第26話 切望と絶望

 慰海祭、慰海の歌。

 一年の海の平穏を祈る、マーレスダ王国の大切な儀式。

 多くの民にとって、その儀式は神聖なモノであり、楽しみでもあった。

 

 ――だから、信じられなかった。


「はは、これ、夢だよな」


 露天商を営む男は、地獄のような光景を見て乾いた笑いを零す。


「隊列を組めッ! 盾を前に前進せよッ! あの怪物に近づき何としても打ち取るのだッ!」


 指揮を執る騎士の命により、頑丈な盾を構えた兵士が身を低くして集まり、堅牢な陣を作る。

 隙間から槍を突き出し、敵に向かって前進する。

 魔法抵抗を高める術式の付与された大盾を構えた歩兵が、密集し壁となる。

 そのまま前進すれば砦の如き陣形より槍を穿ち、敵を打ち取る。


 進めないほど苛烈なら、後方の飛び道具持ち――弓兵や魔導師による攻撃で削り取る。

 この世界では一般的な戦術だ。

 

 魔法という強大な異能がある故に、魔法を防ぐ手段は必須。

 マーレスダ王国では魔を弾く盾が限界だが、聖国なら防御魔法専門の術師で同じことをし、帝国なら、魔導師を含め豊富な魔導技術で同じような事をするだろう。

 弱点である側面と背面も、市街地戦である事を考えれば帳消しである。

 つまり、敗北など無い――ハズだった。


「――e38197e381ade38193e3828de38199e38197e381ade38193e3828de38199」


 兵士達が相対するのは、裸の少女。肌色は恐ろしく悪く、死人めいていた。そして何故か、造形は我らが歌姫――レイアーヌそっくりだった。

 その少女が凄まじい絶叫を上げた瞬間、口に魔法陣――術式が展開、即座に魔力が収束し射出される。

 

 原初魔法、或いは呪歌。詠唱がまだ歌であった頃の魔法であり、魔力を込めて歌いあげれば絶大な力を齎す。


〈衝撃の練曲エチュード〉――歌によって魔力に指向性を与え、対象物の撃滅を呪う初歩の呪歌である。

 呪歌には通常の魔法のように位階――魔法のランクは明確化されていない。使い手が少ないため、難易度も感覚的なモノにしかならないのだ。


 魔法とは、「魔力」という世界を構築する最小単位にして、意志を伝達するエネルギーを用い、世界の法則を書き換える異能である。

 意志を伝達する心、魔力を生む魂、そして世界を書き換える事が出来る程度の、世界との繋がり――つまり才能を有するモノにしか、魔法は使えない。


 なればこそ、呪歌は強大な魔法だった。

 歌というモノは、感情を、意志を伝えやすい。

 それに乗せられ解き放たれる魔力は、常に強力である。

 使い手が、呪わしいほどの絶望を抱いているのなら猶更である。

 まじないの歌にして、のろいの唄が、呪歌じゅかなのだから。

 

「ぐうぅぅ!!」


「ぐぃぃ、クソォォ!」


 直撃する衝撃波。とてつもない轟音が響き、盾を構えた兵士はどうにか踏ん張る――何人かが踏み切れず、後方へ弾かれて防御に隙が生まれる。


「クソッ! 魔導師、早くしろ!」


 ファランクスの後方に控えた数人の魔導師が、必死の形相で詠唱を紡ぐ。

 状況のせいか、魔導師らの顔色は優れず、詠唱も焦っていて遅々としている。


 ――第一位階から第三位階までの低位魔法ならば、一節程度の詠唱で発動する。数秒、長くても十秒はかからないだろう。

 だがそれ以上――第四位階、第五位階の中位魔法を発動するとなればもう少し長くなる。最低でも十秒ほどは必要だろうか。

 今欲しいのは怪物すら滅する火力。故に低位魔法ではダメだ。だから魔導師は、第四位階、使えるモノは第五位階の魔法を詠唱していた。


「――冷厳なる刃、剣閃放ち、此方に在りし悪鬼を伏せよ――〈冷刃突アイシクル〉!」


「――深奥震えし力、刻み落ちよ、汝は蛮行滅す力動なり――〈石散弾ストーンスラッグ〉!」


「――逆巻け炎霊、其の身を礼賛の贄と為し、解き放ち貫け――〈火炎槍ファイアランス〉!」


 魔導師が完成させた元素系統第四位階の〈冷刃突アイシクル〉と〈石散弾ストーンスラッグ〉によって、魔弾による散弾が放たれ、怪物の少女の肉体をズタズタに引き裂き、貫く。

