第二章

第35話 勇者らは憂鬱

まえがき


今回から二章です。














「カーライン、貴方はアーチボルト家の次代を担う、希望なのよ」


 幼い頃から、母がカーラインに言い続けた事。

 名門、アーチボルト家は代々優秀な聖職者を生み出してきた。

 この場合の聖職者とは、ユグドラス教を信じ、教える者を指す本来の意味ではない。

 聖別軍レギンレイヴや秘蹟機関に所属するような、戦いに携わる聖職者。神官戦士とでも言うべき存在だ。


 例えば、初代アーチボルト家当主、ゼン・アーチボルトは、初めて聖遺物に選ばれた「始まりの十五人」の一人である。

 その妹、シェジャ・アーチボルトも同じく、聖遺物に選ばれた十五人の一人。

 彼らより起こった古き家系。脈々と勇者の血を引き続ける生まれながらの救世主。

 それこそが、アーチボルト家なのだ。

 

「だから、その名に相応しい行いを心がけるのよ。貴方には、力がある。その力で、皆を守るの」


 母はいつもにこやかに、そう言い聞かせた。

 思い返せば、母は焦っていたのかもしれない。

 父は聖別軍レギンレイヴに所属していたが、弟であるアルフレッドが身籠った辺りで殉教した。

 だからか、カーラインも父の事はよく覚えていない。

 

 残念な事に、その時のアーチボルト家は落ち目だった。

 聖遺物に選定されるのは、究極の名誉。

 かつて先祖が勇者として、聖遺物に選ばれていた系譜。だがここ何代かは選ばれるモノはおらず、分かりやすい功績を上げるモノもいなかった。

 もしもそのまま落ち目が続けば、名門というのは文字通り過去の栄光と化していただろう。

 

 母が望んだように、カーラインは才能を持って生まれた。

 カーラインの原点、戦う術を持たないモノ達の為に、自分が戦う――その思いは、母の言葉より来ている。

 今思えば、母はカーラインを用いて栄光を取り戻したかったのだろう。


 父も死んで、導くモノがいなくなったアーチボルト家に、言いようのない不安を覚えていたのだろう。

 いつだって母は、カーラインを愛してくれた。だが、彼女が見ていたのは、カーラインの瞳に映る自分自身。

 親の愛情というのは子供の向こう側にいる、自分自身への自己愛ともいうが、カーラインの母はその典型だった。

 

 自分の想いが母より生み出されたモノであるのは知っていたが、その在り様を疑ったことは無い。

 だが時折思うのだ――自分は何もかも、紛い物なのではないか、と。

 この想い、この信仰、すべて「斯くあれ」として「在る」モノであり、無より生じたモノではないのでは、と。

 それがカーラインを、ふいに不安へと陥れる。

 

「だいじょうぶですよ、姉さんは、すごいんですから!」


 弟のアルフレッドは、いつだってそう言ってくれた。

 母の重い期待に、押し潰れそうになっていたカーラインを救ってくれたのは、彼だ。

 カーラインという少女を、姉にしたのは彼だ。

 純粋過ぎる憧れと期待、そこにあったのは無償の愛情であり、子供ながらに悟っていた親の欲得ずくの愛よりもずっと、カーラインを慰めてくれた。

 だからカーラインも、そんな弟が大好きだった。

 

「受難者……神から、生まれながらにして試練を授かった者――ええ、素晴らしいわ」


 反比例するように、母のアルフレッドへの感情は冷たかった。

 理由は簡単だ、アルフレッドが生まれながらに盲目だったから。

 カーラインはそんな事でアルフレッドの人間としての価値が揺らぐなどと、微塵も思っていなかったが、どうしても存在する壁というのはあった。

 アーチボルト家は、神官戦士を生み出してきた家系。

 目が見えないというのは、戦士にとって余りにも致命的だった。

 

 口ではアルフレッドを寿ぐが、本心は余りにも見え透いていた。

 ユグドラス教の教え故、受難者は吉兆という建前に従っていたが、態度は冷たい。

 子供は親をよく見る。そしてそこから「ナニカ」を得る。

 善き親であれば、真似をして、悪きであれば、反面教師にして。

 カーラインは、母が嫌いだった。

 

 それでも母は母だ。たった一人の弟を冷遇しようが、あちらだってたった一人なのだ。替えは利かない、大切なヒトに変わりない。

 嫌いでも、母なのだ。

 問題は、アルフレッドへ襲い来る苦難だ。

 カーラインは戦いの道に進むことに一切の躊躇いは無かったが、優しく純粋な、可愛い弟であるアルフレッドに、切った張ったの戦場には立ってほしくなかった。


 が、世界はそれを許さなかった。

 受難者には、試練を与えるのが決まり。

 そんな悪習によって、幼時より毎日ボロボロになるほど、戦いの訓練を積まされていたアルフレッド。

 

