいろと考えた。
会社は人手に渡るが、社長として経営に携われる。また、貴子にしても、将来は大会社の社長夫人となり幸せに暮らせる。しかも、相手の男は、非の打ちどころのない好青年だ。
時間をかけて考えたが、最初から結論は出ていた。
(断る理由が見当たらない)
貴信は、思った。
佐々木が訪ねてきた日から、13日後の夜、久しぶりに家に帰った。
「貴子、話がある」
「いつも家に帰らないのに、今日はどうしたの? 私は、父さんに話なんてない!」
いきなり、貴子は怒った。
「母さんが出て行った時は、正直、俺も凄く辛かったんだ。 会社にしがみついて、大きな借金を作って、悪い父さんだよな」
貴信は、本心からなのだろう。涙を流して貴子に謝った。
「父さん」
貴子も、ひとこと言って、泣き出した。
「本当に、すまない。 毎日、会社を立て直そうと頑張っているが、いくら良い製品を作っても、販路がなくて、どうしても儲けにつながらない。 このままだと、会社が倒産し、家族は路頭に迷うことになる。 お前が小学生の頃、俺に憧れて研究者になりたいと言ってたよな。 貴子は、頭が良いから決して無理な夢ではないよ。 だから、そのために、ちゃんと大学に行かせたいんだ。 でも、このままだと、それさえも難しい」
貴信は、暗く下を向いた。
「父さん。 私、今でも、研究者になりたいと思ってる。 だから、一生懸命勉強してるんだよ。 高校に入って、抜き打ち考査で、学年1位になったんだ。 父さんに、その事を自慢したかったのに、いつも家に居ないから、それさえも言えない …」
貴子は、声を上げて泣いた。
「すまん。 でも、上等学園高校で学年1位なら、どんな難しい大学でも入れるな」
貴信は、嬉しそうな顔をした。
「貴子。 おまえを大学に行かせたい。 母さんが居る九州の実家に預けることも考えたが、兄夫婦の代となってるから、肩身が狭い思いをさせてしまう。 それに、母さんの実家では、貴子を大学まで行かせてやれないだろう。 だから、俺が何とかするしかないんだ。 そんな時、全てを解決できる方法が見つかったんだ。 本当に良かった」
貴信は、貴子を見据えた。
「どう言うことなの?」
貴子は、不思議そうな顔をした。
「桜井興産から、企業買収の話しが来てるんだ。 大手だから販路も確保できる。 会社の負債も全て解消する。 それに、会社は手放すことになるが、社長の地位を約束してくれるんだ。 願ってもない話だ」
貴信の話を聞いて、貴子は嫌な顔をした。
「どうした?」
貴子の反応を見て、 貴信は不思議に思った。
「何か、条件とか言われてないの?」
貴子は、恐るおそる聞いた。
「うむ。 確かにあるが、これも、貴子に取って良い話だ。 桜井興産のご子息の涼介さんが、おまえに ご執心なんだ。 桜井家から、将来、嫁に迎えたいと言われたよ。 写真も見せてもらったが、素晴らしい好青年だった。 今回の条件として、婚約してほしいと言われたんだ。 でも、断る理由は無いと思うよ。 なあ、貴子、父さんを救うと思って、頼むから承諾してくれ。 おまえの為でもあるんだ」
貴信の話を聞いて、貴子は下を向いて何も言えなくなった。涙を流し一心に頼む父の姿を見て、涼介の正体や、元太と付き合ってることを言えなかった。
「なあ、貴子頼む」
再び、懇願された。
「はい」
貴子は、覚悟を決めたように、小さな声で、ひとこと答えた。その返事を聞いて、貴信は、安堵の表情を浮かべた。
◇◇◇
翌日、学校の昼休みのことである。
「三枝君を、呼んでほしいの」
「ああ、今、呼んで来るからな」
加藤が、貴子に言われ、俺の所に来た。
「おい、元太。 美人がお前をお呼びだ。 また、鈴木 貴子が来たぞ」
加藤は、羨ましそうに俺を見た。
「まあな」
俺は、ひとこと答えた。
廊下に出て、貴子を見た。気のせいか、少しやつれて見えた。
「貴子。 疲れてるようだが、どこか具合でも悪いのか?」
「ううん、そんな事はないよ。 実は、元ちゃんに話しがあるの」
「分かった。 屋上に行こう」
俺は貴子を誘って、屋上に向かった。そこで、貴子は、一方的に別れを切り出したのだった。
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