 一拍遅れて、ボロボロになった少女に向けて第五位階の〈火炎槍ファイアランス〉が放たれる。数本の炎の短槍が少女に殺到し、着弾した瞬間に爆裂、爆炎と焦熱に包まれる。

 

「やった……」


「死んだのか……?」


 黒煙に包まれた大通りの先を見て、兵士達はザワザワと騒ぐ。

 僅かに気が抜け、緊張が弛緩した瞬間――


「e3818de38188e3828de3818de38188e3828de3818de38188e3828d」


 ――黒煙の向こうから、衝撃波が飛翔し兵士達を爆散させる。

 不幸な事に、気が抜けた瞬間だったからこそ、被害は凄惨を極めた。

 前衛を務めていた兵士らは軒並み全滅。無残な肉塊となって血の雨の仲間入りを果たした。


「ひぃぃ!?」


 生き残った後方の兵士の内誰かが、情けない悲鳴を上げる。

 黒煙の名残と、血煙と肉片の嵐を超え、ゆっくりと怪物が現れる。

 

「ば、バカな………」


 指揮を執っていた騎士が、その光景を見て絶望に喘ぐ。

 

「e38284e38281e381a6e38284e38281e381a6e38193e3828de38199」


「e38197e381ade38193e3828de38199e38197e381abe3819fe38184」


 現れたのは、二匹に増えた怪物。レイアーヌによく似た化け物は、一匹ではないのだ。

 彼女達は黒焦げになって伏した怪物に近寄り、魔力を発露する。


「e381abe38192e3828be381aae381abe38192e3828be381aae381abe38192e3828be381aa」


「e3819ae3828be38184e3819ae3828be38184e3819ae3828be38184」


 伏した怪物に向けて、二匹の化け物は呪歌を詠唱する。

 魔力が術式を形作り、黒焦げの怪物を囲う。柔らかな魔力が辺りを包み込む。このような状況でなければ、幻想的と褒められるような光景だ。


〈再生の聖譚曲オラトリオ〉――再構築と可逆の性質を歌で発現させ、対象のダメージを即座に治療する。生きていればどんな重傷だろうと回復させる為、極めれば限定的な死者蘇生すら成せる呪歌である。


 死者蘇生を行う為には、死亡して間もない状態でなければならない。時間が経てば、魂が離れて、肉体との乖離が発生してしまう。

 様々な条件が付きまとう為、人形の如き存在には、ひっくり返っても成せない高位技法だ。


 だが、相手は同じく人形。一度死んだホムンクルスは、性質が単純であり、同一の存在同士ならば、互いの魂の組成も本能的に理解し、そのまさかを成せる。

 結果――


「ッ……! う、嘘だ……有り得ないッ!」


 魔導師の一人が、その悍ましき光景を見て首を振る。

 視線の先では、三種類の魔法を叩きこまれ死んだハズの怪物が、肉を纏い、肌を張り、髪の毛を生やして再生する光景があった。

 

「ま、魔導師共、何をやっているんだ! さっさと術を唱えろ!」


 騎士の声で正気付く魔導師達は、触媒を構えて魔力を奔らせる。

 だが、余りにも遅すぎた。

 

「――e381a9e38186e38197e381a6」


 軟体のような不気味な動きで、手を使わず逆再生のように立ち上がった怪物は、起き上がり様に叫んで再び呪歌を放つ。

 衝撃波が飛翔し残った後方の兵士、騎士や魔導師に直撃、悲鳴を上げる間も無く爆散する。

 

「はは、はははは、あはははは。うそだ、うそにきまってる」


 国の要、害意より国民を守護するハズの者共が成す術なく死んだ光景を見て、露天商の男は血飛沫まみれの顔のまま、壊れたようにケタケタ笑う。

 怪物共はそんな男に構うことなく、再び呪歌を歌う。


「「「e381bfe38293e381aae3818de38188e3828d」」」


 三重の衝撃波が飛び、男はそれに巻き込まれ消える。

 慰海祭で賑わっていたハズの大通りは、もはや見る影もなく、蹂躙の限りを尽くされていた。








 ◇◇◇








 突然の襲撃者。

 壊される街並み。

 虐殺によって死んでいく無辜の民。

 