「だい、じょうぶ、ですよ、姉、さん。僕も、すぐに追いつき、ますから。姉さんは、まえ、だけ見ていて、ください」


 どんなに辛い目に遭おうとも、アルフレッドは絶対に笑顔を絶やさなかった。

 不甲斐ない姉を心配させまいと、ずっと微笑みを浮かべていた。

 痛みに耐える為に、拷問めいた責め苦を受けても、或いは肺活量を高める為、厳冬の、冷え切った水の中に顔を突っ込まれても――彼は、ずっと笑っていた。

 結果彼は素晴らしき戦士となり、共に秘蹟機関へと所属する事が出来た。

 冷遇していた母を見返せたようで、カーラインは自らの事の様に嬉しかった。

 

 だが、いつも心の隅には不安があった。

 いつか、弟を失ってしまうのではないかと。

 その予感は、最悪の形で的中した。

 彼を見捨てる事で助かった命――自らの事が恨めしく思える。

 だが自害は許されない。教義故、そしてアルフレッドが命懸けで救ってくれた命を投げない為。

 でも――


「私は、私では、ダメなんだ……」






「――っつ!?」


 首都ヴァナヘイム内の一等地に立つ、アーチボルト家の邸宅にある一室、カーラインはベッドの中で目を覚ました。 

 悪夢――というほどではないが、それでも気持ちの良いモノではなかった。

 身体が酷く汗ばんでいる。シーツに包んでいた身体を襲う悪寒は、朝の冷気故では無かろう。

 

「……情けないな」


 どうにか自嘲しようとして、溜息交じりに呟く独白。だがそれは酷く震えており、なけなしの強がりは白い息に混じって消えていった。

 

「……もう朝か」


 ボンヤリと呟いたカーラインは、ベッドから起き上がる。

 

「今日は……封印更新の任務についての説明があったな」


 部屋に備えられた浴室、帝国式の魔導仕掛けの風呂――人類の英知は、誰が生み出したモノでも等しく尊い、という教義故、例え敵国の技術でも便利なら使う――で身を清めるべく動き出す。

 服を脱ぎ、冷えた浴室に入る。朝の冷気が、汗ばんだ身体に絡みつき肉体の熱を奪い去っていく。

 聖国はガイア大陸東方北部にある。故に春先でも寒く、油断をすれば風邪を引いてしまう。

 魔導仕掛けのシャワーのレバーを倒し、温かい湯を出す。気怠い身体に活を入れるのに丁度いい温度の湯が、さわさわと身体を流れ清めていく。

 

「……」


 暫く身体を流し、目を瞑る。思い描くのはあの怪物――


『――殉教の機会をくれてやる、神にさぶらう者共よ。一握りの勇気を以て、さあ前へ進み出るがいい。その決意と共に、刹那にて屠り去るが故に――』


 ルベド・アルス=マグナ――災禍の錬金術師が創りし、最高傑作。

 弟を喪った原因であり、多くを虐殺した人類への敵対者。仇敵であり、絶対に許されない化け物。

 だが――その力は、圧倒的。

 今でも、アレには勝てないと断言できてしまう。

 上位七席次――セブン・ナンバーズが数人、或いは第一席次が出なければ太刀打ちは不可能だろう。

 

 それでも、私は――続く言葉を紡ぐより前に、カーラインは湯浴みを止めて身支度を整える。

 いつもの黒い法衣を纏い、聖遺物である〈滅断の杖槍ミストルティン〉を携えて部屋を後にする。

 

「おはようございます、母上」


 使用人が用意してくれた朝食を、食堂で摂ろうと移動し席に着いたカーラインは、上座にいる母親に挨拶する。

 落ちくぼんだ目元が、陰惨な印象を与える女だ。着ているモノはそれなりに上質なのに、本人が暗いので台無しだ。

 

「ええ、おはよう、カーライン」


 母親はか細い声で答えると、興味を失ったように食事に戻る。

 この陰惨な家庭で、唯一の楽しみが食事だ。使用人の者達は優秀なので、料理が美味い。

 今日の献立は上質なクッペ――聖国は土地がやせ気味なので、黒パンやイモが主食故、白いパンを食べられるのは裕福な証だ――と、ソラマメのスープ、川魚のソテーとサラダ。後は茶を温かく、濃く入れたモノに、ミルクを落とした飲み物。

 カーラインは、食事をしつつ母親を見る。いつも暗い女だ。

 

「……母上、先日はアルフレッドの命日でした。墓参りにはいかれましたか?」


「………いいえ」


 カーラインの当たり前の問いに、母親は冷酷でロクでもない返事を返した。

 自分が腹を痛めて生んだ子供だろうが――何故そこまで冷たくなれる。そんな言葉が出かけたが、カーラインはグッと堪える。

 この女が、彼を冷遇し続けるのは今に始まったことじゃないからだ。


「そう、ですか」


 カーラインがどうにか絞り出した、無意味な返事を最後に、会話は一切なくなる。

 家族というには余りにも寒々しい家庭――時折、酷く憂鬱になる。

 嘆息と昵懇の間柄に成りつつあるのを嘆き、その日の朝食は過ぎていった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

「失礼します」


 秘蹟機関本部、地下にある執務室に呼ばれたカーラインは、ノックをしてから入室する。

 