 ――クロムの日常は、その日を境に崩れ落ちた。


「何だよ、何なんだよこれ……」


 レイアーヌの歌が始まろうとした瞬間、突如として始まった襲撃。

 護衛すら上がる事の許されない儀式場を眺めるべく、クロムはアデリナと共に見物人の警備の為、群衆に紛れて大通りから、豆粒のように小さく見えるレイアーヌを見上げていた。

 

「うわあああああぁぁ!!」


「あしがぁ、あしがぁぁ!」


 儀式場となる王城の円形テラス、そこを眺められる王城の尖塔にある貴賓席。そこに直撃した衝撃波が齎したのは、余波によるダメージと、落下してくる構造物。

 巻き込まれたのは見物に訪れていた民。瓦礫の下敷きになった者もいる。

 一瞬だ。

 一瞬で、幸せが裏返った。 

 

「きゃああぁぁぁ!!」


 続けて放たれた衝撃波は、群衆に放り込まれた。

 爆心地はクレーターとなり、もろに巻き込まれた者は悲鳴すら上げる間も無く血飛沫に変じる。

 それを見た者、或いはどうにか逃れ、命だけは助かった者が、恐怖、痛みによって絶望の咆哮を上げる。

 

「に、にげろぉぉ!」


 誰かが叫んだ。


「ああああああああ!!」


「ひいいいいい!!」


「死にたくない、死にたくない!」


「衛兵は何をやってるんだよ!! 俺達を守れよ!!」


 一瞬で醜い叫びが木霊する地獄へ姿を変えた場所に、更に衝撃波が注がれる。


「何だよ、アレ……化け物か?」


 誰かが言った。

 誰かの視線の先には、きっとこれを成した者がいるのだろう。群衆に紛れていたクロムには、見る事が出来なかった。


「――ロム、クロム!!」


 地獄のように変わってしまった故郷を見て、クロムは放心していた。

 そんな彼を呼び戻したのは、先輩騎士のアデリナだ。


「あ、アデリナさん……」


「ぼさっとしない! レイアーヌ様の所へ行くよ!」


 こういう状況でも、アデリナは冷静に目的を果たそうとしていた。

 そんな先輩騎士に引き戻されたクロムは、一拍遅れてから何度も頷く。

 

(そうだ、レイア……レイアは無事か!? 早く、早く助けにいかないと……)


 アデリナと共に混乱を極める街を走り出したクロムは、脳内でずっとそう考えていた。

 歌姫という遠い場所に行ってしまったレイアーヌを守るべく、近くにいるべく、孤独にさせないべく、クロムは今ここに立っている。

 それなのに、その使命と意志を忘れ、一瞬でも呆けていた自分が許せない。

 

「レイア……ッ!」


 恋情を向ける少女の名を口にしながら、クロム達は街を掛ける。王城にある儀式場を目指すのだ。


「クソッ! 街の警備で遠くに配属されたのが裏目に出た! これじゃあ辿り着くのに時間が掛かる!」


 大通りを行くクロムは、並走するアデリナの苦々しい言葉に同意する。

 王都中の民が一度に王城前に集まる慰海の歌――そのせいで、城へ続く大通りは人で溢れている。


 レイアーヌ護衛の任を一時的に解かれたクロム達は、警備の為大通りの比較的後方に割り当てられていた。

 だが今は混乱し、あちこちで交戦する音や叫びが聞こえる。

 こんな状況では、一直線に行く事すらままならない。

 

「……っ」


 酸鼻な光景、国を守る騎士としての責務が自身を苛み、だが一瞬でそれを捨てる。

 クロムは、レイアーヌを守るべく騎士になったのだ。

 だから――ここは、見捨てるしかない。

 