「来たか、第十席次よ」


 執務机に座り、山積みになった書類を捌いていた影――凛々しい鷲の獣人、第四席次フレン・スレッド・ヴァシュターが声を掛けてくる。

 猛禽系獣人特有の、鋭い鳥類のような手に持っていた羽ペンを置き、軽く肩を回してから立ち上がる。


「よく来てくれたな、カーライン。君も忙しいだろう、そんな折に聖務を任せるのは申し訳ないが、何分手が足りないものでな」


 立ち上がったフレンは、横にある応接用のソファに案内しながらそう言った。

 

「貴方程ではありませんよ、第四席次」


 カーラインが冗談めかして言って見せると、フレンは苦笑を浮かべる。――獣人種の表情は、他種族からすると分かりづらいのだが、フレンは例外だ。長い付き合いだし、普段から浮かべる表情が限られている。真面目な顔と、苦笑い――この二つが主だ。


「そうか……そう見えるか?」


「はい、機関の中でも、第一席次と同じくらい多忙でしょうから」


「はは、流石に、あの方ほどではないさ」


 そう笑うフレンだが、カーラインは本気で彼が第一席次と同じくらい忙しいと思っている。

 秘蹟機関はその性質上、秘匿性を重視しなければならない。それ故か、事務作業などを行う人員も少ない。

 内々で処理しなければいけない書類なども多い。それらのほとんどは、フレンが担っている。

 任務へ赴く際に必要な経費、聖別軍レギンレイヴへの出撃要請――枚挙に暇がないのだ。

 それらを捌いて、かつ機関員として任務へ出撃もする――多忙に多忙である彼が、秘蹟機関の為、そして聖国、人類の為に身を粉にして働いているのは、良く知っている。

 カーラインが機関に所属したての頃よりの付き合いなのだ。苦労している姿は、よく見て来た。

 

「……それは兎も角、くれぐれもご自愛ください。如何に聖遺物に選ばれた勇者といえど、身体を壊してからでは遅いですから」


「そう、だな。本当に、そうだな……」


 フレンは暗い顔をして、深々と頷く。


「……最近、寝ようとしても何故か寝付けないのだ。睡眠をとらねば、身体が持たない事は理解しているのに、何故か眠れない。目を閉じると、抱えている仕事や懸念が浮かび、そして、それらを処理しなければいけないことを思い出す。そうなれば、ふいに怖くなるのだ。眠れば、また明日がやってくる。明日が来ると、また仕事に追われる日々が来る――とな」


 心なしか瞳から光を失ったようなフレンが、暗い声音で淡々と呟く。その様子は擦り切れる寸前のように見えて、見ていると死ぬほど不安になる。

 

「……あの、本当に大丈夫ですか?」


「ああ、大丈夫だ。問題無いとも」


 ――大丈夫じゃないヤツは、皆大丈夫というんだ。

 そんな言葉を、カーラインはグッと堪える。割と親しい間柄とはいえ、相手はセブン・ナンバーズ――流石にそこまで踏み入るのは無しだ。

 

「おっと、すまんな。このような話をする為に呼びつけたワケではないのに」


「いえ、お気になさらず」


「そういってもらえると有り難い。さて、任務の詳細だが――」


 ――フレンが説明し始めた任務の詳細。

 それは先日、カーラインが不在の際に、機関の会議で決定された「封印術更新」の任務である。

 錬金術師、イルシア・ヴァン・パラケルスス――彼女は拠点を転々としている。各地を流転する間に、廃棄した拠点が遺構となり、そこより作品が現れる事がある。

 錬成竜アルケム・ワイバーンはそんな作品らとは違い、突如として出現した。世界が新生した時代、あの時代の後期より出現し、各地を襲撃していた。

 百二十年前、ようやく封印に成功し、十年毎に術式を更新して、その封印を保ち続けている。

 その封印術の行使の為、カーラインが選ばれたのだ。


「人員は三人――十年前は、私と君とレヴィスで行ったのだったな」


「はい、私が機関に所属してから、初めての任務でした」


 思い出す初任務――聖遺物に選ばれた以上、如何なる年齢でも機関員として聖務を行わねばならない。十代の少女だったカーラインに任務のイロハを教えてくれたのは、フレンと第八席次だった。


「あの時と同じように、今回も新米が同行する。第十三席次、アイリス・エウォル・アーレントだ。例の聖遺物に選定され、最近配属された」


「なるほど……もう一人は?」


「第十四席次、マルス・デクィ・イドグレスだ」


『――それだけの事をしておいて、よくも顔を出せたものだ』


 彼――マルスに言われたことを思い出し、一瞬鈍い痛みが胸を衝くが、努めて無視する。


「……なるほど。適切な人員であると愚考します。彼らを率いて、任務にあたる――ということでよろしいでしょうか?」


「そうだ。いけるか?」


 フレンの言葉に、カーラインは一つ大きく息を吐き、そして力強く見据えた。


「はい、カーライン・シェジャ・アーチボルト、必ずや聖務を達成します」

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