「――助けてください!!」


 そんなクロムにかかる、悲痛な声。


「ッ!?」


 反射的に立ち止まると、そこには埃で汚れた女がいた。


「騎士様、お願いします、助けてください! 娘が、娘が瓦礫の下敷きに……」


 そう言われて思わずぎょっとする。女の近くにある瓦礫からは、ぐったりとした少女の上体がはみ出ていた。下半身が瓦礫で潰れているのだろう。


「ッ……!」


 逡巡する。

 よく見れば少女は浅く呼吸しており、今どうにか出来ればまだ助かるかもしれない。

 だが――こんな状況で、レイアーヌの下へ向かうのが遅れれば、どうなるか分からない。

 

 ――頭痛にも似た苦み。逡巡というには余りにも長い空白の思考。


 誰かの為に、誰かを捧げる。

 他人と殺し合うことも無く、悍ましい選択を迫られることも無い、平凡な騎士見習いには重い刹那だった。


(オレは……でも、くっ……どうすれば)


 迷うな、というのは酷だろう。

 死にかけた子供を抱えた女の必死の願いを切る、それも目の前にいるモノの願いを。

 確固たる意志か、冷酷さ――どちらかを持たねば無理だろう。

 そしてこの少年には、意志はあったが、それを上回るほどの中途半端な優しさがあった。

 優しさとは罪だ。

 少なくとも、この場においては――許されざる大罪だった。

 

「――クロムッ! 先行きなッ!」


 アデリナの鋭い声。それは迷いを晴らす剣閃のようだ。

 

「アタイが引き受ける。だから行きな」


 そういったアデリナは、瓦礫をどかしながら先行を促す。


「アデリナさん……すいません」


 優しい。そう、彼女もまた優しかった。

 優しさが罪過と云うならば、彼女もまた許されざる大罪人であろう。

 大局を見れば、治癒魔法の使い手であり、優れた騎士でもあるアデリナこそ、最もレイアーヌを迎えに行くべきだ。


 だからこそ、罪なのだ。

 縋る手を払うという、最も罪深く見える行為こそが、この場においての最適解だった。

 だが、それを論じても詮無き事。

 人は、目の前の事しか見えない。

 上から眺めるだけの翼があれば、このように滅ぼされる由縁も無かったように。



 ――この場所で生きて来たからこそ分かる、裏路地などのルートも駆使しつつ、クロムはどうにか素早く王城まで辿り着いた。

 

「なんて、酷い……」


 まるで戦場――いいや、文字通り王城前は戦場だった。

 

「クソォ! 死ね、死ね、死ね、死ね、死ねぇぇ!!」


 騎士が女か何かに跨って剣を繰り返し刺し続ける光景。

 

「怯むなッ! 数人で囲めば問題無く撃破出来るッ!」


 指揮を行う騎士が命じ、魚と人を悪意まみれで混ぜたような怪物に、数人で突撃していく光景。

 

「なんでこんな……突然、どうして……」


 ボンヤリと呟くクロム。もう何度も見た地獄のような光景だが、自身の故郷が壊れていく様など慣れるハズがない。

 

「……っ」


 近くで少女と少年の兄妹らしき子供が無残な姿で倒れているのを見て、クロムは呻く。

 

 ――レイアーヌも、こうなってしまうかもしれない。或いは、もう――


 絶望的な想像が過り、クロムは頭を振って王城内へ走る。急がねば不味い。

 

「クソッ! どうしてこの国が、皆が、こんな理不尽に苦しまなければならないんだッ!」


 走りながら吐き捨てて、クロムは王城への階段を駆け上がり、滑るように入り込む。


「ッ!?」


 クロムは瞠目する。――王城リヴァイアの中ですら、惨劇は行われていた。

 

「グギャアアアアァァア!!!」


 魚の怪物が、騎士達に向けて咆哮する。

 逃げる文官の背中に、悍ましき鉤爪を突き立て惨殺する光景。

 このマーレスダ王国を象徴する中枢すら、絶望に侵されていた。

 

「くっ!」


 クロムは儀式場まで走る。酸鼻な光景広がる廊下を走り、階段を上る。


「レイア、レイア……レイアッ!」


 愛する少女の名を口にしながら、クロムは儀式場までの階段を上り切り、扉を蹴飛ばすように開いて転がり込んだ。

 

「――レイアッ!」


 そしてその少女の名を呼んで、クロムが見たのは――


「ッ!?」


 ――血塗れになって横たわる騎士団長と、震えるレイアーヌ。近くには、黒い狼の獣人――めいた怪物と美少女が立っていた。













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